炎のような笑顔
炎のような笑顔
翌日の朝、私は誰よりも早く目を覚ました。隣の部屋に寝ている杏寿郎は未だ寝息を立てていて、私は音をたてないように寝間着を着替え、台所に向かった。
今朝は何にしようか。
常備している食材は野菜と漬物と干した魚くらいだったので、ほぼ昨日と変わらない食卓になっていた。
「おはよう、コハル」
「おはよう。千寿郎は?」
「今顔を洗ってる。おお、今朝もうまそうだな」
杏寿郎は部屋着のまま食卓の前に座ると、私の作った料理を見て顔を綻ばせた。
「コハルは本当に女らしくなったな」
「だから、そういうのはやめてよ」
「いや、本当のことだからな」
杏寿郎はにっかり笑っている。私はお茶の入った湯呑を杏寿郎の前に置く。杏寿郎はそれを手に取ると、ずず、とお茶をすすった。
「茶もうまいな」
「もう、杏寿郎ったらそればっかり」
「うまいものはうまいのだから仕方ないだろう!」
そうやって私たちが他愛のないやり取りをすれば、寝ぼけ眼の千寿郎が居間に入ってくる。眠そうに欠伸をしながら。
「兄上、コハル姉ちゃん。おはようございます」
「おはよう、千寿郎」
私は千寿郎の頭を撫で、寝癖を直してやる。杏寿郎はそんな私たちのやり取りを、只笑顔で見守っている。
「わあ、コハル姉ちゃんのご飯だ!」
「さあさ、食べよう。千寿郎も座って?」
私は杏寿郎の隣に千寿郎を座らせて、私は杏寿郎の向かいに座る。そうして三人そろって顔の前で手を合わせたあと、朝ご飯を食べ始めた。
朝ご飯のあとは、杏寿郎が千寿郎の剣の稽古をすることになった。杏寿郎は今日、この家を発つ。今度は浅草の方に行くのだと聞いた。次に帰ってくるのはだいぶ先になるとも聞いた。
千寿郎は今は寂しさを露にしていないが、きっと杏寿郎が家を発つ時になったら泣きそうな顔でお別れを言うに違いない。
庭で千寿郎と杏寿郎は仲睦まじく剣を振るっている。あと数刻したら、この平和な時間も終わってしまうのだ。そう思ったら、私まで寂しくなってしまって、二人の稽古を直視できなくなっていた。
夕刻、杏寿郎は荷物を纏めて家を発つ準備を始めた。
「楽しかったね」
「コハル、居たのか。そうだな、楽しかった」
「次はいつ帰ってくるの?」
「分からん。だが、なるべく帰ってくるようにする。千寿郎は?」
杏寿郎はいつもと変わらぬ口調で私に言う。別れを惜しんでいるのは私と千寿郎だけなのかもしれない。杏寿郎はいつもと全く変わりない。
「千寿郎は部屋で泣いてる」
「そうか……コハル、千寿郎を頼む」
「……うん」
頼まれても、きっと私は千寿郎の元を訪ねることはしないだろう。千寿郎を見ると杏寿郎を思い出してしまうから。今までもそうだったし、これからもそうだ。
……何で?
ふと、疑問が湧いた。
杏寿郎を思い出すと何か不都合があっただろうか。なぜ私は頑なに千寿郎と顔を合わせないようにしているのだろうか。杏寿郎に瓜二つな千寿郎に。
「コハル」
「え……?」
深い思考に入ろうとした時だった。
今まで静かに荷物を纏めていたはずの杏寿郎が、私の目の前に立っていた。そして次の瞬間、私を抱きしめていた。一瞬のことで頭が追い付かず、だが私はこの時気づいてしまったことがある。
「好きだ、コハル」
「……!」
同じことを考えていた。
私も今さっき、気づいた。私が杏寿郎を思い出したくないのは、杏寿郎が好きだったからなのだ。好きなのに、杏寿郎は私の傍にいてくれない。だから杏寿郎に瓜二つの千寿郎にすら会いたくなかったのだ。簡単なことだ。私は杏寿郎が好きだった、只それだけのこと。
「私も、好き」
「知ってるさ」
「え……?」
「コハルは俺がコハルを好きだって気づいてなかったのか?」
「……ご、ごめん、気づいてなかった」
私だけが気づいていなかっただけのようだ。
確かに今思えば、杏寿郎は私に好意を寄せているのは明らかだった。そうだ、そうでなければ「いい奥さんになる」なんて、そんな言葉言うわけがない。
「コハル、俺はいつかお前と結婚すると誓う。だけどそれは今じゃない」
「うん」
「だが、好きだという言葉に嘘はない。だから、待っていてくれないか?」
「うん!」
「それまで、千寿郎を頼む」
嬉し涙というものは初めてで、私は戸惑いながらも首を大きく縦に振った。何度も何度も。
杏寿郎は笑っていた。炎のような強い決意を瞳に宿して。
そうして彼は、再び旅路を歩き出す。
全ては明明白白。
気づいていないのは私只一人だった、それだけの話なのだ。
明明白白
FIN
170606