scene.01 転変


昔読んだ本を思い出した。
それは異世界に飛んでしまった女の子の話だった。

ある日突然、異世界へと飛ばされた女の子が、その世界で巻き起こっている問題に果敢に立ち向かい、解決へと導き、役目を終えて笑顔で自分の世界に帰っていく、そんな物語だったはずだと頭の隅から記憶を掘り起こす。

彼女はなんで異世界に飛ばされたんだっけ。
どうやって帰ることが出来たんだろう。
あれはシリーズもので、私はもしかしなくとも、黒幕が出てくる最終巻をまだ読んでないんじゃなかったかな。

思い起こせば次々と湧いてくる疑問。そもそもその最終巻は出たのだろうかと首をひねった。
たしかあの作品を書く人は、遅筆で有名な作家さんだったような……と記憶が脳裏をかすめる。いつ出るとも知れず、そのうちすっかり忘れてしまっていたことに今更だが気付いた。

ああ、こんなことになるのならしっかりチェックしておけばよかった。
なんて思っても、その最終巻を読んだからって私を救う手立てになるわけではないのだけれど。

私はどうして、この世界にきたのだろう。
私はどうやって、今まで生きてきた世界に帰れるのだろう。

私に、そんな小説の主人公みたいな役目なんか、あるのだろうか───。








蓮の糸









平凡な、とても平坦な生活を、送っていた。
人並みに恋愛をして、失恋して、仕事に没頭して、友達と遊んで無茶やって、そんなことを繰り返して、気がつけばあっという間に二十代後半に足を突っ込んでいた。

いつしか恋愛にも臆病になって、友達も結婚したり海外に行ったり離れていくばかりで、寂しさが募ると仕事に没頭するしかなかった。
そんな職場と家を往復するだけの生活に、漠然と焦燥感を抱き始めたのだろうか。

いつからか、立ち眩みや軽い目眩に悩まされ始めた。
幼い頃からよく悩まされていた症状だったから、とくに気にしてはいなかったが、将来への不安に強くストレスを感じていたのかもしれない。
そんな時に、長年住んでいたマンションの更新通知が届いて、気分転換になるかもしれないと引越しをしてみたりもした。
しかし、職場と往復することは変わらなくて、生活も目眩も変化はなかった。

代わり映えのしない日常を過ごし、私の人生、ずっとこんな感じなんだろうなあ、なんてまた漠然と考えていた。


────始まりは、些細な変化だった。


仕事帰りに乗った、少し慣れてきた電車の中。
家の最寄り駅に近づくにつれて、チラホラと浴衣姿が目に入った。
最寄り駅に降りると、浴衣姿の人達もぞろぞろと降りてきた。
近所で夏祭りがあるようで、みな同じ方向に進み出す。

流れに乗って歩いてみると、木々の隙間から住宅街に光を零す神社へとたどり着いた。
こんなところに神社があったのか、と目の前の古びた鳥居を見上げる。
鳥居の向こうには色とりどりの浴衣、所狭しと並ぶ屋台、鼻を掠める食べ物の香り。

「お祭り……いつぶりだろう」

そう小さく呟いて、久しぶりに感じる砂の感触を確かめるように、ぎゅっと足を踏み出した。


踏み出した、はずだった────。





一瞬、全ての音が聞こえなくなった。
周りの景色が色を失い、線が震えるように、輪郭がぼやけるように、視界が歪む。

あれ、と思ったときには、ガツン、と頭を殴られたような衝撃。
うねうねと人々が捩れていくのを見て、いつもより酷い眩暈だな、なんて他人事のように感じた瞬間。
込み上げる吐き気に耐え切れず、咄嗟に手を口に覆い身を屈めた。











「アンタ、大丈夫ですかィ」

真横に人が立つ気配がして、ふと意識を取り戻した。
どのくらいこうしていたかは分からないけれど、ほんの一瞬だったような気もするし、もしかしたら数十分もの間、ここに蹲っていたのかもしれない。

「なんでィ、聞こえてねーのか?」

頭上から降ってくる声に、やっぱりこれ私に言ってる?と呑気に思いながら、名前はゆっくりと顔を上げた。

「あれ……?」

目の前の景色は、先程と変わらない色とりどりの浴衣、所狭しと並ぶ屋台、鼻を掠める食べ物の香り。
でも、何かが違う。なんだろう。
はっきりとは分からないけれど、違和感が胸の中をざわつかせる。

「おい」
「わ、わっ」

真横から、グッ、と肩を掴まれた。
突然の体重移動に身体のバランスを保てず、名前は思わず尻餅をついていた。

「おっと、大丈夫ですかィ」

痛いと感じた瞬間、また頭上から声が聞こえ、その声の主であろう人の影が動いた。
ふと視線を上げると、真上から覗き込んでくるくりっとした茶色い瞳と、バッチリと目が合った。

「さっきからしゃがみ込んでやしたが……」

茶色い瞳の青年は端正な顔立ちをしており、一瞬見惚れてしまった名前はどぎまぎしつつ「大丈夫です」と答えた。
彼は表情の読めない様子でしばし名前を見つめると、「立てるんならとっとと立ってくだせェ」と手を差し伸べてきた。
その手を見ながら、こんな若い子がどうして古い江戸っ子口調で話すのだろう、と首をかしげた。

ぱっと見は二十歳そこそこか、もしくは未成年かもしれない。
その年齢で落語が好きなんだろうか。
こんなかったるそうな江戸っ子口調など、落語か、下町が舞台の時代劇でしか聞いたことがない。
若いのに珍しいなあ、なんて思いながら彼の手を借りて立ち上がると、視界に見慣れないものが映った。

「見たとこ、祭りに来たって感じの格好じゃあねーようですが……」

彼がボソリと呟いた言葉が頭の中をすり抜けていく。
視界に捉えたのは、彼の腰に差された、刀のようなもの。

「それ、本物ですか」

ほぼ無意識のうちに、問いかけるでもなく、確認するように小さく呟いていた。

「……本物に決まってんだろィ。俺が誰か分かってねーのか?」

怪訝そうに言われ、思わず自分の記憶を必死に思い起こすが彼を見た記憶はありそうにない。
「江戸じゃそれなりに有名になったと思ってやしたがねェ」とぼやく彼に更に首をひねる。
もしかして何かの撮影?彼は俳優さん?でも本物ってどういうこと?

(ん?っていうか、江戸って……?)

疑問だらけの頭で、彼の問いになんと答えたらいいのか分からず名前は口を噤む。

「おいおい、沖田君じゃないの。なに仕事中にナンパしちゃってんの?」

突然、前方から気の抜けた声がして、視線を移すと銀髪のくせっ毛をガシガシと掻く男が目の前で立ち止まった。

「旦那、せっかくの祭りに男ひとりですかィ」
「ちっげーよ、買い出しだよ買い出し。ジャンケンで負けたんだよ。お子ちゃまたちがギャーギャー騒いでうるせぇから大人の銀さんが?買ってきてやろうかと?銀さん優しいからさァ〜」
「今ジャンケンで負けたって言いやしたぜ旦那」
「うるせーよ。んな小さなこと気にすんなよ。沖田君もナンパしてねーで働けよ」

なにやら言い合いを始めた二人を眺めながら、自然と彼らの出で立ちに意識が向いた。
銀髪の男は着崩した和装で腰に木刀が差してある。
茶色い瞳の彼は真黒な洋装ではあるけれど、腰に指しているのはどうやら真剣のようだった。

首を傾げながら、名前は改めて、周りをゆっくりと見回した。



────はっきりと目に映るのは、違和感の正体。



「これがナンパじゃねーんでさァ。神社の入口で蹲った怪しい女に職質するのも、立派な仕事なんでねェ」
「あ?それ怪しいの?体調悪いんじゃないの?おねーさん心配してあげるやつじゃない?」
「んなわけでオネーサン、どうなんでィ。具合わりーってだけですかィ?祭りではしゃぐ奴らンなか混じって全身洋装たァ悪目立ちもいいところでさァ。どうにも引っ掛からァ」

そう言って唐突に話を振られ、名前は我に返ると慌てて二人に視線を戻した。

「アンタ、何者だ?」

青年は鋭い目でこちらを見ており、銀髪の男は死んだ魚のような目をして下から上へと名前の体に視線を這わす。
「まぁ、珍しいっちゃあ珍しいよなぁ……」とポツリと零された言葉に胸がどきりと音を立てた。

しかし、視線を上げた男と名前の視線が交わった瞬間。
男は僅かに目を開き、どこか驚いたような表情を浮かべた。

「え、っと……ただの、迷子……?なんだと、思います」

男の様子を不思議に思いながらも、青年の視線に萎縮した名前はしどろもどろに答えた。

「いい歳して迷子ですかィ。ま、それなら真選組で保護しまさァ」
「……え、その格好で“新撰組”なんですか?」
「……どういう意味だソレ」

予期せぬ単語に思わず反応してしまった名前に、冷たい視線と声が突き刺さる。
余計なことを言ってしまったかと一瞬怯んだ名前だったが、もしかしたら周りの違和感もここに来た時からそのままで、彼もコスプレでここは何かのイベント会場なのではないかと思い始めた。

「私の知ってる“新撰組”とはちょっと毛色が……ちょっとどころか、服装が完全に違うんですけど」

そう言って、何かのキャラクターですか?と聞こうとすると、至極まじめな顔で青年が口を開いた。

「何言ってんだ。真選組はずっとこの服でやってきてんだ、違わねーよ」
「……そうなんですか?袴に浅葱色の羽織が有名な服装だったと思うんですが」
「浅葱色の羽織だァ?」
「あれ?やっぱりなんかおかしくないですか?」

話が噛み合わず、首を傾げる。
キャラクターになりきっているとか、そういうことだろうか。

(にしてはちょっと説明がなさすぎるでしょ、このイベント)

辺りをもう一度見回して、名前は先程気づいた違和感の正体に目を向ける。
やはり見慣れないモノばかりが目に映り、作り物にしてはやけにリアルすぎるそれらに息を詰める。

「おかしいのはアンタの頭じゃねーか?」
「むしろそっちのほうが良かったんですけど……」
「めんどくせェ。とりあえず同行願いやしょーか」

保護から同行に言葉が変り、とにかくこのままではあまりいい扱いをされないだろうことを察した名前は、状況を把握するためにひとつ彼らに問いかけた。

「あの……ここは、どこですか」
「どこって、神社に決まってんだろ」

頭おかしいんじゃねーか、という声が聞こえてきそうな顔であっさりと返され、名前は萎縮しながら言葉を返す。

「あ、そうじゃなくて……もうすこし範囲広めに……」

そんな名前の様子を訝しそうな目つきで捉えながら、彼は答えた。

「江戸のかぶき町でさァ」








scene.01 転変



2018/11/09


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