scene.02 違う世界
「えど……かぶきちょう……」
思ったよりも自分の口から出た声がか細くて、なんて情けないんだろうと心がしぼんだ。
えど?えどって江戸?やっぱ江戸って言った?
かぶきちょうって、歌舞伎町?新宿の?
いやいや私いつ新宿にきたの?
それになんでみんな和服?
髷の人いるよ?めちゃくちゃ違和感あるんだけど?
江戸だから?てか江戸ってそれ時代錯誤も甚だしくない?
っていうか、一番違和感ある、アレ───
人ならざるもの、いるよね?
「なになに?おねーさんガチの迷子なワケ?銀さんが送ってあげよーか?」
「なんで旦那が送るんですかィ、そこはおまわりさんの仕事でさァ」
「こいつらと関わってもろくな事ねーよ。銀さんが送ってやるって」
茫然と立ち竦んでいるけれど、頭の中はぐるぐると思考がうねる。
さっきまでと同じようで同じじゃない違和感の正体。
それは浴衣のように見えていた和服が着物や袴だったり、男性は髷を結っていたり、振り返った神社の外がまったく知らない街並みだったり……。
そして、明らかに人じゃない生き物がいた事だった。
「旦那に言われたかねーや。おい女、早く住所吐きやがれ。全て話したら帰してやらんこともねェ」
「いーやダメダメ。ダメだよ沖田君そんなナンパの仕方じゃあ、女の子はビビって逃げちゃうよォ」
「ナンパじゃねェ、職質だ」
青年の刺すような視線にびくりと肩を震わせると、「おー怖いねぇ」と半笑いで話す銀髪の男に、ガシッ、と手首を掴まれた。
え、と男を見上げようとした時には、腕を引っ張られた勢いで走り出していた。
蓮の糸
「じゃあ本当に、なんにも分かんねーわけだな?」
「……はい」
念を押すように確かめる目の前の男に、名前は項垂れてそう答えるしかなかった。
────目の前にいる銀髪の男。
彼の名は坂田銀時というらしい。
唐突に腕を取られ、全速力で走り駆け抜けた知らない街の中、突然止まったと思ったら『スナックお登勢』という店に押し込まれた。
声を出す余裕もないまま、肩を掴まれて視線が合うと、男は真剣な眼差しで問いかけてきた。
「お前、何者だ?」
何者かと問われるのはこれで二度目だ。
そんなことを聞かれるくらい、自分はここにそぐわない人間なのだろうか。
えどってなに?かぶきちょうってどこの?髷や着物や、刀はなんなの?
脳内を駆け巡る疑問を、次々と吐き出してしまいそうになるのをぐっと耐えて、名前はゆっくりと口を開いた。
「私は苗字名前といいます。さっきまで歌舞伎町にはいなかったのに、いつの間にか歌舞伎町にいて、というか、江戸というのが、ちょっとよく分からなくて……」
何をどう伝えたらいいのか分からないままで、要領を得ない話し方しか出来ず名前の声は尻すぼみになった。
「……名前……江戸が分かんねーって、お前、」
「おい銀時、アンタ祭りに行ってたんじゃないのかい」
男が何か話そうとした直後、店の奥から掠れた女性の声が聞こえた。
「なんだバアさんいたのかよ」
「いるに決まってんじゃないか、ここは私の店だよ」
「ちょっと場所貸してくれや。他の連中は?」
「あの娘たちもさっき祭りに行ったとこだよ。それで?その子はなんだい?」
奥から出てきたのは年配の女性だった。
また着物を着ているところを見ると、やはり和服文化のところらしい。
言葉は通じるし服装や街並みも知識として知ってはいるが、馴染みはなく時代錯誤が否めない所で、なんだかまったく違う世界に来たような気分だった。
(違う、世界……)
にわかには信じ難いけれど、その言葉がしっくりとくる感覚に名前は身を竦めた。
もしかして、自分の身にとんでもないことが起こったのではないだろうか……。
「あの……自分でもよく分かってないんですが、話を聞いてもらえますか?」
名前は改めて今までのことを振り返り、彼らに説明した────。
*
「……アンタの言う通り、異世界ってのに来ちまったのかもねぇ」
「おいおい、バアさん受け入れんの早すぎだろ」
「でもこの子が嘘ついてるようには見えないじゃないか」
彼ら、坂田銀時とお登勢と名乗った二人は、名前の話を聞き終わると呆気にとられた様子でしばし固まっていたが、徐に口を開いた。
ここは自分にとって異世界で、自分がいた世界とは明らかに違うこと。
名前の世界で江戸といえばそれは百五十年も前のことで、現在は髷や刀はなく着物も普段着ではないこと。
神社まではいつもの世界だったのに、鳥居をくぐった直後、突然この世界に来たこと……。
自分で話していても『こいつ何言ってんだ?』と思われてもおかしくないのにと感じるが、目の前の二人が黙って聞いてくれていたので、名前は落ち着いて全てを話すことが出来た。
ここでふざけるなと一刀両断されたら、もう誰を頼っていいのか分からない。
話を聞いてもらえただけでも、名前は感謝の気持ちで泣きそうになっていた。
「私自身も、信じられないでいるんですが……」
二人から聞くこの世界の話も、名前からしてみれば半信半疑にならざるを得なかった。
攘夷戦争で天人という地球に襲来してきた宇宙人が今は政府の実権を握っている、だなんて、名前の世界では考えられない話だ。
しかし実際、名前は人ならざるものを見た。
それに、名前自身も異世界から来たのだと信じてもらうには、彼らの話を信じるしかなかった。
非現実的な出来事に今までの常識がまったく通用しないだろうことを考えると、この世界にいて名前の話を聞いてくれる目の前の人達を頼る他ない。
しかし、この人たちをこのまま頼ってしまっていいのだろうか、という不安もあった。
迷惑をかけるのではという心配もあるし、そもそも頼ったところで応えてくれるとも限らない。
戻る方法を調べるにしても、何をとっかかりに調べたらいいのかさえもわからないのだから……。
先程からそんなことばかり繰り返し考えていた名前は、気づけばその不安定な気持ちを吐き出していた。
「酷い眩暈がして蹲ったら、違う世界になってたんです……正直、どうやって元の世界に戻れるのかも検討つかなくて……」
「じゃあ本当に、なんにも分かんねーわけだな?」
「……はい」
そして冒頭のやり取りになったのだった。
「……っんだよ、じゃあ完全に人違いだったっつーことかよ」
「え?」
名前と向かい合ってしばらく真面目な顔をしていた坂田銀時が、突然大きなため息を吐くとそう言ってソファにどかっと深く沈むように座り直した。
「えっと、坂田さん?どういうことですか?」
「……いや、ちょっと知り合いに似てただけだ。気にすんな」
天井を見上げたまま呟く彼は、どことなくほっとしたような、少し寂しそうな雰囲気を漂わせていた。
名前が首をかしげていると、カウンターでタバコを吸っていたお登勢が口を開いた。
「それで、アンタこれからどうすんだい。知らない世界なんだ、行く宛もないし路頭に迷うだけだろう」
「言っとくけど、この街はあまり治安がいい方じゃあないよ」と冷たく響く言葉に、名前は気持ちが沈んでいくのが分かった。
これは頼りにするな、という事だろう。
当たり前だ、こんな面倒なこと普通なら関わりたくないものだ。
重い腰を上げてソファから立ち上がると、名前は努めて平静を装いお礼を口にした。
「話を聞いてくださってありがとうございました。とりあえず街の中歩いてみて、これからのことも考えてみます。お時間取らせてしまいすみませんでした」
それでも、話を聞いてくれる人がいる、という事実はいくらか名前の心に勇気を与えてくれたのだ。
もしかしたらどこかにまた話を聞いてくれて、助け舟を出してくれる人がいるかもしれない。
自分でもそんな甘いこと、とは思ったが、その甘い考えのお陰でふとあることを思い出した。
「そういえばさっきの人、“おまわりさん”って言ってましたよね」
職質だと言って鋭い茶色い瞳を向けてきた、最初に声をかけてくれた青年のことだ。お巡りさんってことは警察で、警察はこういうときに頼るのではないだろうか。
名前にとっては今までの人生でまったく関わったことのない職種なので不確かだが、警察は悪人を捕まえるわけだし、故に街の住民の味方であるはずだ。
「こういう時はお巡りさんに頼るのが……」そう口を開くと、天井を見つめていた男が食い気味で声を発した。
「やめとけやめとけ。あんな連中に頼ってもなにも良いことねーよ」
「えっ、でもお巡りさんって……」
「とにかく、お前は当分うちに置いてやるから」
「そんなっ……」
「元はと言えば、俺が勘違いでお前さんのことココまで引っ張って連れてきたわけだし?」
合わさる視線が名前の不安を彼に伝えたのだろう。
「黙ってお世話になってなさい」と言って名前の前に立った彼は、名前の頭をガシガシと撫で回した。
その手は大きく、どこか懐かしいような、ほっとするような安心感があり、名前は身体から力が抜けていくのを感じた。
そんな彼のことを横目で一瞥すると、お登勢はひとつため息をついて「まずは服だね」と呟いた。
「アンタの世界じゃ着物はめったに着ないって言ってたが、こっちじゃまだ洋装のほうが珍しいんだ。たまの服貸してやるよ」
そう言われ、やはり自分の服装は目を引くのかと知る。
茶色い瞳の青年もこの服について怪しんでいたし、いまだ名前の頭に手を乗せている男もさっき珍しいと言っていた。
自分の格好を確認しようと視線を落とすと、足元にあった鞄が目に付いた。
(そうだ、携帯電話……)
徐にしゃがみ鞄を漁っていると、頭上で二人の会話が飛び交った。
「わりーなバアさん」
「何を今更言ってんだい。こんなことで謝るくらいなら滞納してる家賃とっとと払いな」
「その話は今してねーだろ」
「いつだってこの話してんだろうが、家賃も払えないアンタがどうやってその子の面倒も見るんだかねぇ」
「るせーな。んなもん、なるようになんだろ」
見つけた携帯電話を開くと、画面には圏外の文字が映っていた。
二人の会話を聞きながら、自分の存在は迷惑になるのではという不安、やはり圏外なのかという落胆、これからどうなるのだろうという懸念、様々な思いが胸中に渦巻き、名前はまた目眩に襲われた。
───あの時の強い眩暈が原因なのだろうか。
不意にそんなことが頭に過った。
でも、だからといって何が出来る?強く頭を殴られたりしたら、元に戻れる?そんなことなら、力いっぱい殴られでもして、いっそ……。
塞ぎ込む気持ちに目を瞑り、名前は深く息を吸う。
「坂田さん、少しの間でいいです。家事手伝いなんでもしますので、しばらく置いて頂けますか?」
「……あー、名前っつったか。そんな歳変わんねーだろ、敬語はいらねぇ。俺のことは銀ちゃんとか銀さんとかでいいから」
「そんな、お世話になりますので……じゃあ、お名前は銀時さんとお呼びしますね。どうぞよろしくお願いします」
手をひらひらと振って気だるそうに言う銀時に向かって、名前は深く頭を下げた。
この時、名前は自分の心に強く刻んだ思いがあった。
───いつか帰れると信じて生きること。
この世界に、馴染まないこと────。
scene.02 違う世界
2018/11/14
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