いつもなら昼まで寝ている私が、用事でもないのにあんな時間帯に起きるなんて、今思えば、天啓だったのかもしれない。
ルームメイトはすでにドゥエロの試合を見に行ったようで、私は適当に髪を手櫛で梳かしてまとめた。
一日の始まりは、朝食から始まると言っても過言ではない。が、今日は珍しく! 本当に珍しく(比較的)早起きしたので、食堂ではなく、キッチンに向かった。久々に、あの空間に立ってみたかったのだ。
入ってみればがらんとしていて、当然ながら、我が家とは何もかも違っていた。にぎやかなしゃべり声もなければ、ボウルの配置も違っていた。当たり前といえば当たり前だが、私はそれがなんだか悲しくなって、温かみが欲しくなった。寮のキッチンにも温かみが無いわけでも無いが、家庭的なものが無いのである。
大口叩いてしまったものの、エイムズが今どこにいるかどうかわからないし、食わせるすべもない。
私はランドからゼリーを取っただけになる。最低じゃないか。むむ、どうしたものか。
冷蔵庫を開けると、やさしい眩しさに思わずほっとする。冷蔵魔法がよく効いていて、涼しかった。ふと、ずらりと並んでいる卵が目に入った。それは私が一週間ほど前に課題で買い、結局余ってしまったものだった。卵は二週間ほどしか持たないと言う。来週はたぶん使う時間なんてないだろうし、そもそも二週間前の卵は使いたくないだろう。しばしの間考えたあと、私は卵を手に取る。
「そうだ」
作るなら、新鮮なうちに、と。
私はたまごサンドを作ることにした。きゅうりやらパンやらを見つけ、鍋はどこだまな板はどこだと探しだした。
──監督生に、キッチンの使用許可を取ることも忘れて、だ。
まずは卵を小さな鍋に入れ、お湯を沸かすことから始める。六分間鍋の水は最初、波動を含んだように揺らめき、徐々にぽこぽこと渦巻き気泡が立ち上り、その気泡も、小さなものから大きくなる。ふらふらと白い水蒸気が立ち上ってきたら、ちょうどいい。
沸騰したら、フタをかけて五分程度そのままにする。その間、きゅうりを洗い、輪切りにする。
きゅうりに塩をかけ、軽く混ぜて馴染ませる。少しそのままにしたあと、両手でぎゅっと水分をしぼりだす。しかしそのままたまごに加えると、また水分が出てきてしまい、ベチャッとした食感になってしまうため、丈夫なキッチンペーパーを引き、その上にきゅうりを並べて、えいえいっと押すのだ。
時計を見ると、五分をやや過ぎてしまったようだ。だが要は固まれば良いので、多少時間をオーバーしても気にしない。
ゆで上がったようなので、たまごを冷や水にさっと入れた。暖かくなったらその都度替えて、手で触れる温度になるまでやる。
「あっ……つくない」
ヒビを入れて殻をむく。それがなかなか面白くて、ペリペリと剥いて行くうちに、なんかの白い膜? みたいなのも取れた。
ゆで卵を柔らかいうちに、手でぐしゃっと二つに分け、スプーンで適当に潰す。わざわざ包丁で切ったりはしない。めんどうくさいから。我が家において、めんどうくさいは悪同然であった。避けて通れないものではあったが、好き好んで通りはしないのだ。
ほどよい大きさになったら、風が当たる場所で冷ます。その時、ついでにぱらぱらと、塩コショウを掛けて、味をつけておく。
水分が取れたら、たまごと混ぜ、マヨネーズを目分量で加える。これはきゅうりが出す水分にもよるので、様子を見ながら加えるのが大切だ。加減を間違えてしまうと、水っぽくなり、たまごの味が目立たなくなってしまうのである。
仕上げに、二枚の食パンにバターを塗り、片方の上に混ぜておいた具をたっぷり乗せる。二枚合わせ、食べやすいように半分に切ると、たまごサンドの完成だ。
白と黄色と緑の組み合わせはさわやかで、お弁当の中にある卵焼きのようにほっとさせるものがあった。二枚のパンがぎゅっと具をたっぷり包んでいて、ごろごろとたまごの黄色が顔を出す。
ふわりと香るたまごとパンの匂いに頬が緩む。パンは焼かなかったので、そのままもっちりと噛みごたえがある。はくり。一口食べるとやさしい味が口いっぱいに広がり、ぬくい具が溢れんばかりにはみ出しそうになった。たまごはごろごろと、きゅうりはプチプチとした感触がまたおもしろくて、ついつい手が進んでしまう。むにゅ、プチ、むにゅ、プチ。頭の中に咀嚼音だけがこだまする。ささやかな塩味がアクセントになる。
「私ってば最高」
このたまごサンドは、近年稀に見る出来だ。うふふと自惚れていると、ひょっこりとキッチンの外から人がこちらを覗いていた。
「何をしている」
「アッ」
しまった。真っ先に思いついたのはそんなことばかりで。なんせ私を見つけたのは、ちょうどエイムズだった。一気にどっと体が冷えた。優等生に見つかったことは、監督生に怒られることに直結する。ここは正直にいこう。
「たまごサンド作ってました……」
「見ればわかる」
ですよねー。
ふいに、私は目の前の青年をじっと見る。私とあまり変わらない背丈、広い肩幅、精悍な顔立ち、三日月色の髪。実際に目の前に立つと、わりと線が細いことに驚いた。
彼
それは、革命的な飛躍。私のエゴ。
天秤はぐらぐらと揺れる。できることなら穏便に済ませたいし、天才と評されるレイン・エイムズとは必要なとき以外関わりたくない。でもあの食生活は決して許されるものでは無いし、正されるべきだと思う。それでも、目の下の隈を見ると、食が細いのを見ると、私は居てもたってもいられないのである。なぜだか分からないが、えたいのしれない使命感が私を駆り立てる。
だから、これは。
私の、独りよがりな行動だ。そう、ランドとの約束を今、果たすのだ。
「飯を食えエイムズ!!」
「は?」
「最近、君の食生活をこっそり見させてもらったんだ。もやしとスープだけでちゃんと食べているとは言わない」
「おまえになんの関係が……」
「無いよ。だけど、見てられない。食欲がないわけでは無いんでしょう?」
エイムズは小さく頷いた。眉こそは不満げに顰められているが、目がちらちらとたまごサンドの方に視線が
「腹が減ってんのなら、食え」
押し負けられたのか、エイムズはたまごサンドを手に取る。
一口。
彼は小さく、毒味でもするかのようにもぐもぐと口を動かして噛み、そしてぐっとのみこんだ。ふと、彼の目尻がきゅっと和らぐ。その顔を見ると、彼も年相応の少年だと気付かされる。
だんだんと、その一口が大きくなり、文字通りもごもご頬張る。口角がかすかにふっと上がる。あからさまに綻んだわけでもないが、いつもピン、と張り詰めているものが消え去った気がする。
──そう、この顔が見たかったのだ。わかった気がする。私は、こいつが美味しそうに食べる顔を見るために今、ここにいるのだ。食べる姿を見ていると、私も思わずたまごサンドをほおばる。
「エイムズ、食べることは生きることだよ」
なんだか変にくすぐったい気持ちになって、私はつい、言葉をこぼしてしまう。
「もやしもスープも、パンだって立派な食べもの。だけど、ちゃんとした量を食べないと、体が育たないよ」
口から吸い込まれるかのように平らげていくエイムズを見ていると、清々しい気分になる。エイムズはなんだこいつ? とでも言いたげな顔をしていたが、私はいいものが見れて心が踊った。
さあてと立ち上がり、シンクに向かうと、エイムズが代わりにささっとやってきた。
「片付けくらいはやる」
「……あ、ありがとう」
私は食べかけのたまごサンドを持ったまま、少しぼうっとしてしまった。彼が慣れた手つきで皿をきゅっきゅっと小気味よい音を立てながら、どんどん片付ける姿に、デジャヴを感じたのだ。今日初めてまともに喋って食べただけなのに、ずっと昔から、私は彼を知っていたかもしれない。
半ば押し付けた形なのに、相手に片付けてもらっているのが申し訳なくて、私は横に立つ。
「私がいるから、大船に乗った気持ちで!」
「泥船の間違いじゃねえだろうな」
「そうなるかどうかは、まだ分からないよ」
あ、緩んだ。口の端にたまごの具もついてる。
一瞬そんなことを思っては、口に残るパンくずを手で拭う。洗い終わったものに乾燥魔法をかける。寮のみんなが戻ってきてしまう前に、隠蔽工作をしようじゃないか。
「……それ、寝癖か?」
「エッ、うそ!?」
鏡に写った自分の髪は、絵に描いたような大爆発した寝癖がついていた。
今思えば、私とレイン・エイムズとの奇妙な友情はおそらく、そこから始まったのだろう。あの時のエイムズの口の端についたたまごサンドの具も、私の類まれなる寝癖も、忘れることは無い。
その頃から、私はよく口にするのだ。
「飯を食えエイムズ!!」
──と。