・一緒に旅をした両片思い中の夢主への気持ちを諦めようとする杉元に、アシㇼパが気合い入れさせる話。夢主不在。半分くらいアシㇼパと杉元のこれからについての話。
・314話の東京から北海道に帰ってきて半年後くらい。夢主も杉元もアシㇼパの家で暮らしていて、アシㇼパもフチも夢主のことを家族同然に思ってる。
・一瞬杉元とアシㇼパの縁談の話や杉元←アシㇼパに取れる表現がありますが、この話のアシㇼパは杉元と色恋関係のない相棒でいることを望んでいます。
・その他諸々含め、おこがましく好き勝手に解釈してます。
「なあふぎもふぉ」
「んぁーに?あしぃぱふぁん」
新緑に彩られた木々を眺めながら、隣からの呼びかけに応える。柔らかな草の上に座り互いが頬張る携行食は、フチの仕事を手伝うため村に残ったなまえさんが罠の見回りをする俺たちの昼飯にと用意してくれたもの。同じ食材を使った料理は今の時期フチも家でよく作ってくれるけど、口内に程よく広がる味噌の味と香りがこの昼食の作り手を俺に実感させてくれる。
人数が一度に増えてフチさんも大変だろうから、と東京から帰ってきてからは一緒に出歩く機会が減った彼女。三人で過ごす時間が単純に減ってしまったことは正直言えばちょっぴり残念ではあるけど、家事や畑仕事も好きだと言うなまえさんが俺たちを見送り出迎えてくれる光景は、何度見ても見飽きなかった。
「いってらっしゃい」「おかえりなさい」なんて言いながら笑いかけられる度に胸の中が温かくなってほっと心がほぐれていくような、それでいてこそばゆくなるような。アシㇼパさんの頼もしさや安心感とはまた少し違う、でも同じくらい心地が良くてずっと味わっていたくなるような
──。
「モグ……んぐ、お前いつになったらなまえに求婚するんだ?」
「ぶふっ」
そんなふうに思考をほぼほぼ昼食とその作り手に割いていたものだから、アシㇼパさんの突拍子もない発言は水筒から飲みかけていた水を吹き出すには十分すぎる不意打ちだった。
「ゴホゲホッ、な、ど、なにさぁ唐突に!!」
「なーにが唐突だ、少し前にアチャポ(叔父)にも言われただろ」
「そ、それは…!」
言われた。正確には“アシㇼパとなまえ、どっちを嫁にするつもりなんだ?”だ。
「どっちと一緒になってもコタンのみんなで祝うぞ」と当然のように言ったマカナックルは「どっちともそんな関係じゃあないさ」と返した俺に何とも言えない顔を浮かべていたが、まさか話題に上がっていた当人からその話を振られるとは思わなんだ。
それなまえさんも知ってるの…?と確認する勇気を出せずにいる俺をよそに、アシㇼパさんは昼食を完食すると荷物から水袋を取り出す。
「あんまりもたもたしていたらどこかの男に先を越されるぞ。フチは前からなまえの縁談を探しているし、小樽の馴染みの店で息子や親戚の嫁に来ないかって話が出たことも一度や二度じゃない。この前だって用事で来ていた別のコタンの男がなまえに夫はいるのか聞いているのを見た」
「……」
さらりと告げられた茶話によって思い出した光景に、今の今まで穏やかだった胸に古傷をぐずりと抉られたような不快感が滲む。
波紋のように広がっていくそれをじっとやり過ごしながら視線を落とした手元には、昼食の最後の一口。それは金塊を巡り旅をしていたあの頃には想像することさえ烏滸がましいと思っていた、“もしも”の一端だった。
「
──俺は、さ。アシㇼパさんがこれから成し遂げようとしている役目を、相棒として隣で見届けたいと思ってる。
榎本さんはああ言ってくれたけど、この先何もかもが順調にいくなんてことはないと思う。これからアシㇼパさんが立ち向かわなきゃならない相手の中には、自分と違うものを頭ごなしに否定してくるような奴らもきっと大勢いる。そんな連中の曲がった性根を叩き直してアシㇼパさんの話を素直に聞けるよう手伝ってやるのは俺の仕事だ」
隣に顔を向ければ、陽の光に輝く神秘的な色がこちらを見上げていた。生まれた土地とか育ってきた文化とか、そんな違いを越えたどこまでも対等なその目の持ち主に向かって微笑む。
「俺たちは相棒だ。だからアシㇼパさんがこれからも困難に立ち向かう限り、俺も一緒に戦う。アイヌの文化を、俺たちの故郷を守るために、血を流さなくても俺にできることはまだあるはずだ。
……だから、このままでいいんだよ。きっと近いうちになまえさんに嫁に来てもらいたい、家に迎え入れたいって名乗り出る人間が現れる。なまえさんはそんな相手と一緒になった方が幸せなんだ。俺は
──俺には、彼女に当たり前の幸せをあげることはできないから」
「……杉元……」
一方的に言い切って、軍帽の庇を下げ視界を遮る。そんな俺をそれ以上追求することなく、やがて静かに荷物を整理し始めた気配を横に感じながら、最後の一口と一緒に燻る想いを飲み込んだ。
──そう、これでいい。
話は終わりだ。広げていた荷物を背嚢に仕舞い込み、「さ、そろそろ行こうか。次は大物が掛かってるといいね」なんてあからさまに空気を変えようとしながら腰を上げた瞬間。
「ふんっ゛!」
「イ゛ーッッ!!」
尻たぶを襲った強烈な衝撃に体勢を崩し地面に倒れ込んだ。本能で顔を上げれば見慣れた制裁棒を大きく振り抜いた格好のまま冷めた目がこちらを見下ろしていて、自分の身に何が起きたかをおおよそ理解する。
何すんだよアシㇼパさん!また力がついたねアシㇼパさん!後を引く痛みもさることながら相棒からの突然の暴力に動揺して次の言葉を決めかねていると「杉元、お前なまえのことは好きか?」なんて声が降ってきて、思わず「へっ?」と気の抜けた声が口から落ちる。
「私が聞きたいのは杉元が自分を納得させるための言い訳なんかじゃない。さっさと答えろ」
「…別に俺は言い訳なんて」
「杉元は何回叩き直せば素直になるんだろうな?」
「げっ、ちょアシㇼパさんまっ」
「ひとぉー」
「す、好きっ!好きですッッ!!」
議論の余地なく再び構えられた制裁棒から咄嗟に尻を隠し口走ったのは、さっき飲み込んだばかりの言葉だった。消化する前に吐き出してしまったそれは否応無しに耳の中へと入り込み、久方の雨のように全身へ沁み渡っていく。拒むことなんてできなかった。
ああそうだよ、好きだよ。好きに決まってるじゃないか。
「…どのくらい?どんなふうに?」
「……」
「誰にも言わないから言ってみろ。取り繕った綺麗事なんていらないからな」
ぱすっと制裁棒が手のひらに収まる音を聞きながら、目の前にあるブドウ蔓の靴を見つめる。
内に閉じ込めておくべきだと思う気持ちが消え去ったわけじゃない。だけどたった一度、目の前にいる相手だけになら、と思ってしまえばもう止められなかった。
「……誰にも、フチやアシㇼパさんにだって負けないくらい。
馬鹿な考えだって自分でも思うけど、なまえさんに降りかかる悪いこと全部から俺が守れたらいいのにって本気で思ってる。幸せでいてくれたらそれでいいって気持ちに嘘はないはずなのに、彼女に言い寄ってる男を見てるとハラワタ掻き回して俺と同じ思いをさせてやりたくなる。
……本当はこの先もずっと、どこの誰かも知れない奴なんかじゃなくて、俺の隣で笑っていてほしい。
──俺が、幸せにしたい……」
我ながら呆れるほどに無茶で自分勝手な願望。だけどそれは、間違いなく本心だった。
とてつもない情けなさとちょっとした開放感に浸りながら、緩慢な動作で座り直す。漂う空気に勝手に気まずさを感じていると、沈黙を掻き消すように小さな吐息が漏らされた。
「だったらまずはそれを本人に伝えろ」
「……」
それができない理由はさっき言っただろ。拒否の意を込め無言を貫く俺へ、アシㇼパさんは続ける。
「……私はこれから北海道や樺太のアイヌ、ウィルタ、それにキロランケの故郷に住む人たち……それぞれの文化がこの先も消えることなく未来に受け継がれていく道を探すと決めた。父やキロランケにソフィア、他にもたくさんの人たちから権利書を始め多くのものを受け取ったけど、それでも実現させるのは並大抵のことではないと分かりきっている。
フチのように愛する人と結ばれて家を守り命を繋いでいくという役目は、とても大切で大きな意義のあるものだと思う。
──でも、だからこそ今の私が選ぶことはない」
「……ああ。だから俺も一緒に」
「でもっ」
凛とした声に言葉を阻まれた。出会ったあの頃よりも一層深みと存在感を増した、無数の星々が散る瞳に射抜かれる。
「でもいつか私も、父と母のように愛し合い、やがて生まれる命を一緒に守り育んでいきたいと思い合える相手と出会うかもしれない。
それでも私は多分、役目のためにその相手と結ばれることを諦めようとすると思う。だけど杉元はきっと、まずは私が両方を選べる道を探そうとしてくれるんじゃないか?そして私が困難を覚悟の上で望めば、相棒として一緒にその道を歩いてくれる。……違うか?」
浮かべられた信頼に満ちた微笑みに、胸がいっぱいになった。否定なんてできるはずもなかった。
当たり前だ。アシㇼパさんがこの先の人生を夫婦となって共に歩んでいきたいと思う相手と出会った時には、役目と共に選んでほしい。アシㇼパさんが望む限り、俺たちが相棒であり続けることに変わりはない。
欲張って何が悪い。より幸せになってほしいと願って何が悪い。かけがえのないものを俺にくれた、大切な相棒なんだ。
「もちろん実際にどうなるかはわからない。でも誰かの妻にならなければ生きていけないほど私は弱くも孤独でもないし、私の幸せの形は私自身が決める。二人には今、よくある形で訪れたかもしれないだけ。
私も杉元と同じ気持ちだ。相棒が今より幸せになれるかもしれない選択があるなら、選ぶ前から諦めないで欲しい。杉元が望む限り私たちが相棒であることに変わりはないし、杉元の選択が原因で私が役目を諦めるなんてことには絶対にならない」
満ち満ちた胸が苦しい。それはなまえさんに感じる感情とは少し違う、でも同じくらい大切なもの。
結局またしても口を閉ざす俺へ、続けて穏やかな声が語りかけてくる。
「なあ杉元。網走で別れ樺太で再開するまでの間、私とお前は相棒じゃなくなったか?」
「……いいや」
「そうだ、離れていても私たちは相棒だった。それはこの先また同じことがあったとしても変わらない。
和人たちが今の私に持つ関心は権利書だけだ。杉元の言う通り始めのうちはまともに取り合ってすらもらえないだろう。でも私は、いつまでも杉元が一緒にいないと何もできない非力な存在でいるつもりはない。今はまだ足りないことも多いけど、すぐにどんな相手でも私の言葉を決して軽んじることができないようになってやる。だからその時はなまえと一緒に土産話を楽しみにしていろ」
そう言って不敵に笑う存在の眩しさに思わず目を細める俺を諭すように、頼もしい声は続く。
「なまえは私たちに見せてきたたくさんの強さを持っている。でも、本当はすごく寂しがり屋だ」
「……ああ」
「だったら本当の意味でひとりにならないように、あいつのことをちゃんと理解できる相手と一緒にいるべきだってことも分かるな?なまえは私と同じくらい新しい考え方ができる女だ。私や杉元のように受け入れられる奴が簡単に見つかると思うか?」
「……」
返す言葉もない。だってアシㇼパさんの言う通り、俺たち以上に彼女のことを理解できる人間がいるなんて思えなかった。
それでもいいと思っていたんだ。なまえさんのことを曲がりなりにも大事にできて、ありふれた暮らしをさせてやれる相手なら、と。大変なことは沢山あるだろうけど、それでも彼女ならささやかな幸せを見つけて暮らしていけるだろう。彼女がこの先も笑っていられたら、それだけで俺は十分で。だからそれまでは彼女と一緒に過ごすこの愛おしい日々を、大切に噛み締めていこう、と。
でも、今は
──。
大きく枝葉を揺らし爽やかな風が周囲を吹き抜け、庇を押さえ顎を引いた。でも今度はすぐに顔を上げて、随分と軽くなった心で二つの夜空と見つめ合う。
「……ありがとうアシㇼパさん。もう一度よく考えてみるよ」
「ああ。変な考えをやめたなら、杉元が同じ選択をしても私は受け入れる。杉元がなまえの幸せを願った結果なんだ」
「アシㇼパさん…」
「あと二人がこの先どうなってもなまえのことは私が一生面倒見るからそこも心配するな」
「えっ」
今までの会話全てを吹き飛ばしかねない発言に固まる俺。一方、アシㇼパさんは当然だと言わんばかりの顔で腕を組み鼻息を漏らす。
「なまえのことを大切に思っているのは私だって同じだ。少しの間離れることはあるかもしれないけど、遠くにいれば互いを信じて、必要な時にはそばにいて支い合えばいい。だからあいつに沢山食べさせてやることができて、私くらい大事にできるやつじゃないと夫だなんて認めない」
「じゃ、じゃあみんなこのままでも良いんじゃなぁい?」
「本人が望むなら話は別だ。
いいのか杉元ォ?お人よしのなまえが碌でもない男に騙されて簡単には会えない場所に連れていかれでもしたら、あいつが辛い思いをしていても私たちはすぐには気付けないんだぞ?」
「ぐぅっ…!」
「それが嫌ならさっさと思いを伝えろ。二人で夫婦になれ。そうすれば私となまえが離れ離れになることもなくなる」
「アシㇼパさん一番の目的はそれでしょ?アシㇼパさん?ねえ?」
白樺の樹皮のように白い上着の裾を引いて呼びかけてみるけど、そんな俺を曇りなき目に映すことなく制裁棒を片付け始めたアシㇼパさん。「早く立て、次の罠を見に行くぞ」との正論にどうにもスッキリしないまま立ち上がる。
「そもそもなまえが杉元の気持ちに応えるかは別問題だしな」
「ハイ」
忘れてた。というか思いを伝えるつもりなんてなかったから、あまり考えないようにしてた。至極当然の指摘に少し凹む。
嫌われてはいない…というか人としてす、好いてくれているのは分かっている。その気持ちの中に俺と同じ思いが、あの砂金の一番小さな欠片分だけでもあったりするんだろうか。
──あって欲しいと、願ってもいいのだろうか。
手掛かりが欲しくて今朝笑顔で見送ってくれた彼女を思い出してみれば、途端にきゅんと高鳴る胸。好き。かわいい。大好き。早く会いたい。
どうしよう、俺帰ってからも今まで通りの態度でいられるかな……。
「一回断られたくらいで諦めるなよ。また言い訳しながら逃げ帰ってきたらストゥもう一発だからな」
「はぃ…」
「フチほどじゃないけど私も家事や子守りは手伝えるから、子供は何人できてもいいぞ。猟も頑張って全員に腹いっぱい食べさせてやろうな」
「ぁえっ、ちょっ、アシㇼパさん気が早すぎだってばぁ〜」
音に釣られていとも容易く頭の中に広がる妄想。そんな“もしも”に嬉し恥ずかし背嚢の背負革をこねくり回す俺を平たい目で見上げながら、アシㇼパさんは大きな大きな溜め息を吐いたのだった。
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