どうせなら死ぬまで演じて

ファナリスの少女がファティマーから牢屋の鍵を受け取ったのを見届けたあと、盗賊団の頭領、S・ナンドはすぐに弟たちを連れて後を追おうとした。奴隷が逃げたら商売が成り立たない。幸い牢は地下だったので、出入り口を塞いだあとに麻痺毒性の薬草を焚き、彼らを無力化させてしまおうと考えたのだ。

外の部下を集めようと屋外へ出る。けれど、砦の正面の騒ぎに気付き、足を止めた。ファナリスも奴隷も地下に居る。ならあれは一体なんの騒ぎなのか。

自分の部下も混ざり何かを叫んでいる。何をしているんだと足を一歩進めたところで、直感が告げる。これ以上近付いてはいけないと。

次に聞こえたのは悲鳴、怒号。

S・ナンドは咄嗟に通路に身を隠す。国軍か、いや違う。この静けさは違う。これはまるで数日前の、ファナリスの子供が単身来たときと同じだ。なにやら嫌な予感が止まず、恐る恐る顔を覗かせた。

S・ナンドは目の前の光景に目を疑う。盗賊や奴隷商人が切り伏せられていき、姿を現したのは銀色。そして目に焼き付くような鮮烈な赤。

この土地では珍しい鋼鉄の鎧を纏った騎士がそこに立っていた。

血のように赤い外套を風に揺らし、高そうな剣からは同じ色の赤が滴っている。体格の良い盗賊達の間に居ると小柄に思えるというのに、遠目に見ているだけで圧迫感さえ感じた。

噂に聞く、妙な技―――魔法なんて使っていない。ただの剣技だ。だというのに、これまで一度も敵に負けたことが無かった手練の盗賊達が、いとも容易く斬り伏せられていく。もぞもぞと地で蠢いているのを見るに、死んではいないのだろう。殺さないように手加減をしてもなお、圧倒的な力の差がそこにはあった。

「―――バケモンだ」

震える体を必死に抑えて呟く。S・ナンドは後ろで同じように怯えている弟達を下がらせると、砦の裏口からアジトを離れた。商品よりも命を優先するべきだ。死んでしまったら何もかも終わってしまう。

「あんなのと戦ったら、命がいくつあっても足りねえぜ」

どうしてこう数日の間にバケモンと何度も遭遇しなければならないのか。出来れば二度と出会いたくないものだ、とS・ナンドは鎧とファナリスのバケモン二人を頭に強く焼き付けながら、アジトを足早に離れたのだった。




捕らえられていた全員が地上へ出ると、そこに待ち受けていたのは隊商の商人達と、彼らが雇った傭兵達だった。彼らは地に伏せって痛みに呻いている盗賊に戸惑っているようだったが、仲間の無事が分かると抱き合って再会を喜んだ。

アラジンとの再会に驚きつつ、ライラとサアサはモルジアナを抱きしめ涙を流した。モルジアナは困惑しつつも大人しくそれを受け入れ、ライラの愛ある説教を聞く。心配したんだぞと号泣するライラを、アラジンは微笑ましそうに見守っている。

「ハル!」

傭兵と共に盗賊達を捕縛していたハルに、サアサが声をかける。兜がこちらを向き、ハルが立ち上がる。その姿は数時間前、サアサ達の元を発ったときとなんら変わらない様子だ。

「あなたは大丈夫だった? どこも怪我していない?」
「ええ、なんともありません」
「そんな心配無用だぜ嬢ちゃん。なんてったってこのボウズ、盗賊団を一人で倒しちまったんだからな」

ハルと一緒に作業をしていた傭兵の一人がそう言うと、サアサは少しだけ青ざめて言った。

「・・・あれを、ハルが?」

サアサ達が駆けつけて見た光景は、血を流して倒れている盗賊や奴隷商人の積み重なった山だった。呻き声が耳に届いたときの、身震いするような感覚が今も消えない。

「おーい、サアサ! ハル!」
「! ライラ・・・・・・」

ライラがアラジンと二人で、サアサとハルに駆け寄る。モルジアナはナージャとその親子との別れを済ませている最中だ。

「モルジアナのこと、助けてくれてありがとうな」
「私の助けは必要なかったかもしれません。私が来る前に、捕まっていた人々はモルジアナの手によって助けられていたようですから」
「外の盗賊を倒したのはハルさんでしょう?」
「ええ。皆の安否が分からなかったので、少々手荒になってしまいました」

ライラ達の会話にサアサはハッと口を抑える。そうだ、そもそもハルが単独でアジトへ向かったのは、自分達がモルジアナのことを口にしたからだった。傭兵の到着を待たなかったのは、私達が不安で押し潰されそうになっているのを見たから。ハルの強さを知っていて、もしかしたら助けてくれるんじゃないかと期待していた。それなのに、この人を恐ろしいだなんて、私は・・・・・・。

「サアサ」
「!」

突然ハルに名前を呼ばれ、サアサは身を強ばらせた。上手く誤魔化すことも出来ず、ゆっくりと顔を上げる。

「怖がらせてしまい、すみません。女性に見せるべきではありませんでした」
「・・・・・・あなたが謝ることじゃないわ。・・・・・・モルジアナを、みんなを助けてくれて、ありがとう」

ハルが鎧の下で草色の瞳をそっと伏せるのを、サアサは見た。これまでは守られる側としてのハルの強さしか知らなかった。それが敵へ向けられるだけで、これほどまでに暖かさを失うのだ。かつて見たハルの優しさを思い出しながら、恐怖を抑えるように腕を掴む。この人は優しい人だ。盗賊に襲われていたところを助けてくれた。報酬も断って市場への護衛を請け負ってくれた。頼みを聞いてアラジンの旅に付き添ってくれていた。それなのに、どうして、震えが止まらないんだろう。