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◇◇
 
 ――はぁ。まぁ、こんなもんでしょう。
 彼女から投げつけられたタオルで全身を拭き終え、指定された籠に放り込む。そして一度脱いだパジャマを再び着直し、ノロノロとベッドの中に潜り込んだ。

 …ああ。布団も枕も、ふかふかで気持ち良い。マットレスも程良い弾力で、我が家にある物とは大違い。身体を拭く為のタオルだって、心地良い肌触りだった。一人暮らしとは言え、流石に上級貴族と言うだけあって、置いてある物全てが上質だ。部屋も広くて、天井も高い…ハハッ。オレが貧乏学生だった頃に住んでいた、学生寮の部屋とは大違いだな。

 これだけだったら、貴族と平民の経済格差をまざまざと見せ付けられているように思っただろう。しかし、オレの体型や状況に合わせて部屋を見繕ってくれた事や、わざわざ取り替えてくれた布団類、それに新品を下ろしたのであろうタオルから、客人に対する彼女の心遣いを感じられた。あの尊大な口の利き方からは、想像できないような。
 それに、オレが痛みに悶絶している様子を見て狼狽え、処置をしている間からずっと、申し訳無さそうな表情でオレを見続けていた。その上、処置が終わってからもボーッとしていて、酷く落ち込んでいた様子だった。

 天才でとんでもなく美人だが、傲慢不遜で他人に興味が無い、冷淡な女…ここに辿り着いてから、約2時間超。そんなイメージは、もうすっかり崩れ去っていた。
 確かに彼女はプライドが高く、態度だってとんでもなくデカい。だがそれ以上に、表情がコロコロ変わり、素直に褒めれば直ぐに顔を赤くする、優しくて愛らしい人だった。感情なんて何処かに置いてきたこのオレが、つい慰めたり、からかいたくなる程に。そもそも、誰かを「愛らしい」と感じた事自体、人生で初めてかもしれない。

 ああ、そういえば。彼女はオレの瞳を「綺麗だ」と言ってくれていたっけ。そんな事、取り立てて言われた事も無かったし、オレの開かれた瞳孔をそっちのけで、そんなコメントをする人間もいなかった。あまりの予想外の反応に、あの時は呆気に取られてしまったが…少し、嬉しいと感じてしまった。
 …『嬉しい』なんていう感情を抱いたのも、もはや何年ぶりだったかね。
 
 ──コンコンコン。

危うく微睡みかけそうになっていたオレの意識を、三度のノックが現実に引き戻してきた。
危ない危ない…また彼女に、頬を千切れかけさせられるところだった。彼女の抓りからの引っ張りコンボは、とんでもない威力だから。
 
「はい、どうぞ」
 
 身体を起こして返事をすると、ゆっくりとドアが開く。大きなトレイを持った彼女が部屋に入ってきたのと同時に、鼻腔を擽る良い香りが漂ってくる。その香りの元であるトレイを見ると、何やら食事が並んでいた。
 
「これは、何です?」
「さっき貴方が、まだ何も食べてないとか言ってたから…もうこんな時間だけど、胃に何も入れないよりマシかなと思って、作ってきたの。コテージパイと、スープ…良ければ、食べて」
 
 そう言うと、ベッドの下から突如テーブルが出現し、彼女はそのテーブルに淡々と料理とカトラリーを乗せていく。
これも、彼女の発明だと言うのか。まだ発表されていない技術を幾つも目の当たりにし、オレの頭は理解を追いつかせる事に必死だ。
彼女の頭脳は、本当にとんでもないな。
 
「…食べたく、無い?もう、寝たかった…?」
 
 ハッとして顔を上げると、彼女は不安そうな顔でオレの様子を伺っていた。いつまでもジッとテーブルを見つめて、料理に手を付けないオレに、何か思ったのだろう。先程までの彼女と打って変わったその様子に、オレの心は揺れ動いた。それが何を意味するのか、全くわからないのだが。
 
「いや。あまりにも美味しそうで、つい見てしまいました…有難うございます。食べても良いですか?」
「!うんっ、食べて食べて!」
 
 「私、料理だって上手いんだから!」と、一転して明るい表情で胸を張り出す彼女。そんな彼女に見守られながら、料理を口に運んだ。

 う、美味い…!こんなに美味い飯、一体いつぶりに食べただろうか?
 
「凄く…美味しいです。そもそも、肉を食べた事自体久しぶり過ぎて…料理まで上手いとは、器用ですね」
「えへへ、良かった!あのね、私コテージパイ大好きなの!でもね、本当はシェパーズパイの方が好きなんだけど、羊肉って好み分かれるし、今日はお裾分けで良い挽き肉貰ってたから、コテージパイにしたんだ!ね、ね、ドレッバーは羊肉好き?」
「んぇ?あ、ああ、まぁ。というか、そんなに食べた事無…」
「ほんと!?それじゃあ、今度はシェパーズパイも作ってあげるね!お肉変えるだけでも、全然違うから!何なら、ラムチョップだって作ってあげる!臭みが少なくて、美味しいラム肉売ってくれる所知ってるから、今度買わなくちゃ…あっ、でも私、お魚料理も得意でね…」
 
 オレが褒めた途端、彼女は急に饒舌になり、それはそれは嬉しそうにペラペラと話し始めた。
まさか、上流貴族出身の少女が自分で料理をして、しかもそれが好きだという事に、驚きを隠せなかった。彼女が興奮して好きだと語る料理の殆どが、イギリスの普遍的な家庭料理だった事も、予想外だった。
 
「意外ですね。アンタ程の人だったら、メイドでも雇って作らせるもんだと思ってました」
「私、他人を家に入れるの大嫌いなの。だから、誰も雇ったりなんかしない。でもそのおかけで、初めて自分の手で料理を作った時の感動を知る事が出来たの。料理もまた、科学なんだ!って」
「へえ。貴族ってもんはてっきり、一流シェフが高級食材で作った、ブルジョワな食べ物しか食べないもんだと思ってましたよ」
「やだなぁ、それは偏見だよ。まぁ、ああいうのも芸術的だし、素晴らしい技術だし、美味しいし、それもまた科学してると思うけど…それでも、昔から人々の営みを支えてる料理の方が、何だか心が暖かくなる気がして」
 
 はぁ…それは、上流階級の味も知ってるからこそ言える事であって、オレみたいな程度が低い人間には、到底理解出来ない感覚だな。誰だって、良い物を食べたいと思うもんだろう。それに、メイドを雇う事がステータスであるこの国に於いて、彼女の思考は珍しい。中流階級…いや、下流階級スレスレの人間ですら、無理にでもメイドを拵えて作らせるというのに。

 それでも、彼女の言葉に嫌味を感じられないのは、今の彼女が纏っている空気が柔らかいからだろうか?はたまた彼女が作る『普遍的な家庭料理』が、プロ級の腕前で一線を画していたからなのか。何れにせよ、天才の思考を理解しようとする方が難しい。
 
「ところで、本当に良かったんですか?他人を家に入れるのが大嫌いなのに、オレなんか入れちゃって」
 
 今更ながら、彼女が「この家には誰も入ってこない」と言っていた理由がわかった。正確には「誰も入ってこない」のでは無く、「誰の事も入れない」のだ。そんなに他人を家に入れたくないのであれば、犯罪者であるオレの事なんてもっと入れたくないもんだろうに。オレの事を知らないのであればともかく、職業まで知っていたのだから。

 すると、彼女から予想外の言葉が返ってきた。
 
「…あ、貴方は、良いの。貴方は…特別、だから」
 
 ボソボソとそう言った彼女の頬は、仄暗い室内の中でもわかる程真っ赤に染まっている。オレの顔を見る事が出来ないのか、視線を逸らしながら手をモジモジさせて、まるで何かを言いあぐねている子供の様にも見えた。

 しかし…特別?特別って、何だ?彼女にとってオレは、一体何なんだ?
 彼女と会った事なんて、今まであっただろうか?
 
「…あっ、そうだ。私、脱いだ服とかタオルとか、電動洗濯機君の中に入れてくるね」
「は?で、電動洗濯機君…?」
 
 またおかしな名前の何かが出てきた…ストレッチャー君の次は、電動洗濯機君か。確かに、洗濯機の自動化は研究が進められているが、今はまだ開発が難航していると聞いた事がある。
 まさか、彼女は作ってしまったというのか?その…電動洗濯機を。
 
「ふふん♪ちょうど、貴方が来る直前に生まれたばかりの子なんだ。私の服で試して成功したんだけど、一応サンプル増やす為にも、ご協力宜しくね」
 
 そう言いながら、彼女は部屋の外へと消えていった。

 …さらっと、オレの服を『サンプル』扱いしたな。オレの服が、変な風になったらどうするんだ?…そんなはずは無い、という事か。
 自分自身すら実験台にし、他人の物すらサンプル扱い。天才科学者とマッドサイエンティストは紙一重だと、つくづく思う。分からなくもない…かつてはオレだって、そうだったのだから。
 
「…あぁ〜…美味い…」
 
 しかし、このパイは本当に美味い。久しぶりのちゃんとした夕食に、普段とは比べ物にならない程の食欲が溢れてくる。
…おかわり無いかな、なんて。そんなもの、あるわけ…
 
「あ、そうだ!」
「ウワッ!?な、何です?」
「やっぱり、一人分だけ作るのって難しくて…これ、食べられそうだったら食べてね!」
 
 ご機嫌な様子で部屋に舞い戻ってきた彼女は、新しいコテージパイをひとつテーブルに置いて、再び去って行った。…彼女は、超能力者か何かか?
 一瞬、胡散臭い格好をして超能力を披露する彼女を想像し、そんな馬鹿げた思考を振り払うように頭を振った後、新しいコテージパイに手を伸ばしたのだった。
 

後編へ続く
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