──チュンチュン…
「ン…んん…」
オレの思考は、美しい鳥の囀りによって目覚めさせられた。いつの間に寝ていたんだろうか?2杯目のコテージパイを食べ終え、彼女に連れられて歯を磨き、それから…。
…どうやら、そこからの記憶が、抜け落ちているようだ。いや、ベッドに入った事までは辛うじて思い出せる。恐らく、入った途端にどうしようも無い睡魔が襲って、そのまま眠ってしまったのだろう。
でも、目覚めは悪くない。久しぶりに、ちゃんと寝た気がする。あれからずっと、マトモに寝られた試しなんて無かったから。
久しぶりの快眠に感謝しつつも、窓から射し込む光が眩しくて、モノクルを装着する。
…異常無し。車椅子は、ここか。…いや、歩けないか?
「………ッ」
歩けなくは無いが、腹部に力が入ると少し痛む気がする。神経質そうな彼女の事だ、「何で車椅子使わないの!?ドレッバー、おすわり!!」とか言ってきそうだ。…大人しく、車椅子を使わせて貰おうか。
ガラガラガラ…と、車椅子を動かし洗面台へと向かい、髭を剃って顔を洗った。鏡の中の自分は、相も変わらず顔色が悪い。
他に、何もする事無いしな…と思い、部屋に戻ろうとした。
すると、何処からか良い香りがしてきて、オレの鼻腔をくすぐった。この香りの元を辿るように車椅子を動かすと、彼女の美しい鼻歌が聞こえてきた。
ここは…キッチン、か。
「ふふ〜ん♪美味しい美味しい玉子ちゃん〜♪ぐるぐるぐるぐる、ぐるるるる〜ん♪」
もはや鼻歌の域を超えて、訳の分からない歌を歌い始めたぞ。歌声は抜群に良い…が、ネーミングセンスだけで無く、作詞センスも皆無か。こんな所で、思わぬ弱点が発覚してしまったようだ。
尤も、彼女にとっては痛くも痒くも無い事だろうが。朝から元気で、羨ましいものだ。
「ぷるぷるぷるぷる玉子ちゃん♪マフィンのベッドで寝転んで…あっ」
「アッ…お、おはようございまウグッ!?」
やっとオレの存在に気付いたかと思うと、その辺にあったらしい布巾を顔面に投げつけてきた。
折角顔を洗ったのに…酷い…。
「な、何よっ!居たなら、早く言ってよぉ!」
「いや、気分良いところに水差すのも、悪いでしょ?ミス・マキシア」
「もう、変な気遣っちゃって…おはよ、ドレッバー。朝ご飯、もうすぐ出来るからね」
「その先にダイニングあるから、そこにいて」と指し示され、大人しくダイニングへと向かった。一人で食事をするには広過ぎるであろうダイニングテーブルには、既にスープが二人分並べられていた。
そして、オレが車椅子で来る事を前提にしていたのであろう、椅子が避けられた場所に移動する。やっぱり、車椅子を使わなかったら色々言われてたんだろうな。
「はーい、お待たせ〜。今日の朝食は、エッグベネディクトだよ!」
頭の上に音符を踊らせながら、彼女はオレと自分の前にメインを置いた。ついさっき程まで鍋の中で踊らされていた卵がソースで彩られ、マフィンのベッドとやらで気持ち良さそうに寝転がっている。そんな卵の為の布団であるかのように、マフィンとの間に大きなベーコンが敷かれていた。付け合せには、サラダとソーセージがお上品に添えられている。
使われている食器も、流石に上質な物だ。オレだったら、飾り皿にでもしてしまいそうな程の美しい皿も、まるで使われるのが当たり前であるかのような顔を見せている。
大概浮世離れしてるなぁ、この人も。
「ふふっ、ドレッバーのお皿はね、良いの使ったんだ」
「おや、そうなんですか?気を遣わせて、すみませんね」
「ううん!お客様に提供する物は、何だって上質じゃないと。あっ、良ければ持ち帰ってくれても良いよ」
「いや、流石にそれは遠慮しときます」
気前が良いんだか、何なんだかわからない目の前の美女は、上機嫌な様子を崩さずに席に座り、ニコニコとオレの様子を伺い始めた。
料理の感想でも、待っているのか?まだ食べてもいないのに。
ああでも、これもそういうものなんだろうか。暫く外界と関わっていなかった上に、固定の相手を作ってなかったせいで、感覚がよく分からなくなっている。確かに、労うのは礼儀だよな。
「朝食、オレの分まですみません。朝からこんな良い物を食べるなんて、少し驚いてます」
「ん?ああ、良いの。昨日言ったように、ご飯作るの好きだし。ふふっ、気持ちだけじゃなくて、胃もビックリしちゃわないかな?胃がビックリしたら、どうなるのかな…うふふ」
「何でそこで楽しそうなんですか…でも、凄く美味しそうです。そう言えば、ソーセージが一本アンタより多いんですけど、間違えてません?」
「む!この私が間違えるわけないでしょ?敢えて多くしたんだから…沢山、食べて欲しいもん。あっ、もう一本要る?」
「いや、お気持ちだけ、で…有難うございます」
言いようも無い圧を感じて、大人しくもう一本貰った。お陰で、益々豪勢な朝食と化した様な気がする。
…食べ切れるかな、こんなに。
オレが困惑していると、「じゃあ、食べよ!」という掛け声の後、彼女はサラダをムシャムシャ食べ始めた。それに続いてサラダを食べた後、卵にナイフを通す。すると、中からトロリと濃い黄身が溢れ出し、オレの食欲を掻き立ててきた。
ふと視線を感じて顔を上げると、彼女は手を止めてジッ…と笑顔でオレを見つめていた。まるで、「早く食べて!」とでも言いたげに。
「ねぇねぇ、早く食べて!感想聞きたいの!」
「…ハイ」
とうとう口に出してきたぞ、この人。結局、黙ってる事が苦手なんだろうな。至極単純明快で、わかりやすい。こういう女は、本当に面倒だ…が、嫌いじゃない。
…いや、嫌いじゃないって何だ。嫌いも何もあるか。昨日出会ったばかりの彼女の事なんて、さほど知りもしないのに。
要らない思考に頭を振って、料理を口に運んだ。…ああ。わかってはいたが、美味い。朝から重たくならないようにする為か、全体的にバランスが良くて優しい味。ベーコンの脂も、くどくない。しかし旨みは逃がさず、口いっぱいに広がって…。
「凄く、美味しいです。店、開けそうなくらい」
「ほんと!?嬉しい…♪まぁ朝食だし、病み上がりの貴方の胃に負担がかからないように、色々工夫したんだぁ…良かった!」
オレの感想を聞いて満足したのか、彼女も料理を口に運んで美味さに唸っている。
アンタ、自分で作ったんでしょうに…自画自賛は当たり前ってか。冗談でも不味いって言ってたら、めちゃくちゃ怒られてたかもしれない。これだけ美味しいと、そんな冗談言う気も失せるが。
でもこの人、オレの事を考えて作っていてくれたあたり、やっぱり優しいんだろうな…多分。
「…有難うございます。アンタ、優しいんですね」
「や、優、しい…?う、うん!そう!私!超優しいんだから!やっぱり、賢い貴方にはわかっちゃうんだなぁ!」
胸を張る彼女だが、顔を赤くして、あたふたしてる。自分でもわかってました!って風を装ってはいるが、本当は言われた事が無かったのか…「優しい」って。一見順風満帆に見えるアンタも、天才故に難儀な人生を送ってんのかねぇ。そんな事は、オレの知った事では無いけれど。
そんなこんなで食事を終え、皿洗いを手伝おうとするも断られた。「怪我人は大人しくしてて」だと。うーん…また、やる事が無い。適当にフラフラしてるしか無いか。
彼女の手で軽量化されたのであろう車椅子を動かし、一階部分を見て回る。どうやら客室は、俺が使ってる部屋を含めて5部屋。その先に、やたらと広い浴室と洗面所があり、昨晩世話になった医務室近くに設置されている。昨日はそれどころでは無かったが、この家はこういう構造になっているのか。
…彼女はこんな広い家に、一人で住んでいる。部屋数なんか、持て余してそうだ。
寂しいとは思わないだろうか?でも、屋敷の方が広い事には違いないから、きっと慣れてるんだろう。そう思う事にした。
そして玄関付近に向かうと、何やら重々しいドアが鎮座していた。そのドアには、『研究室及び工房。他者、立ち入るべからず』と書かれている。
…天才科学者の工房、か。興味は、無くも無い。いや、正直に言えば興味はある。天才は普段、どのような場所で発明を生み出しているのか。
好奇心からドアノブに手を伸ばすも、何となく気が引けて手を引っ込める。とは言え、やはり…
「気になる?」
「うわっ!?お、驚かさないでくださいよ…」
「ふふっ、ごめんごめん。で、気になるの?私の…絶対領域」
すると、彼女は妖しげに微笑みながら鍵束を出し、重々しいドアとは対象的な、カチャリと軽い音を立てて鍵を開けたかと思うと、オレの返事を待つようにニコニコと見下ろしてきた。
…他者、立ち入るべからずでは無かったのか?
「…良いんですか?オレなんかに、手の内明かしちゃって」
「うふふ、良いの。言ったでしょ?貴方は、特別だって」
「はぁ…それじゃ、折角なんで」
「はい、わかりました…と」
「一名様ご案内〜!」と、高らかに言いながら上機嫌そうにドアを開け、車椅子を押してオレを部屋に迎え入れた。
そして、中に入った瞬間。オレの目の前に、とんでもない光景が広がった。