…これは、見る者が見れば涎が出そうになる程の工房だ。他人を寄せ付けない天才科学者の工房なんて、なかなかお目にかかれないのだから。
「…凄いですね」
「えへへ。ちょっと散らかってて申し訳無いけど。ドレッバーなら、ここ自由に使っても良いし、いつでも見に来て良いからね」
と、鍵束の中から一つ、やけにゴツい鍵を渡された。同じ物がもう一つ鍵束にあるということは、こっちはスペアキーなのだろう。
オイオイ、そんなにオレを信用して良いんですか?とでも言ってやろうかと思ったのだが、既に彼女はオレの元を離れて、自身が生み出した機械に頬擦りをしていた。
「何してるんです?」
「んふふ…我が子に挨拶」
おはよ〜電動洗濯機君!と一頻り頬擦りした後、他に鎮座している機械たちにも同じように頬擦りし、朝の挨拶をし始めた。その様子は、まるで可愛らしい生物を扱っているかのようだった。オレたちからすりゃただの発明品だが、彼女にとっては生物も同然なのだろう。
…変わってるな。
「毎朝、こんな事してんですか?」
「勿論!家族に挨拶するのは、当たり前でしょ?ほら、掃除機君。ドレッバーに、おはよ〜ってしようね♪」
と、彼女は嬉しそうに『掃除機君』の持ち手を掴み、オレに向けて声色を変え、「ドレッバーさん、おはよ〜♪」と言いながら振ってくる。正気か?と思ったが、まぁ彼女にとっては当たり前の事だろうし…下手に突っ込んだら、頬を千切られそうだ。オレは適当に『掃除機君』に挨拶を返し、それ以上追求することを辞めた。
「で、これが昨日言ってた生まれたての洗濯機ですか。結局、オレの服やら何やらはどうなったんですかねぇ」
「あ、そうそう!電動洗濯機君ね、『美味しかった』って言ってたよ!おかげで、全部スッキリ綺麗になったの。ちゃんと干してるから、安心してね」
「は…はぁ。有難うございます」
…いや。「美味しかった」って、何だ?
突っ込みたくなる気持ちを抑え、適当に車椅子を動かして工房内を見て回る。工房内に置かれた機材や薬品はどれも上等なものばかり。元々金がある人間は違うな…なんて卑屈に思ったりしながらも、置かれている数々の発明品はどれもこれも精巧で、流石だと言わざるを得ない。世の中、機材や薬品だけは一流でも、技術や研究成果が伴わない研究者など、腐る程いる。彼女…マキシア・ティアードは、何もかも伴っているのだ。
「…流石ですね。アンタが作った発明品は、どれもこれも美しい。噂通りなら、制作もアンタ一人でやったんでしょ?」
「ふふっ、勿論!自分が生み出す子達だもの、最初から最後まで自分の手で作り上げなきゃ、意味無いでしょ?」
「いや、一般的には機械技師に頼んだりするもんですよ…オレみたいな、ね」
そう言うと、彼女は一瞬何か考え込む様な暗い表情になったものの、すぐに元の調子に戻って、オレに目線を合わせてきた。
…昨日からたまに見せるその意味深な表情は、一体何です?
そう聞こうとした時だった。
「ねぇねぇ、作ってよ。私の為に」
「…は?」
「報酬は弾むから。あ、勿論研究デッチ上げの為になんかじゃないよ。…部屋に置いてた置き時計、壊れちゃったの。ここにあるのだけじゃ不便だし、普通の時計も嫌で。ねぇ、お願い!カッコ良いやつ、作って!」
と、車椅子から落とされるんじゃないかって勢いで、オレに詰め寄りながら懇願してきた。いや、オレなんかに頼まなくても、アンタだったらもっと良い物を作れるでしょうに。
…だが、天才科学者サマに懇願されるのも、悪くない。
「ハイハイ、わかりました…作りますよ、置き時計くらいなら」
「ほんと?ありがとう!」
「ただし、報酬は無くても結構です。アンタとの間に金銭のやり取りが発生したら、後々面倒な事になりそうだ。それに…ここで世話になる、礼もしたいんで」
そう答えると、彼女は驚いたような表情でオレを見つめ、視界から消えた――かと思ったら、突然世界がグルグルと高速回転し始めた!
「うおおおおああああッ!!??な、何ですかッ!?」
「う。この、名前も分からない感情のやり場に、困っちゃったの!」
「や、わ、わかった!わかったから、止めてくれぇぇええっ!!!!」
オレが絶叫してすぐ、暴れる彼女と共に車椅子は急停止した。
自分の感情が暴走したからって、何も他人を巻き込まなくても良いじゃないか…振り落とされて、死ぬかと思った…。
「ハァ…ハァ…アンタ…オレを、殺す気ですか…?」
「うう。そんなつもり、無いもん。気付いたら、体が勝手に動いてたの」
「いや、どういう事ですか…ハァ…」
「そんなつもり無いもん」じゃねぇよ…あぁ、クソッ。まだ、頭がグラグラする…。車椅子の手すりにしがみつく為に、久々に最大限の握力を発揮して、手も痛い…単純明快かと思えば、予測不能。何て人だ…。
「まぁ、ほら。こういうのも楽しいでしょ?アトラクションみたいで…あっ、良い事思いついた!」
「やめたほうが良い。今考えた事は、絶対に、やめたほうが良い。死人が出るぞ」
「えーっ!!私の天才的な発想に、文句付けんの!?うう、なんかムカつく!!」
「痛い痛い痛い!いや、ほんと!危険過ぎますから!!」
何が「こういうのも楽しい」だ!!幾ら昨日出会ったばかりとは言え、世話になったアンタを殺人者にさせたら、今後オレの寝覚めが悪過ぎる!!
もはや頬が千切れそうになるのも構わず、必死に止めると「仕方ないなぁ…」と妥協してくれた。
…この人、よくもこんな危ない感覚で、今まで事件起こさずに済んできたな。普段は、ストッパーもいないわけだろ?大丈夫なのか?
…オレが心配する事も無いか。
「しかしまぁ、アンタにも分からない事があるんですね」
「えっ?そんなの、無いに決まってるじゃん。全知全能のマキシア様に、分からない事なんて…」
「いやだって、さっき『名前も分からない感情』って、言ってたでしょ?クククッ…アンタも、人間ですねぇ」
「…うぅ〜〜〜ッ!!食らえっ!!」
「痛タタタッ!!痛い、痛いって!!」
再び彼女が満足するまで頬を強く抓られ、離された瞬間に猛スピードで車椅子を動かして距離を開けた。オレの頬、今頃真っ赤になってんだろうな…痛い。
気を取り直して車椅子を動かすと、グシャリと音がした。足元を見ると、何か紙を車椅子で踏んでいた事に気付く。少し退いてその紙を拾うと――それは、科学者にとっては誉高い賞の表彰状だった。
ギョッとして床を見渡すと、様々な表彰状や褒賞状が散乱しており、近くの木箱にも盾やら賞状やらトロフィーやらが、無造作に詰め込まれていた。あたかもガラクタのような扱いだが、どれもこれも科学者であれば憧れるものばかり…こんな光景、他の科学者が見たら泣くか、怒り散らすだろうな。
ふとすぐ横の棚を見ると、そこには他の景品とは明らかに扱いが違う、磨き抜かれている見知ったトロフィーが置かれている。隣には、幼い子供が書いたような手製の賞状と写真立てが、仲良く並んでいた。
写真立てに近付き、よく見てみる。そこには、彼女によく似た恐ろしく美しい──しかし穏やかな空気を纏った女性と、幼くも知的で、将来の美貌を約束されたような少女が写っていた。
「それ、気になるの?」
「あっ…いえ。すみません、これ」
「ん?ああ…良いの、こんなのは。また、片付けなくちゃ」
彼女は少し折れ曲がった賞状を受け取ったかと思うと、何の躊躇いも無く木箱の中に適当に放り込んでいく。それとは対照的に、棚に置かれていたトロフィーを大事そうに抱えた。まるで、赤ん坊を抱くかのように。
「これはね、王室科学技術賞を貰った時のトロフィーなの。これまでの私にとって一番意味がある、大切な賞だったんだ」
大切な賞、ね…オレだって、その賞がどんな価値を持っているのかわかっている。オレも、同じ物を貰ったのだから。
未練がましく、工房に置いている自分が滑稽だと思う。それでも捨てられないくらい、大切な物。今となっては、それだけがオレが科学者だった証だ。
感傷に浸っている間に、彼女はトロフィーを元の位置に戻し、代わりに写真立てを手に取ってオレに手渡してきた。
写っている女性を見れば見る程、彼女にかなり似ている。しかし、やはり身に纏っている雰囲気は違うもので、言動や立ち居振る舞いに少し棘がある彼女に対して、この女性は柔らかく微笑み、まるで聖母のようだという印象を受けた。
「この人はね、私のお母様なの」
「母親…じゃあ、この子供はアンタですか?」
「そう、小さい頃の私!お母様に似て、超可愛いでしょ?」
「…えぇ、とても可愛いですよ。よく似ている…アンタは可愛い上に知性が入っていて、尚良い」
「あう!?…う、うぅ…もう…っ」
彼女の反応が見たくて褒めてやると、彼女は顔を真っ赤にして狼狽えた。
予想通りの反応。自分で自分の事を可愛いって言った癖して、こういう所が面白い。
でも、抓られるか?と身構えたものの、彼女は何もしてこない。微妙な空気を変えるためか、彼女は咳払いを一つして、背筋を伸ばして話し始めた。
「お母様はね、とても優しいの。いつも私の事を考えてくれて、私がしたいようにしてくれる…穏やかで、暖かい陽だまりのような人。そこが、私とは違うところ。だって、私は…陽だまりには、なれないから」
そう言った彼女の瞳は、どこか寂しそうに陰りを見せ、ジッと写真の中の母親を捉えている。
何だか歯切れが悪くなった様子に違和感を抱きながらも、写真を返してやると、彼女は朗らかに笑った。
まぁ、何か事情があるのだろう。別につつく気は無い。オレに至っては、言えない事なんて腐るほどあるのだから。
…陽だまり、か。そんなもの、長らく感じた事無いな。
「……っ、ぁ…」
彼女が写真を戻しに行った途端、腹部にジワジワと痛みが広がっていく。もしかすると、薬が切れてきたのかもしれない。あまりにも効き目が長くて、車椅子移動なら大丈夫だと思っていたのだが、甘かったか。
声も出せず、傷口を押さえたまま動けなくなったオレに気付いた彼女は、急いで駆け寄って傷の様子を見てくれた。腫れているわけでも、傷口が開いてるわけでも無い。見た感じは、異常無さそうだ。
「薬、切れちゃったかな…部屋、戻ろっか」
その言葉に頷いてみせると、彼女は黙って車椅子を押して、部屋に向かった。オレに負担がかからないよう、ゆっくりと。
…ここで気を遣うなら、大回転なんかしなくても良かったのに。
「何か言った?」
「!?」
ここで頬まで抓られたら、たまったもんじゃない…オレはすぐに、思い切り首を横に振った。