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◇◇
 
 彼女が起きて早々、頬を抓られた挙句引っ張られるなんてなぁ。あの人、本当に力加減ってやつを知らない。他人にも、ああなのか?いや、やっぱり普段からああだったら『冷淡』とか『氷の女』なんて、言われないよな。あれじゃ、ただのじゃじゃ馬娘だ。

 キッチンに辿り着き、作っておいた朝食をトレイに乗せていく。寝る前に薬を塗った事もあり、傷口の痛みもだいぶ軽くなっている為、少し歩いて行動するくらいなら問題無い。まぁ、彼女が必要以上に心配しそうだし、移動は車椅子にしたのだが。
 しかし、昨晩の彼女には驚かされたな。理不尽な事をされて、それは駄目だとわからせる為に少し意地悪をしたつもりが、まさか泣かれるとは思わなかった。しかも、幼い子供のように、声を上げながら。

 結果として、オレと話が出来ると分かった途端、コロッと機嫌を直してくれたから良かった。話をすると言っても、殆ど彼女がペラペラと話す毎に、オレが相槌を打っていただけなのだが。それでも楽しかったようで、彼女は眠くなるまで、目を輝かせながらずっと話し続けた。これまでしてきた研究の事や、これからする研究の事。普段の生活や、好きな物や場所の事まで。全部、聞いてくれと言わんばかりに。
 勿論彼女は、オレにも話を振ってきた。聞いてどうするんだ?と思ったが、答えられる範囲で簡潔に答えてやると、それはもう喜んでいた。だから、良かったんだと思う…多分。

 …オレが思うに、あれは普段彼女が自分を抑圧してきた事による、感情の大爆発だったのだ。周りから期待され、抑圧されてきた結果、年相応に過ごす時期を失った事で、赤ちゃん返りでも起きてんだろう。
 確かに、オレは期間限定の同居人で、後腐れが無い。だから、あんな風になれるのだ。駄々をこねる、赤子のように。

 ああ、そうだ…思っていたより、彼女の距離感もおかしい。普段他人と接しないと言っても、今朝のアレは近過ぎるし、昨晩話を聞いている時も、オレにベッタリ引っ付いていた。
 警戒心が無さ過ぎるというか、何と言うか。その辺、指摘してあげるべきなんだろうか?頬を抓られる事覚悟で。
 …でも、今朝寝起きの彼女から『きれい』と言われて驚いたが、嫌な気はしなかった。きっと、オレの瞳の事を言ってくれたのだ。一昨日も綺麗だと言ってくれた、この瞳を。
 だから、至近距離で覗き込まれたのだって、嫌なわけじゃない。しかし、オレの心臓がもたない。やっぱり言うか…後で。
 とりあえず、早いところ持って行ってあげよう。彼女が、我慢できているうちに。
 
◇◇◇
 
 二人分の食事を乗せたトレイを持ちながら車椅子を動かし、ドアをノックしてからドアを開いた。すると、彼女は寝ながら顔をこちらに向け、ムスッとした表情で
 
「…遅い」
 
 とだけ言ってきた。
 事実、色々考えながらノロノロと手を動かしていたものだから、少し遅くなったような気がする。まぁ、食べて機嫌を直して欲しい。

 彼女が押していたボタンを押すと、ベッド下からテーブルが現れる。
 それぞれのテーブルに食事を並べ、彼女の上体をゆっくりと起こしてやってから、隣のベッドに戻ろうとすると、袖を掴まれ制止された。どうしたのか聞いてみると、彼女は黙ったまま近くのテーブルを指さしてきた。

 …あぁ、ここで食べろって事か。

 彼女の意図を読み取ったオレは、テーブルをベッド横まで引きずり、料理をそのテーブルに移動させる。オレがより近くに来た事に満足したのか、彼女はフフンと笑った。ベッドだって近いのになあ、とは言わないでおこう。
 
「うふふっ、美味しそう…♪」
「まぁなんて事ない、普通の朝食ですが」
「良いじゃん!何だかんだで、普通が一番良かったりするんだよ。ふふ〜…♪じゃあ、食べるね!」
「はい、どうぞ」
 
 彼女はお行儀良く、オレの返事を聞いてからカトラリーを手に取り、料理を口に運んだ。すると、彼女の口に合ったのか、ベッドの上でぴょんぴょん上体を揺らしながら、感嘆の声を上げた。そして、パクパクと夢中になって食べ進め始めた。
 
「おいひぃ〜!ドレッバー、貴方天才ね!とっても美味しい!」
「天才だなんて、そんな大袈裟な」
「ううん、本当に美味しいの!焼き加減も、味付けも、何もかも最高に良いの!あぁっ、他人が作った料理…こんなに最高って思った事、初めて!」
 
 うちのシェフより、料理上手い!なんて、それこそ大袈裟な事を言いながらも、ムシャムシャ食べている。こんなに喜んで貰えたのだから、少し多めに作っておいて良かった。これで当分、彼女の電池が切れることも無いだろう。
 
「ねえ、ドレッバー」
「ん?何です?」
「…ありがとう。色々、してくれて。お陰で、この一ヶ月凄く楽しくなりそう!えへへ、宜しくね」
 
 彼女は頬を赤く染めながら、満面の笑みでオレを見つめてきた。ふと、その笑顔はこの世で一番可愛らしく、綺麗なんじゃないかと思った。そして、どこか記憶の片隅に、ノイズが走ったような気がした。
 …気の所為、か。
 
「ええ、こちらこそ。宜しくお願い致します」
 
 オレが軽くお辞儀をすると、彼女は大変満足そうに「苦しゅうない」と言ってきた。
 何だ、それ。
 …まぁ、良いか。この1ヶ月くらい、付き合ってやらなくもない。

 こうして、オレたちの奇妙な同居生活が始まったのだった。


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