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 ◇
 
 焼き加減は…まぁ、こんなもんだろう。
 
 この家に来て、数日が経つ。傷の具合もだいぶマシになり、車椅子無しでも動けるようになってきた。尤も、あの人の前で歩こうとすれば「歩いちゃダメ!おすわり!」なんて言われるものだから、大人しく車椅子を使ってはいるが。
 だが、今は文句を言ってくる人がまだ夢の中にいる。それを良い事に、こうして朝飯を作っているのだ。
 
 ここ数年、飯なんてマトモに作った事は無い。食に対して興味なんて無かったし、そんな事に金を使うくらいなら、機材費に充てたかったから。普段食べる物と言えば、野菜を適当にぶち込んだ薄いスープくらいのものだが、今はそうもいかない。微かに残っている記憶を頼りに、なんとか作っているわけだ。
 家主に任せてぐうたらしているのも悪くは無いが、一応命を助けて貰った身だ。こうして匿ってくれているのだし、流石に何もしないというわけにはいかないだろう。
 
 …別に、この間作った朝飯を褒めて貰ったのが、嬉しかったからとかじゃない。オレは、そこまで単純な人間じゃない。ああ、違うとも。
 なるべく、変な借りは作りたくない。しがらみは、多くない方が良いから。
 ただ、それだけ。
 
「さて…起こしに行きますか」
 
 食器の準備だけして、自分に宛てがわれた部屋に戻る。
 どういう訳かは知らないが、あの日以来マキシア女史は、オレの隣で寝るようになった。彼女は何一つ気にしていない様子だが、こっちは全くもって落ち着かない。彼女が女性だから…というのもあるが、他人の温もりを感じて眠る事に慣れていないのだ。
 
 ここに来てからというもの、ずっと質の良い睡眠を取る事が出来ている。ベッドも固くないし、不思議な事に毎晩見ていた悪夢を見る事も無い。薬の副作用もあるだろうが、熟睡出来ている事は事実だ。
 だが、他人と必要以上に触れ合って来なかった身からすると、誰かが隣に居るという事実だけで落ち着かなくなる。目覚める度に現れる彼女の寝顔に、何度胸の奥がざわついた事か。
 
 そんなオレの気も知らずに、ベッドの中の小さな天才は、気持ち良さそうに寝息を立てている。朝日に照らされた彼女は、紗がかかったように美しい…と思うのと同時に、無警戒に見える穏やかな寝顔が、まるで子供のようだとも思った。
 
「おい、アンタ。起きてください」
「んぅ…むにゃ…」
 
 軽く揺さぶってみても、まるで起きる気配が無い。少し強く叩いてみても、身動ぎするだけでまた寝息を立ててしまう。
 全く、難儀な人だ。こんな様子で、今までどうやって生きてきたのだろう。まぁ、初日にはオレより早く起きていたから、起きられなくもないんだろうが。
 
 …仕方ない。待つか。
 
 結局、彼女を起こす事を諦めて、ベッドの中に入り直す。何をするわけでも無い。ただじっと、この人が起きるのを待つだけだ。
 暫く待っていれば…ああ、まつ毛が震えている。そろそろ起きる頃だろう。
 
 オレの予想通り、彼女の大きな目がゆっくり開かれた。露わになった美しい双眸は、まだ微睡みに蕩けて揺れている。その様子をぼーっと見ていると、彼女と目が合った。
 
「んうぅ…おはよ、ドレッバー」
「おはようございます。朝飯、出来てますよ」
「へへ、ありがと…ふぁ〜あ」
 
 彼女は一つ伸びをして、軟体動物のようになりながら起き上がる。オレもつられて起き上がろうとすると、「待て」の指示が来た。
 ああ、やっぱり。車椅子…面倒でも乗らないと怒られるし、素直に従うしか無いな。
 
「はい、どうぞ」
「どうも…じゃあ、さっさと顔洗ってきてください」
「うん、そうするね。ふぁ…おねむ…」
 
 まだまだ眠そうに欠伸をしながら洗面所へ向かうマキシア女史を見送り、再びキッチンへと向かった。
 
 しかし、おかしいものだな。女史の事をそんなに知らないはずなのに、もうすぐ起きるなんてわかるものなのか。
 まぁ、彼女が至極単純な人間だから、わかりやすいというだけかもしれないが。
 
 …いや、彼女の事はどうだっていい。今はただ養生して、早く帰れるようにしないと。
 元々1ヶ月休みを取っていたからと言って、丸々休んでいちゃ仕事に支障が出る。それに、いつ裏切られても構わないように、逃げる準備だって必要だ。
 
 確かに、彼女は信頼出来そうな人だと判断したし、暫くは世話になろうとも思った…が、飽くまで与えられた印象から推測して決めたまで。あのマキシア・ティアードが、想像していたよりも遥かに取っ付きやすい人間だった──判断材料はそれだけで、確証を得られたわけじゃ無い。だから、『信頼』できても、心から『信じる』事はしない。これまでも、これからも。
 
 不確定なモノに、縋りたいとは思えない。誰だってそうだろ?
 
「むにゅ…ふふっ、美味しそうな匂い」
「まだ眠そうですね。ちゃんと顔洗ってきました?」
「洗ったもん!もう…意地悪な貴方の分、つまみ食いしちゃおっと」
 
 彼女はぷくっと頬を膨らませた後、オレの皿に乗ったベーコンを一切れ、小さな口の中に放り込んだ。
 ゆっくり咀嚼して、次第に笑顔が浮かび上がっていく様を黙って眺める。別に、自分の分を取られた事はどうだっていい。どうせ、自分が作った物なんて"味がしない"のだ。食に対しての執着なんて、端から持ち合わせちゃいない。一切れどころか、全部食ってもらって構わないくらいだ。
 ただ、オレが驚いたのは…
 
「アンタ、貴族の癖につまみ食いなんてするんですね」
  
 泣く子も黙る、上流貴族出身なんだ。礼儀だとか、テーブルマナーだとか、そういった堅苦しいものを厳しく躾られている筈。小さい子がやって怒られるようなソレを、平気な顔してするのか…と、思わず面食らってしまった。
 
 そんなオレの言葉にキョトンとした後、女史は可笑しそうにクスクス笑った。

「貴族だとか、何だとか。そんなの、ここじゃ関係無いもん」
「関係無い、ですか」
「ほら、この家は私しか居ないし、他に誰か来るわけでも無いもん。お城の主である私が言うんだから、良いでしょ?」
 
 『城の主』と自分を評した女王様は、上機嫌な様子で着席して、ニコニコとオレを見つめている。
 
 全く、おめでたい人だ。どんな理想論を掲げようと、アンタが雲の上の存在で、オレみたいな存在は地を這う獣のようでしか無いという事実は、変わらないというのに。
 いかにも恵まれた人間の考えそうな事で、反吐が出る。
 
 …なんて、世話になっている身分で言えやしないが。
 
「でも、つまみ食いは行儀が悪いですよ」
「ゔ、それはそうだけど…だって、貴方が意地悪な事言うんだもん」
「それはそれ、でしょ。欲しいなら、幾らでもくれてやりますから」
「はぁい…じゃあ、1枚あげるね」
「別に要りませんし、オレから取った分返しただけでは…わかりました、貰います」
 
 断ろうとすると、またぷくっと頬を膨らまされたので、仕方無く貰う事にした。こうして風船のようになった後、決まって頬を抓られるから。このやり取りも、もう何回目になるやら。
 
 行儀が悪いと、犯罪者に窘められる貴族サマ。犯罪者相手に、頬を抓って対抗してくる淑女。詐欺師を許容し、警察に突き出さない全良な市民。インモラルな人間に、能天気に理想論を掲げる天才科学者。
 
 …おめでたいというより、単純に能天気な人なのかもしれない。
 
「どしたの?食べないの?」
「あ…いや、食べます」
 
 ジッと見つめてくる、宝石のような双眸。その視線に何だか気まずくなりながら、オレはやっと朝食を食べ始めたのだった。

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