バキバキ…ボキボキッ…ゴキッ…
「あ゛ー…」
久しぶりの、仕事以外の遠出――遠出といっても、すぐそこの森の中に行っただけなのだが――そのお陰で、身体中が凝り固まってしまった。ただでさえ常に固まっているような身体だっていうのに、さっきから伸びる度におかしな音が出て仕方ない。
あぁ、おかしな音が出るのは元々か。人間の身体から出るような音ではないよりは、まだマシなのかもしれない。
「むにゃ…もう食べられないよう…」
オレが身体中の凝りに悩まされてるってのに、外に連れ出した張本人はベッドで呑気に眠りこけている。一応オレに宛がわれた部屋で、オレが寝させてもらっているベッドなんだが。匿われている身では、何も言えやしない。
…というより、まぁ。毎晩無理やり入ってきては横で寝ているものだから、今更だ。起こす気にもならないし、起こそうとしたところで全く起きない事は、もうわかっている。頬を軽く叩いてみたり、優しく抓ってみたり、耳元で「起きろ」と言っても無駄。これまで何度試しても無理だったのだから、どうしようもない。ただひたすら、待つしか無いのだ。
しかしこの人、気持ち良さそうに寝るもんだな。一体、どんな夢を見ているのやら。
「おにく〜…」
「…何の肉ですか?」
「ぅ〜…うさぎさん…」
「今日は、ウサギのパイでしたっけ」
「うん〜…作ってぇ…」
「作り方を知りません」
「しかたないなぁ…ぐぅ…」
寝言は思えないほどの完璧な応答をした後、女史は深い眠りに入ったようだ。もう、寝息しか聞こえてこない。
実際、帰る前にウサギを狩ったし、「今日はウサギのパイにする!」とか何とか言っていた。狩ったのは彼女で、オレは上手く行かず盛大に転んだだけだったが。ははっ…笑えない。
「すぴ…すぴ…」
ピクニックなんて、面倒くさい事この上無い。大体、食事を取るなら外でなくても、家の中で食べれば良い。わざわざ何が起こるかわからないような森に出向いて、リスクを冒すようなことをするなんて、理解が出来ない。そこまでして、オレとピクニックしたかったっていうのか?
わからない。どうして、そんな思考に至る事が出来るのか。オレが助けを求めたのが偶然アンタだったってだけで、所詮オレたちは赤の他人だろう?通報しなかった上に、遊んだり出かけようだなんて思わないのが普通じゃないのか?アンタには、何のメリットも無いのに。
「…馬鹿だな、本当に」
彼女に言ったのか、それとも自分に言ったのか。自然と口から漏れた言葉の真意を、自分自身ですら測れない。わけがわからない。自分でもわからないのに、言葉が先に出るなんてことがあるのか?この人といると、わからない事だらけで戸惑ってばかりだ。
「女史…マキシア、さん…マキシア…」
気まぐれに、何度か名前を呼んでみる。依然として起きる気配が無い女史の髪を掬って指で弄ぶと、彼女は一瞬細い喉を小さく鳴らして、すぐに穏やかな寝息を立てた。
花冠、よく似合ってたな。
あんな物、作った事も無ければ貰った事も無かった。胸の奥がむず痒かったし、自分に似合うわけも無いから、直ぐこの人に返した。適当に被せたつもりが、この赤茶色の髪と白い肌に、色とりどりの花がよく映えていて。柄にも無く…綺麗だと思って…見蕩れてしまった。見蕩れるなんて、良い機械を見た時くらいにしか経験が無かったのに。
…わからない。わからない事が、恐ろしい。しかしそれ以上に、今まで経験した事の無い感情の名前を探す事が、酷く恐ろしいのだ。この世には、知らない方が良い事ばかりなのだから。
だが、敢えて答えを出すとするならば、単に"居心地が良い"という事になるだろうか。気が抜ける事で、「綺麗だ」とか「落ち着く」とか、そういったものを感じ取りやすくなるのかもしれない。
「…はぁ」
思案する事にも疲れてきたので、仕方なく隣で寝転がる事にした。隣と言っても、真ん中を取られている為に、ほぼ端の部分で無理やり寝る形だが。寝転がってモノクルを外し、彼女の顔を見ると、小さな口からヨダレを垂らしているのがわかった。
やれやれ…拭いてやるか。脳内で文句を言いつつ、指先で拭ってやると──パクリ。
「…!?」
「あむあむ…すや…」
彼女はオレの指を咥えて、そのまま寝息を立て始めてしまった。
いや、本当に何なんだこの人。どうしてこうなるんだ?…わけがわからない。抜こうにも抜けないし、このままでいろってか。はぁ。もういい、何も考えずにいよう。わけがわからなさ過ぎて、オレじゃ理解できないのだから。
…そう言えば、サンドイッチ美味かったな。だが、何故"懐かしい"と思ったのだろう?女史が作ったサンドイッチなんて、初めて食べたはずなのに。一般的にある味かと言われれば、そうなのかもしれない…が、そうでも無いかもしれない。何だ、この煮え切らない推測は。
まぁ、行った事が無い場所でも"懐かしい"と思う事があるともいうし、それと似たような事なのかもしれないが。
しまった。何も考えずにいようと思ったばかりだってのに、余計な事を考えてしまった。止めだ、止め。…って、こう言い聞かせるのも、ここに来てもう何度目になる事やら。
まぁ、でも…ピクニックというのも、悪くは無かった。天気は良かったし、花も綺麗だったし、サンドイッチは美味かったし、女史の反応も面白かったしな。また誘われたら、行ってやらない事も無い。ロンドンの天気は不安定だから、次はいつになるかわからないが…なんて、何を期待してるのか。
要らない思考に、一瞬でも高まってしまった鼓動に気付かないフリをして、オレはゆっくりと瞼を閉じた。