気付けばオレは、見た事の無い部屋にポツンと一人立っていた。目の前に置かれている鏡を見ると、上等なタキシードを身に纏ったオレが映っているじゃないか。
それだけでも異質だが、モノクルはいつも使っている物じゃないし、髪型も整えられている。そして何より、ここ数年で見た事が無いくらい顔色が良い。と言っても、クマは相変わらずだが。
まるで、オレじゃないみたいだ。
明らかに現実離れしている状況に戸惑っていると、部屋にスーツ姿の女性が入ってきた。
「準備が整いました。さぁ、こちらへ」
準備って…何の?
素朴な疑問をぶつける猶予は、どうやら無いらしい。そのまま荘厳な廊下を通過しながら、大人しく広い庭園に連れられてしまった。
こんな所まで連れてきて、何がしたいんだ?と思ったが、さっきまで質問する余裕も無かったんだ。今回だって、同じ事だろう。
そう解釈した結果、スーツ姿の女性に指示されるがまま、庭園の中心でポツンと立たされてしまった。
オレの他に、誰も居ない。そんな場所で、長いような短いような時間ずっと立たされ続ける。一体、いつまで立っていなきゃいけないんだろうか?
…とりあえず、現状を確認して整理してみるか。
ここは…ああ、あの教会か。外観は見た事あっても、中まで入った事が無かったから気付かなかった。あまりにも神聖で、入っちゃいけない気がして。
でも、ここに来る用事は何も無いはずだ。それなのに、どうしてオレはここにいるんだ?
それに…待つって、誰を?思いつくのは、マキシアただ一人だけなんだが。
…マキシアが居ないと、心細い。ずっと独りで生きてきたのに、あの騒がしくて我儘で、愛情深くて甘えたがりな彼女と居る事の心地良さを知ってしまったから。独りがこんなに怖いなんて、知らなかったんだ。
クソっ…何も分からない状況で、一人立たされたまま放置される身にもなってくれ。
そう思った時だった。
「イーノック、こっち向いて!」
待ち望んでいた声に、思わず身体が跳ねてしまう。でも、思っていたよりもすぐ後ろに居るらしい彼女の気配に、不安で震えていた心が落ち着いていくのを感じた。
早く、彼女に会いたい。その強い思いに突き動かされ、一つ深呼吸してから後ろを振り向く。すると…
「――――あ……っ」
オレの目の前に、純白のドレスを身に纏ったマキシアが現れた。
白い肌はレースに彩られて、触れ難い神聖さを漂わせる。それから、いつもポニーテールにしている、シルクのような髪は綺麗に編み込まれており、大人の女性らしさを醸している。
身に纏う上品なAラインのドレスも、彼女の美しさを際立たせていて素晴らしい。どれもとても似合っていて、まるで女神のようだ。
そして、薔薇色の頬と唇を携えた彼女の笑顔は、より一層美しく輝いている。ヒールのお陰なのだろうか?そんな笑顔が、いつもよりも近くに感じる。そのせいで、やっと落ち着いてきた鼓動が、再び高鳴って仕方ない。
なんて…綺麗なんだろう。
「わっ…!イーノック、とっても素敵!本当に綺麗で、格好良い…私の、自慢の旦那さん!」
無邪気な笑顔と態度はそのままに、オレに思い切り抱きついてくるマキシア。そんな彼女にオレは、ただ情けなく抱き締めて、小さな背中を撫でるくらいしか出来ない。
だが、そこでやっとオレは確信した。
ここは、夢の中なのだと。
オレたちは、こんな所で大々的に結婚式を挙げられる立場じゃない。だってオレは、犯罪者なのだから。
それに、彼女が着ているドレスも、今まで見た事が無い。ここに来るまでに見てきた物も、全く知らない物ばかりだった。
だから、これは夢なんだ。
オレの願望が生み出した、幸せな夢だ。
しかし、どうして見た事も無い物が出てくるのだろう?
いや…見た事が無いからこそ、却って夢の中に現れるのだろうか?
どれだけ考えてもわからないし、しっくり来ない。でも、
「ふふふっ♪」
この笑顔を見ると、何もかもどうでも良い気がしてくる。
夢なら、夢で良い。折角なら、この幸せな時間を楽しまないと。
「アンタも…とても綺麗です。まるで、ダイヤモンドのように。いや、この世の何よりも…」
いつもなら言えない歯の浮くような台詞も、マキシアの目を見てすらすらと言える。
羞恥心も体裁も、何も気にせずにいられるんだ。
だって、ここは夢の中なのだから。
「ほんと?えへへ、嬉しいな…」
モジモジしながら照れる彼女が愛らしくて、堪らず綺麗な額にキスをする。予想外の出来事に目を丸くする彼女を見て、少しの優越感と溢れる程の愛おしさを感じた。
そして、オレは…思わず涙を零していた。
「わ!どうしたの!?は、ハンカチ…」
「あぁ、いえ…持ってるんで大丈夫ですよ。すみません」
何故持ってると思ったのかはわからないが、何せここは夢の中。オレがあると言えば、あるに違いない。
その予想は当たっていたようで、ポケットをまさぐるとハンカチが出てきた。夢ってのは、何とも都合が良いらしいな。
「ハンカチ、貸して!拭いてあげる」
「えっ……あ」
自分で拭こうとするオレの手からハンカチを奪い、涙を拭おうと背伸びしながら腕を伸ばしてくる。
ヒールで背が高くなったとは言え、まだまだ届かないってのに…その健気さに擽ったくなりながら、お言葉に甘える為に屈んで拭ってもらった。
「ん…すみません、世話かけて」
「良いよ。病める時も、健やかなる時も一緒!何度だって、拭ってあげるもん」
「ククッ…今のは、嬉し涙ってやつですけどね。ありがとうございます」
一言礼を言って柔らかな頬にキスをすると、彼女の顔はみるみるうちに真っ赤になってしまった。
こんなキザったらしい事も、普段は絶対に出来ない。現実のマキシアも、同じように真っ赤になってくれるんだろうか。
…なってくれたら、嬉しいなぁ。
「泣く程、喜んでくれたんだ。良かったぁ…自分が着たかったのもあるけど、貴方に綺麗って言って貰いたくて、それから喜んで貰いたくて、ドレス選び頑張ったんだもん」
「…そうですか。嬉しい事言ってくれますね。アンタの事、益々好きになりましたよ」
「んぇっ!?あ、あう…私も、イーノック大好き…!」
目の前の恋人――もとい妻が、あからさまに照れて蕩けている。液体になりそうな程トロトロになっている彼女を支えるように、オレは再び抱き締めた。
いつもマキシアから「好き」って言って貰ってる分、こういう時くらいオレから言わないと。普段から先に言えば、こんな風に可愛い反応をしてくれるんだろうけど。
…現実のオレは、そんな事軽々しく言う資格なんて無いから。
「ねぇ、イーノック。――――」
腕の中の彼女が何て言ったのかを聞き取ろうとした直後、場面が一瞬にして切り替わった。