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「──ん゛…んん…っ」

天窓から朝日が差し込んで、オレの意識を覚醒させる。気怠い身体を起こせば、ヒリヒリする背中と鈍い腰の痛みによって、あの出来事は夢だったのだと思い知らされた。

「…イテテテテ」

試しに思い切り頬を引っ張ってみても、やっぱり痛い。現実逃避でしか無い、バカげた行動をとった自分に、心底呆れてしまう。
何をしようと、現実はこちらの世界だというのに。

「…やっぱり、夢か」

そんなオレの呟きが、静かな部屋に響く。
わかっていても、認めたくなかった。あの幸せな光景が、全部夢だったんだと。でも、これが現実なんだ。それは、オレが一番わかっていたはずで。

夢じゃなければ良かったのに。
…なんて、馬鹿だなぁ。

「んぅ…ふぁ〜ぁ…えへへ、おはよ」

隣を見ると、寝ぼけ眼のマキシアがこちらを見上げている。まだトロンとしてはいるが、ちゃんと自力で起きられたようだ。

「あー…おはようございます。すみません、起こしてしまいましたね」
「んーん。いつも貴方に起こしてもらってばかりで、悪いからさ。だから今日はね、ちゃんと自分で起きたの!」

思い切り伸びをした後、オレの憂鬱など露知らず、褒めて褒めて!と言わんばかりにニコニコしているマキシア。そんな彼女の無垢さに、思わず笑みが零れてしまう。

知ってんですよ。本当は自力で起きられるのに、オレに甘えてぐっすり眠ってる事。

「…そうですか。偉いですね」
「んふ〜♪」

わしゃわしゃと頭を撫でると、甘え声を出しながらこちらに擦り寄ってきた。
いつも憂鬱になる朝も、アンタがいると明るくなる。次の日を迎えたくなくなる夜だって、アンタがいる時は寝つきが良い。
…ずっと同じ朝を迎えて、同じ夜に溶ける事が出来れば良いのに。

「…ねぇ、どうして泣いてるの?」
「えっ…?」

彼女に言われて、一瞬時が止まる。その時、ようやく右頬が濡れているのを自覚した。試しに左頬を拭ってみても濡れてないし、涙が出ているのは右目だけらしい。

あんなに幸せな夢を見たから、泣いたっていうのか。それも、右目だけ。無駄に器用というか、訳が分からねぇ造りしてるよなぁ。

「…夢を見たんです。それはもう…泣きたくなる程に、幸せな夢をね。」
「夢…?それって、どんな夢なの?」

心配そうに見つめてくるマキシアの頭をもう一度撫でてから、一つ深呼吸をする。
心を落ち着けてからでないと、感情を留めているタガが外れそうで、上手く話せないだろうから。

「…オレたちが、結婚式してたんです。アンタは綺麗なドレスを着て、お互いの姿を見て幸せを実感して、多くの人に祝福される…そんな結婚式です」

そこまで言った後、思わず深くため息をついてしまった。
わかってはいたが、夢の内容を改めて口にすると、あの時の幸福感が蘇って虚しくなる。それに、自分の無力さを実感して、彼女への申し訳無さに苦しくて堪らない。

現実では出来ないからって、あんな夢を見て自分を慰めるようになるなんて。
…どこまでも、愚かな。

「わかってます。オレは、バカだって。だって、そんな事出来るわけが…」
「バカじゃないよ」

オレが全てを言い終える前に、彼女はハッキリと、芯のある声でそう言った。
この人は、オレの気が沈む度に慰めてくれる。きっと、今回だってそうだ。
違う!こんな事を考えるオレがバカだ。正夢にもなり得ないのに。そう言おうとしたものの、

「だって、私も見たもん!同じ夢!」

その言葉に、一瞬思考が停止してしまった。

同じ夢を見た…?バカな…そんなはずが無い。そんな非科学的な事、起こるはず無いだろ!

そう思っても、マキシアの表情は真剣そのもので、オレは何も言い返せなかった。
有り得ないとわかっていても、そんな小さな奇跡が起きていた事を、心のどこかで信じていたかったから。

「…本当に?」
「うん!私たち、挙式の前にお互いの姿をお披露目して、挙式後皆にお祝いされてたよ。夢の中のイーノック、とっても積極的だったな。あんなに大勢の人の前でお姫様抱っこまでしてくれて、驚いちゃった!でも、とっても嬉しかったよ」

嬉々として語ってくれるマキシアを見ながら、オレの心はザワザワと落ち着かなかった。
確かに流れも似ているし、オレは夢の中で彼女を横抱きにした。
でも、マキシアの発想が夢の内容と偶然被っていただけかもしれない。そうに違いない。
そう思う事で、心の安寧を保とうとした。非科学的で、何も意味を為さないという事を知りながら。

「同じ夢を見るなんて、奇跡だよ!そんな事、普通じゃ有り得ないもん。だから…」

途中から尻すぼみになり、言い淀む。しかし、直ぐに居直したマキシアは、オレを真っ直ぐ見つめてこう言った。

「…正夢になるよ。絶対に」

その声色は柔らかくて、表情もとても穏やかで―─しかし、涙を堪えているようでどこか脆い。そんな印象を受けた。

…ああ、やっぱり。やっぱりオレは、マキシアにあの笑顔をさせてやれない。
同じ『幸せ』を感じる表情でも、夢の中の彼女は、『幸せ』が弾けるような表情をしていた。
だが、目の前のマキシアはどうだ?見るからに、オレに気を遣っている。オレを元気付けようと「正夢になる」なんて言って、健気に笑って誤魔化して。

彼女だって、バカじゃない。きっと、叶わない夢だって事はわかってるはずだ。それなのに、オレの為に優しい嘘をついて、希望を持たせようとしてくれている。ひょっとしたら、自分に言い聞かせているのかもしれない。

こんなの…例え『幸せそう』に見えたとしても、きっとその感情は『幸せ』じゃない。
オレは愛する人に、まやかしの『幸せ』しか与えられないんだ。

「不安にならなくても、大丈夫だよ。私は、どこにも行かないよ。ずっとずっと、一緒だもん。ね、イーノック!」

いつの間にか、穏やかに明るく振る舞うマキシアの小さな手が、震えるオレの手を包み込んでいた。
冷たく骨張ったオレの手とは正反対な、暖かくて柔らかい彼女の手。オレよりも遥かにか弱いはずのその手が、オレの心を守ろうとしてくれている事を実感する。

なんで…?どうして…?
本当は、オレが守らないといけないのに。
オレが、幸せにしないといけないのに。
オレが、沢山のものを与えないといけないのに。
それなのに、何も出来ていない。アンタに、何もしてあげられてない。
こんなに落ちぶれて、どうしようも無い程情けない男に、どうしてここまでしてくれるんだよ。

幸せに出来ない。それを知りながら、アンタを解放してやる事さえ出来ない。そんな男なのに。

そんな込み上がる罪悪感に耐えられず、夢中になってマキシアを強く抱き締めてしまった。

「ごめんなさい…不甲斐ない男で…本当に、ごめんなさい…」

今度は、両目から涙が溢れ出す。叫びたくなる衝動を、腕の中の恋人を締め付けるように抱く事で、必死に抑え込んで誤魔化した。
これ以上、惨めになりたくなかった。でも、堪えられる程の強さを、弱いオレは持ち合わせていなかったんだ。

「…大丈夫だよ。私、本当に幸せだよ。だから…これからも二人で一緒に、ずっと幸せでいようね」

夢で聞いたのと、同じような――しかし、全く響きが違うその言葉に、余計胸が苦しくなる。
「一緒に幸せでいよう」だなんて、そんな無責任な事は言えない。
ここは夢の中じゃない。
間違いなく、現実なのだから。
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