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信じられなかった。
信じたくなどなかった。
あの明るい妹が、不治の病に蝕まれているなど。
そんなことはあり得ない、あり得るはずがないと、言い捨ててやりたかった。
だが、日に日に痩せていく千春の姿が、病であることをより明確にしていく。
「兄さまったら、またそんな暗い顔をしてる。せっかく晴れているのに、もったいないわ」
寝具から上体を起こしていた千春は、明るく笑った。
たまにこうして顔を見せれば、病を患っていることすら忘れそうになるほど、この腹違いの妹は明るく振る舞う。
俺と千春は兄妹とは言え、容姿は全くと言ってもいいほど似ていない。
母が違うということもあるだろうが、千春は生みの母によく似ていた。
俺の義母にあたるあの女も黒い髪と瞳を持っていたし、千春もそれと同じ色の髪と瞳を持っている。
「朝餉が喉を通らなかったというのは、本当か?」
今朝、千春の世話をしている者がそう言っていたことを思い出して尋ねると、千春は眉を下げて微笑んだ。
「全く喉を通らなかった、という訳じゃないわ。少しくらいは食べられたし、それに今朝は食欲があまりなかったもの」
口ではそう言っているが、おそらくほとんど吐いてしまったというのが本当なのだろう。
最近どんどん食が細くなり、無理矢理食べたとしても吐いてしまうそうだ。
その証拠に、様子を見る度に千春は細くなっている。
「あのね、兄さま」
「どうした」
「私ね、もう不知火に会わないことにしたの」
千春は庭を眺めながら、そう言った。
その顔に浮かぶのは微笑みだが、寂しさが滲んでいる。
そのことも、俺は既に知っていた。
昨日だったか、千春の見舞いに来ていた不知火がそう言われたと、俺に話したからだ。
「でも、納得してもらえなかったみたい。きっとまた来てくれるでしょうから、もし不知火が来ても、絶対に私には会わせないで」
「理由を言わねば、納得しないのは当然だ」
そう言うと、千春は肩を竦める。
「だって、病に蝕まれてやつれていく姿を見せたくないなんて言っても、きっと会いに来るもの。すごく優しい人だから、不知火は…」
不知火と千春が、お互いに好意を抱いているのはもちろん知っていた。
二人の仲を知った当初は不知火に詰め寄ったりもしたが、今では許しているつもりだ。
不知火にとって千春がどれほど大切な存在であるか、あいつの行動を見ていれば分かる。
柄じゃないと言いながらも、見舞いの度に千春に土産を渡し、外へ出れない千春に自分の見たものを話して聞かせているのだ。
そして千春も、不知火の話を楽しげに聞いては、もらった土産を大層大事にしまいこんでいる。
今も、千春の手には、不知火からもらったものであろう簪が握られていた。
「不知火が来てくれることが、嫌というわけじゃない。むしろ、すごく嬉しい。だけど、このままではいけないって思ったの」
もう千春は微笑んではいない。
手にした簪を見つめながら、静かに涙を流していた。
「私はもう長くない。お医者さまも長くて数ヶ月だって仰っていたし、何より、自分で分かるの。きっとそのうち、こうして起き上がることだってできなくなってしまう」
だから、と千春は続ける。
「もう、不知火とは会わない。彼が最後に見た私が病に蝕まれた私だったら、嫌だもの」
そう言って涙で頬を濡らしながらも、千春はまた微笑んで見せた。
それから一月と経たずに、千春は息を引き取った。
最期に、幸せだったという言葉だけを残して。
その数年後の池田屋で、俺は千春と同じ顔、同じ声を持った女を見つけた。
俺に刃を向けたなまえと呼ばれた女は、どこまでも千春と同じだった。
なまえという名と千春に瓜二つな容姿を手掛かりに、その女の身の上を詳しく調べさせた。
どこで生まれ、どこで生活をしていたのか。
とにかく、あの女の正体を掴みたい。
あそこまで似ているなど、他人の空似などでは考えられない。
可能性があるとすれば、死んだはずの双子の妹の方だとしか思えないのだ。
「おい、風間」
背後からかけられた不知火の声に、思考を止めて振り返らぬまま口を開く。
「どうした」
「公家御門で、千春に瓜二つの女を見た。お前が言ってた女っていうのは……」
「おそらく、死んだはずの片割れだろう」
調べさせていた者によれば、あの女は新選組局長の近藤という男の家に預けられた身だという。
その前は別の家、そしてその前も別の家と、多くの家を転々としていたらしい。
それを辿って行きついたのは、山奥の小さな忍の村。
その村は随分前に全焼したようで、朽ちた焼け跡が残るばかりだとか。
そこまで聞けば十分だった。
あの迷信に囚われた愚かな父が、千春の妹を始末する為に火を放った村というのが、その村のことだろう。
「何があったか詳しくは知らぬが、生き延びていたのだろう」
「どうやら新選組の隊士らしいが…まさか、自分から志願して隊士になったんじゃねえだろうな」
「新選組局長の近藤という男の家で世話になり、奴らと共に京へ来たようだ」
よりによって、幕府の犬などの元に。
不知火も同じことを考えていたようで、舌打ちが聞こえる。
「だが、何にせよあれはこちらの者だ。本来、我が一族に連なる者であることに変わりはない。いずれ、風間の姓を名乗らせる」
「そうは言っても、どうするつもりだ?あの様子じゃ、自分の正体すら分かってねえだろうよ」
それが問題だった。
あの様子では、自分が鬼であるということも知らぬだろう。
雲居の血を持つ鬼の治癒力は、人間程度しかない。
その血に秘められた力さえ知られなければ、人間に紛れて生活することは容易いことだ。
かと言って、このまま奴らと行動を共にさせるわけにもいかぬ。
あの血は、幕府の人間共も喉から手が出る程欲しているはず。
雲居の血が手に入らないからと言う理由で、奴らは紛い物の鬼を作り出し始めたほど。
もしあの女の素性が露見すれば、幕府は間違いなく利用しようとするだろう。
それだけは、何としてでも防がなくては。
「…時を見て、幕府の犬共から取り戻す。その時は、お前も来い」
「ああ」
それだけ呟いた不知火に、視線を向ける。
何か言いたげにしているその男は、いつにも増して真剣な表情を浮かべていた。
「あの女を見たとき、千春と重なって見えた。あそこまで似てるんなら、千春もさぞかし喜んだだろうな」
千春が双子の妹が死んでしまったことを嘆いていたのは、知っている。
もし生きていたならもっと楽しかったのに、とよく言っていたからだ。
俺も、あの女を見たときは心臓が跳ねた。
あの面影を、見間違えるはずがない。
あれはどう見ても、千春だった。
それだけ、あの双子は瓜二つなのだ。
だが、あの女は千春の妹であって、千春ではない。
「言っておくが、あの女は千春の代わりにはならんぞ」
「んなことはもうとっくの昔に知ってる。……千春の代わりなんて、誰にも出来ねえよ」
自分に言い聞かせるようにそう言って、不知火は部屋を出て行った。
奴が残していった言葉に、思わず自嘲気味に笑う。
俺も不知火も、どうやら同じようだ。
あの女が千春そのものでないことを分かっていながらも、どうしても千春を重ねてしまう。
それほどまでに、よく似ているのだ、あの女は。
重なる面影
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