芸妓女主/七夕

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しとしとと、雨が音を立てて降り続いている。
まだ昼前だというのに、空は薄暗い。
七夕にこうして雨が降るのは、何年ぶりのことだろう。

「せっかくの七夕なのに、今年はおしめりどすな…」
「これでは外にも出れまへんなぁ。お祭、行きたかったんに…」

私と同じようなことを考えていたのか、芸妓仲間が外を眺めながら残念そうに呟いた。
このあたりは花街ということもあって、毎夜毎夜、店の前の大通りは客や煌びやかに着飾った女たちで溢れかえる。
それに加えて、七夕になると大通りのあちこちに大きな笹が用意され、多くの人が願いを込めた短冊を飾るから、この一年で一番人通りが多くなる日と言っても過言ではないかもしれない。
七夕は乞巧奠とも呼ばれ、技芸の上達を願うお祭りでもあるから、短冊に芸の上達を願う芸妓も少なくはない。

「うち、中山屋の旦那に誘われとったんに、これではきっと行けへんでしょうな」

隣で煙管を吹かしている芸妓が、仕方ないといったように笑ってそう言った。

「今年は飾られへんかったな、短冊…」
「それはうちもどす。せっかくの七夕やったのに」

頷きながら答えると、彼女は煙管を咥えながら口を開く。

「小春ちゃんは、誰に誘われたん?」
「うちは、山田屋の旦那に……」
「小春姐さんは、坂本っていうお侍さんにも誘われとったんどすえ!」

私の言葉を遮ったのは、部屋に入ってきた年下の芸妓だった。
彼女はけらけらと笑いながら、滑り込むように私と煙管を吹かす彼女の間に座り込んだ。
それを見た煙管の彼女が、呆れた表情で溜息をつく。

「あんた、随分と元気やねぇ。何かええことでもあったん?」

呆れながら尋ねる煙管の芸妓の問いに、彼女はあっと声を上げる。
ころころと変わる表情が微笑ましくて、私は思わず笑みを浮かべた。

「女将さんが、店の前に笹を置いてくれたんどす!大通りの笹よりはちっさいけれど…」
「女将さんが?」
「おしめりで大通りには行けへんやろうから、せめて店の前までなら大丈夫やろうって!知り合いの方から手頃な笹をもろたそうどすえ」

彼女の声を聞いた芸妓たちから喜びの声があがる。
花街で働く私たちにとって、それほど七夕という祭は浮足立つものなのだ。
他の芸妓と連れ立って興味本位で例の笹を見に行ってみると、たしかに大通りのものと比べればだいぶ小さいものだけれど、そこにはちゃんと笹が用意されていた。
軒下に置いてあるから、これなら和紙の短冊でも濡れることはないだろう。
もう既に何枚かの短冊は飾られて、早くも願い事を済ませた芸妓もいる様子だ。
まわりの芸妓は短冊と筆を手にして、意気揚々と短冊に願いを込めている。
私も半ば押し付けられるように渡された短冊と筆を持って、笹を見上げた。

芸の上達を願わないわけじゃない。
けれど、私にはもっと大切な願いがある。
ここにいる彼女たちと違って、私は情報収集の為にここに身を置いているのだから。
少し考えた後に、私は芸の上達を願う短冊を、笹の目立たない場所に括りつける。
そして胸の前で手を合わせ、私は目を閉じて心の内で本当の願いを唱えた。



その日の夜になっても、やっぱり雨が止むことはなかった。
いつものようにお客の相手をして、隙を見て座敷を抜け出す。

「小春、来てはるよ」

ちょうど私を探していたという女将さんが小声で囁いた言葉に頷いて、店の奥の座敷へと向かった。

「薬屋さん、小春どす」
「入れ」

襖ごしに声をかけ、すぐに返って来た返事に静かに襖を開ける。
そこに座っている人を確認して、中へと足を踏み入れて襖を閉めた。

「すみません、遅くなってしまって」

向かいに座りながら謝ると、山崎さんは首を横に振る。

「いや、構わない」
「得た情報は、全てここに記してあります」

懐から小さく折りたたんだ紙を取り出して、彼に差し出す。
山崎さんはそれを受け取って懐にしまった。

「屯所から、またあれが逃げ出した。夜は絶対に外には出るな。被害が出ないよう、まわりにもそれとなく言っておいて欲しい」

険しい表情でそう告げた彼の言葉に、思わず溜息が出た。

「また、ですか…」

あれとは、もちろん羅刹のこと。
暴走した羅刹が屯所を脱走するのは、これで何度目だろう。
不意に左肩の傷が痛んで、顔を歪める。
その様子に気付いたのか、山崎さんが心配そうな表情を見せた。

「まだ痛むのか?やはり無理はしない方が……」
「いえ、平気です。さすがにもう休んではいられません」
「…頼むから、無理だけはしないでくれ」
「努力はしますね…」

思わず苦笑を浮かべると、今度は山崎さんが溜息をついた。

「そういえば、店の前に笹があったが…」
「ああ、あれは女将さんが用意して下さったんです。短冊を飾れるように、と」
「そうか…そういえば、七夕だったな」

まるで今ようやく気付いたという風な口調に、私は思わず笑う。
それを見た山崎さんも、つられて小さく笑った。

「でも、この雨では彦星と織姫も会えないでしょうね…」

小さい頃、母が聞かせてくれた伝説を思い出す。
年に一回の七夕の夜、天の川で二人は会うことを許されたけれど、雨が降ると会えなくなってしまうのだ、と。
窓に手を伸ばし、ほんの少しだけ外を眺める。
相変わらず降り続く雨は、地面を濡らしていた。

「七夕に降る雨は、逢瀬が叶わなかった織姫が流す涙なんだそうですよ」
「涙、か…」

彼も立ち上がって、私の傍らで外を眺める。
少しの沈黙の後、何かを思い出したように山崎さんが口を開いた。

「なまえは、何か願ったのか?」

突然かけられた問いに、私は少し思案してから答える。

「皆が、大きな怪我をしないようにお願いしました」
「君らしいな」

私の願いを聞いて、山崎さんは笑いながら私の頭を撫でて立ち上がった。
もう行ってしまうのだと思うと、少しだけ寂しさを覚える。
でも、私たちはそんなことを言っている状態ではない。
私がここに潜入している限り、私たちが新選組という集団に属している限り、何も考えずに一緒にいるということはきっとできないから。
会えない時間がないとは言え、彦星と織姫に比べたらどうってことない、と自分を慰める。

「道中、お気をつけて」
「ああ……そうだ、忘れていた」

荷物をまとめたまま懐を探り出した彼に、私は首を傾げる。
もしかして、誰かから何か預かっていたのだろうか。
しっかりしている彼が忘れるなんて珍しいと思っていると、彼は縦長の箱を取り出した。
そんな大きなものをどうして忘れていたのだろうと更に疑問に思っていると、彼はその箱を私に差し出す。

「これは…?」
「開けてみてくれ」

とりあえずその箱を受け取って開けてみると、中に入っていたものが姿を現した。

「これ、簪…」

桜を象ったそれは、細かい装飾がされていてとても綺麗だった。
大きな飾りはないけれど、灯りを受けてきらきらと上品な光を放っている。

「君に似合うと思ったんだが…気に入ってくれたか?」
「はい…とても気に入りました」

簪自体も嬉しいけれど、彼が贈ってくれたという事実が、それ以上に嬉しい。
山崎さんを見上げると、安心したような表情を浮かべていた。

「なかなか差す機会はないだろうが…市で見かけて、思わず買ってしまった」

たしかに、芸妓という仕事柄、この簪を差すことはできない。
でも。

「ありがとうございます。大切にします」

微笑みを浮かべる彼の顔が、少しだけ赤いのは気のせいだろうか。
でもきっと、白粉の下の私の顔も赤く染まっているのだろう。
その後、彼は再び薬屋として、店を後にした。
床に就く前、もらった簪を手にして、じっと見つめる。
その緻密な造りから、安価なものではないことが分かる。
私のために選んでくれたと思うと、胸が暖かくなる。
いつか、これを差して彼と出かけられたらどんなにいいだろう。
遠い未来でも構わない。
簪を胸に抱えて、七夕の願いを想う。

どうか、新選組の未来が平穏でありますように。
そして、愛しい人と共にいられますように。



恋仲になってあまり経っていない二人です。
なまえちゃんの芸妓の場面をほとんど書いたことがなかったので書いてみました。
花街やら京言葉に関しては至らない点があると思いますが、何卒お許しください。



願わくは