衝撃を受けた私の身体は、ぐらりと揺らいで背中から倒れこむ。
感じたのは、痛みよりもまず熱だった。
胸元が、燃えるように熱い。
これはもう助からないだろう。
自分の傷を看たわけではないけれど、なんとなく分かった。
徐々に姿を現し始めた痛みに、思わず顔を顰める。
視線を巡らせると、土方さんが焦った様子でこちらを見下ろしていた。
傍には、泣きそうな顔をした千鶴ちゃんの姿もある。
二人の唇が忙しなく動いているのに、私の耳には何も聞こえなかった。
土方さんたちの声も、周りの喧騒も、何も聞こえない。
響くのは、荒く繰り返される自分の呼吸だけ。
自分以外の音が失われた世界の中で、目の前の無事な姿を見て安堵する。
ああ、良かった。
私は、ちゃんと守ることができたのだ。
痛みと熱で朦朧とする意識の中にあっても、私の心は穏やかだった。
ようやく、私に想いを託していった彼らの気持ちが分かった。
守りたいものを守れたという、この満足感。
たとえ命を落とすことになったとしても、それが己の使命だったのだと。
それこそが、生きてきた意味なんだと感じる。
思わず、笑みが零れた。
その瞬間、何かに引かれるように意識が遠のいていく。
もう、私の命も限界なんだろう。
霞み始めた世界の中で、周囲に指示を出す土方さんの姿を捉える。
ごめんなさい、土方さん。
最期まで無茶ばかりする、困った妹で。
千鶴ちゃんは涙を流しながら、私に向かって必死に唇を動かしている。
泣かないで、千鶴ちゃん。
私がいなくなっても、土方さんをよろしくね。
伝えたいことはあるのに、声すら出せないほどの倦怠感に襲われる。
そろそろ、本当に限界だ。
身を任せて瞼を閉じようとしたとき、何も聞こえなかった私の耳に、声が響いた。
それは、一瞬ですら忘れなかった、忘れることなどできなかった人の声だ。
自分の呼吸以外何も聞こえなかった世界に、それだけが響き渡る。
私の身体を侵食していた痛みも熱も忘れて、その愛しい声に顔を綻ばせた。
これが、俗に言うお迎え、というものなのだろうか。
「やま、ざ…き、さ……」
ああ。あなたは。
ずっと、待っていてくれたんですね。
瞳を閉じる寸前、蝦夷にしては早い桜の花弁が、視界を掠めた気がした。
次に瞼を開けたとき、視界に飛び込んできたのは真っ白な景色だった。
どこまでも白くて、でもどこか落ち着く世界の中に私はいた。
寝転がったまま、その白い景色をぼんやりと眺める。
ここは、どこだろう。
「気が付いた?」
突然声をかけられて、傍らに視線を向ける。
そこには、私と同じ顔をした女の子が座っていた。
驚いて、上体を起こしてまじまじと彼女を見つめる。
見れば見るほど、私とそっくりだ。
まるで、鏡に映したような。
目を白黒させる私に対して、目の前の彼女は声をあげて笑う。
「私は風間千春。あなたのお姉さんだよ。お千ちゃんや兄さまから、聞いたことあるでしょう?」
「ち、はる………?」
彼女の言葉に、混乱していた頭が少しずつ整理されていく。
お千ちゃんや風間が言っていた、私の双子の姉。
何年か前に病で亡くなった、私と瓜二つだったという千春。
出会った鬼たちが、私を通して彼女を見ていたことを、私は知っている。
たしかに、ここまで似ているのなら驚くのも無理はなかっただろう。
「これは、夢なの?」
思わず尋ねると、千春は眉を下げて哀しげに首を横に振った。
「ここはね、あの世と呼ばれる場所。正確には、あの世の一歩手前、かな」
「…私、死んだんだね」
自分の胸元を見ると、撃たれたはずの傷は全く残っていない。
それどころか、これまで負ってきた傷跡もなくなっている。
「これまで、よく頑張ったね。なまえ」
穏やかな笑みを浮かべて、千春は告げる。
その言葉に、自分は本当に死んでしまったのだと実感した。
「あなたのことは、ここでずっと見守っていたんだよ」
「ここで…?」
「そう。ここは現世とあの世の狭間。ここには、現世の過去も現在も、未来もある」
千春はそう言って、周囲を見渡す。
そこには、いくつもの風景が映し出されていた。
そのうちのひとつに、見覚えのある姿が映っている。
「土方さん…千鶴ちゃん……」
彼らがいるのは、弁天台場だ。
大鳥さんや島田さんもいる。
どうやら、彼らは無事に箱館まで撤退できたようだ。
「良かった…」
心から安堵して、息を吐く。
そんな私を、千春はじっと見つめて遠慮がちに口を開いた。
「これは、私の我儘なんだろうけど……本当はね、なまえにはもっともっと、生きて欲しかった。私の分まで」
彼女は哀しげに視線を下げて続ける。
「死んでから、あなたが生きていることを知った。心から信頼できる人たちと出逢って、共に生きている姿を見守ることができて、本当に嬉しかったの」
そこまで言うと、千春は視線を私に戻した。
その表情は笑っているけれど、どこか憂いを帯びている。
「…なまえは、幸せだった?」
問われて、これまでの道を振り返る。
両親を失って、たくさんの家を転々として、近藤さんに出会った。
そこで土方さんや沖田さん、皆に出会って、京へ上った。
そして、山崎さんに出会って、彼らと共に新選組の一員として、生きてきた。
辛いことはたくさんあった。
悲しいことも、たくさんあった。
それでも、後悔はしていない。
自分の生を全うできたと、胸を張って言える。
「うん。とても幸せだったよ」
「そう…それなら良かった」
私の答えに、千春は安心したように顔を綻ばせた。
「新選組は、これからどうなるんだろう…」
不意に浮かんだ疑問を、口に出す。
その瞬間、目の前の景色が変わって、焼け落ちる誠の旗が映し出された。
それを見て、全てを悟る。
「…残念だけど、新選組は近いうちに降伏する。その後は、天子様に刃向かった賊軍として、世間から扱われることになる」
言いにくそうに告げる千春に、思わず視線を下げる。
予想していなかったわけじゃない。
薩長が錦の御旗を掲げたあのときから、私たちは賊軍だった。
それは、どんなに抗っても覆ることのない事実。
そんなことは、とうの昔に分かっていたことだ。
きっと、これから先も変わることはないのだろう。
それでも。
「たとえそうなったとしても、いつか私たちの誠を理解してくれる人が現れるって信じてる。そんな日がいつか、きっと来てくれる」
賊軍となった私たちは、悪として語られることもあるだろう。
でも、私は信じている。
私たちの志を、新選組の誠を理解してくれる人が現れることを。
それが何年先でも、何十年先でも。
たとえ百年先であったとしても、構わない。
私たちがどんな思いを抱いて、何を目指して、戦に身を投じたのか。
それを知る人が、きっといつか現れてくれるはず。
「私も、そう願うよ」
「ありがとう、千春」
よし、と言うと千春は立ち上がって、私に手を差し伸べた。
「私と同じように、あなたをずっと待っている人がいるの。あんまり引き止めたら、怒られちゃう」
彼女の手を掴んで立ち上がると、遠くに人影が見える。
その姿はまだはっきりとは見えないけれど、誰なのかはなんとなく分かっていた。
「さあ、行って。なまえ」
「千春は行かないの?」
私の背を押す千春に、思わず尋ねる。
ここは現世とあの世の狭間だと、彼女は言った。
既に現世を去って数年が経つであろう千春は、まだこの場に留まっている。
首を傾げる私に、彼女は照れたような笑みを返した。
「私は、まだ待ちたい人がいるの。待ってないと、きっと拗ねちゃうから」
ああ、そうか。
私を待っていたあの人のように、千春にも待ちたい人がいるようだ。
ということは、彼女とはしばしの別れになるだろう。
再び千春に向き直り、私と同じ瞳を見つめる。
「あなたに会えて良かった。千春」
「こちらこそ。またね、なまえ」
そう言って、千春は手を振る。
私も振り返すと、霞の向こうに見えるその人に向かって足を踏み出した。
少しでも早くその姿に追いつきたくて、徐々に駆け足になっていく。
気付けば、あの人を失ってから一年以上が経っていた。
大きなうねりに飲みこまれないように必死に抗っているうちに、驚くほど早く月日は過ぎていく。
時の流れとは恐ろしいものだと、改めて感じた。
徐々にはっきりとする懐かしい姿に、視界が滲む。
あの黒鳶色の髪、菖蒲色の瞳。
ずっと、会いたかった。
その姿を求めていた。
あとほんの数歩の距離を置いて、足を止める。
不思議と、息は切れなかった。
「お久しぶりです、山崎さん」
彼の穏やかな視線を受け止めながら、深呼吸をして告げる。
「よく頑張ったな、なまえ」
愛しい声に、姿に、笑みが零れる。
彼が目の前にいることが嬉しくて、本当に嬉しくてたまらなかった。
彼はそう言うと、少し怒ったように眉を顰める。
「だが、やはり無理をしすぎだ。見ている側としては、はらはらして仕方なかった」
「新選組を頼むって言ったのは、山崎さんじゃないですか。新選組のために何ができるか考えた結果ですよ」
私を叱る姿にさえ、懐かしさに身体が熱くなった。
もう何年も、こんなやりとりをしていないような気がする。
「まったく……まぁ、今更こんなことを言ったところで、仕方ないか」
そこまで言って、彼は表情を緩める。
そして、私へ向かって手を差し出した。
「行こう、なまえ」
その手に触れると、懐かしい温もりが伝わる。
鳥羽伏見で失ってしまった、消えないことを願いながら縋った温もりが、今はここにある。
思わず泣きそうになりながら、その手を強く握った。
「はい!」
山崎さんに手を引かれて歩みを進めると、辺り一面が光に包まれる。
その光はどこか温かくて、優しささえ感じる。
これまで、ただひたすらに新選組のために生きてきた。
脳裏に、共に生きてきた彼らの姿が蘇る。
新選組を土方さんに託して、たった一人で新政府軍へと投降した近藤さん。
近藤さんの志を受け継いで、蝦夷で戦い続けた土方さん。
羅刹となっても、新選組のために生き抜いた山南さん。
労咳に侵されながら、新選組の刀として生を全うした沖田さん。
武士の魂と共に、会津に残って戦った斎藤さん。
私と同じくらい無茶をしながら、羅刹と共に仙台で散った平ちゃん。
途中で離れてしまったけれど、別の場所で共に戦った左之さん、新八さん。
そして。
私の手を引く横顔を見つめる。
「山崎さん」
私の声に、彼は立ち止まってこちらを向いた。
菖蒲色の中に、私の姿が映る。
新選組で出逢い、監察方として彼と共に生きてきた。
彼の志に惹かれて、共に在りたいと願って、その背中をひたすらに追い続けてきた。
「私、新選組にいられて…あなたに会えて、本当に幸せでした」
そう伝えると、私の瞳から涙が零れる。
「ああ。俺もだ」
山崎さんも笑みを浮かべて頷き、頬に伝う私の涙を指で拭った。
私たちの命は、他人から見れば短い人生なんだろう。
でも、その短い時間の中で、私たちは命を燃やして生き抜いた。
自らの生きる意味を、信じるものを探して、見つけて。
ただひたすらに、そのためだけに命を散らした。
私たちの生き様は、変わりゆく歴史の中に埋もれてしまうだろう。
国が大きく動くこの時代ならば、尚更だ。
それでも、きっといつか。
壬生狼と恐れられ、賊軍と呼ばれながらも抗うことをやめなかった、私たちの志を。
新選組が何を目指して、どんな思いを抱いて、この動乱の時代を戦い抜いたのか。
それを知り、思いを馳せてくれる人がいることを祈ろう。
柔らかな光に包まれるのを感じながら、私はそっと、瞼を閉じた。
零れ桜
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