微睡みの中に突然響いた鋭いアラーム音に、飛び上がるようにして起床する。
けたたましく鳴り響くスマホを静かにさせて、表示された時刻を見た。
午前六時三十分。
ああ、そうだ。
今日は私の入学式だった。
目覚め方が目覚め方だったせいか、もうすっかり目が冴えている。
まぁ、せっかくの入学式なんだし、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
スウェットのままキッチンに行って、食パンをトースターに突っ込んで朝食の準備をする。
今の私の家に、両親はいない。
今年から父が海外勤務になって、母と共に海の向こうへと渡ってしまったから。
本当は私も一緒にと何度も誘われたけれど、この歳で馴染みのない海外に行って学校に通うのは気が引けた。
これがまだ幼稚園とか小学生とか、好奇心で生きていられる時代だったらついて行っても良かったのかもしれない。
海外に旅行に行ってはみたいけれど、住みたいと思うほどじゃなかった。
三人で暮らしていた家にたった一人でいるのはやっぱり寂しいけれど、その寂しさにも慣れてきた。
私を心配してくれる両親が、毎日電話をしてくれるお陰もあるのだろうけど。
パンが焼き上がるまでの間に、真新しい制服に袖を通して鏡の前に立ってみる。
爽やかな青いブレザーに、落ち着いたグレーのスカート。
特に、このブレザーの青は気に入っている。
これから始まる高校生活に想いを馳せていると、トースターが明るい音をたてた。
朝のニュースを見ながらパンを食べて、予定していた時間通りに家を出る。
朝の空気を思いっきり吸い込んで、私は目的の場所へと向かった。
十五分程して、見えてきた建物。
薄桜学園。
これから三年間、私が通う場所だ。
ここの剣道部は、全国大会にも出場経験がある強豪だ。
去年までは男子校だったけど、今年から共学になったらしい。
中学の担任は、どうせならもっといい学校にと言ってくれたけど、自分で歩いて通えるこの学校に行くことにした。
今年から共学ということは、おそらく女子は少ないだろう。
少し不安を抱えてはいるが、悪い噂はない学校だからきっと大丈夫なはずだ。
私と同じ制服に身を包んだ生徒たちが、次々に校門を通り抜けていく。
入学式に二、三年生が参加するかどうかは分からないけれど、制服がなんとなく真新しい生徒は、きっと私と同じ新入生なんだろう。
そのとき、私はあることに気付いた。
視界に入る生徒の全てが、男子生徒。
女生徒が珍しいのか、ちらちらとこちらを見ている生徒たちもいる。
いや、これは仕方ない。
今年から共学になるんだ、女子が珍しいと言えば珍しいんだろう。
珍しいものに目がいってしまうのは人間の習性みたいなものなんだし。
少し居心地の悪さを感じながらも、そのまま校門を通ってクラス分けが発表されている場所まで向かっていく。
でも、新入生の名前が貼りだされたボードのまわりに群がる新入生の中にも、女子の姿はない。
もしかして、まさか。
不意に頭に浮かんできた確信に近いものを、慌てて押し留める。
いやいや、きっと私に見えないだけだ。
さすがに女子が私一人だなんて、そんな話があるはずない。
気を取り直して、背伸びをして一組から順に名前を探していく。
「あ…」
そう時間もかからずに、私は自分の名前を見つけることができた。
私のクラスは一年一組。
見つけるのに手間取らなくて良かった。
それはたしかに良かったのだけど、名前の羅列を眺めていても、女の子らしい名前は見当たらない。
いや、女の子らしい名前を見つけたとしても、まわりに男子生徒の姿しかない私には、それすら男の子の名前なのではないかという考えまで出てきた。
いくら今年から共学だからと言って、まさかこんなことってあるのだろうか。
女子が少ないのは当たり前だ。共学1年目なんてそんなもの。
でも、さすがに女子がたった1人ってそれはちょっとどうなんだろう。
それなら事前に教えてくれればいいのに、と学校の担当者に対してどうしようもない文句を心の内で言ってみる。
「あ、あの……」
諦めて教室へ向かおうとしたとき、不意に背後から控えめに声をかけられた。
いかにも女の子、な感じの高い声に、驚きながら振り返る。
そこに立っていたのは、私と同じく真新しい制服に身を包んだ女の子だった。
私より少しだけ背の低いその子は、私の顔を見て、目を見開いたまま固まってしまう。
でも、この時の私はそんなことどうでも良かった。
「もしかして、新入生?ここの」
まるで一筋の光が差し込んだかのように、私は心が晴れていくのを感じた。
私の問いに、その子ははっとして頷く。
「雪村千鶴です。えっと……」
「私はみょうじなまえ!良かった、まわりにいたの皆男子だから、女子が私だけなのかと思って心配してたところだったの!」
心の底から安堵した私は、思わず雪村さんの手を握ってぶんぶんと振る。
困ったように笑みを浮かべる彼女は、やっぱり女の子だ。
本当に良かった。
これで、男子校の紅一点とかいう厄介な立場にならなくて済む。
「私は一組なんだけど、雪村さんは?」
「あ…私も一組だよ、一緒だね」
「本当?良かった!」
立て続けに起こった嬉しい出来事に、私は彼女の手を離して思わず飛びあがって喜んだ。
「それにしても、男子ばっかりだね…私たち以外に女子はいないのかな…」
まわりを見渡しても、やっぱり視界に入るのは男子生徒だけ。
この調子で、他にも女子が現れてくれないだろうか。
「今年の新入生で女子は二人だけって幼馴染から聞いたから、多分そうなんだと思う。ちょっと寂しいよね」
雪村さんは、笑いながらそう答えてくれた。
たしかに寂しい気もするが、さっきまで女子一人なんじゃ、と思っていた私からすれば地獄に仏だ。
こんなに可愛い女の子が一緒ならなんとかやっていけそうだ。
「これからよろしくね、雪村さん」
「うん……あの、千鶴でいいよ。その代わり、私もなまえちゃんって呼ばせて?」
教室に向かおうとした私に、彼女はおずおずと言った。
「え?うん、いいよ!」
どうして彼女がそんな様子だったのか、このときの私には分からなかった。
教室には既にたくさんの新入生がいて、それぞれ席に着いていたり、新たな友達を作る為にあちこち行き来したりしていた。
私と千鶴ちゃん以外は、全員男子。
早くも予想と違った新しい生活に、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
でも幸いなことに、私の席は千鶴ちゃんの前。
名前の順で考えたら明らかにおかしいけれど、ここは先生方の配慮ということにしておこう。
「そういえば、千鶴ちゃんの幼馴染ってこの学校の人なの?」
さっきの彼女の話を思い出して、何気なく尋ねてみる。
千鶴ちゃんは頷いて口を開いた。
「そうだよ。二年生なんだけどね」
「ってことは、男の子だよね。もしかして彼氏とか?」
「ち、違うよ!本当にただの幼馴染!」
何度も首を横に振って、千鶴ちゃんは顔を赤らめている。
その様子が可愛くて、さらに私は言葉を続けた。
「本当かなあ?あ、それじゃ、他に彼氏がいたりして」
「彼氏なんていないよ!なまえちゃんこそ、いないの?」
「私もいないよ。それじゃ、どっちが先に彼氏ができるか勝負しようか」
そこまで話して、私たちはどちらからともなく声をあげて笑い合った。
その後もいろいろな話をして、私は自分でも驚いてしまうくらい千鶴ちゃんと打ち解けることができた。
「こんなに盛り上がるなんて、なんか初対面じゃないみたいだね」
そう言った途端、千鶴ちゃんが弾かれたように笑いを止めて、私を凝視した。
最初は驚いたような表情を浮かべていたけれど、彼女はその後少しだけ眉を下げて笑みを浮かべる。
「そう、だね…」
明らかにさっきと違う様子に一体どうしたのかと尋ねようとしたとき、教室のドアが開いて先生らしき人が入ってくる。
それを見て、席を離れていた生徒たちがそそくさと自分の席についた。
そんな生徒たちを見渡して、先生は口を開く。
「よし、全員いるな。今日からお前らの担任になった、原田左之助だ。よろしくな」
そう言った担任は、思った以上にイケメンだった。
去年まで男子校だったからもっと暑苦しい先生なんだろうと勝手に思ったけど、なんだかモデルでもできそうな人。
背だって高いし、スーツもよく似合ってるし、近所で噂になってたりしてそうだ。
私は面食いでもなんでもないからかっこいいと思う程度で収まるけれど、中学時代のイケメン好きな友達がこの学校に来ていたら一瞬でロックオンだろうな、とぼんやり考える。
ここに来なかった面食いは可哀想に、と勝手に思いながら、原田先生の話に耳を傾けた。
そして諸連絡などの後、私たち新入生は、入学式に出席するべく体育館へと移動した。
入学式は、特にトラブルもなく進んで終わった。
新入生の呼名だったり、学園長の先生のお話だったり、新入生代表の挨拶だったり。
そういえば、学園長の近藤先生はとても優しそうな人だった。
1時間ほどで式を終えた私たちは、教室に戻ってホームルームを受けた後、解散になった。
明日はオリエンテーションということで、委員を決めたりなんだりするのだとか。
「ねえ、なまえちゃん」
帰る準備をしていると、後ろから千鶴ちゃんが話しかけてくる。
振り返ると、彼女は真剣な表情で私を見ていた。
「どうしたの?」
彼女があまりに深刻そうな顔をしているせいか、私は戸惑ってしまう。
「……新選組って、知ってる?」
新選組。
名前くらいは聞いたことがある。
でも、私はよく知らない。
歴史が苦手なわけじゃない。むしろ、歴史は昔から好きだ。
それなのになぜか私は、幕末あたりについてはとんでもなく覚えが悪い。
相性が悪い、とでも言うべきなのだろうか。
試験の為、受験の為にと何度頭に叩き込もうとしても、あまり好きになれないせいかなかなか覚えられなかった。
縋るように尋ねる千鶴ちゃんに内心首を傾げながらも、私は口を開く。
「名前だけなら、知ってるけど…」
「名前、だけ……?」
「うん。私、幕末の歴史には疎くてさ。他の時代なら全然平気なんだけど、幕末は何て言うか、相性が悪いって言えばいいのかな…何度覚えようとしても、覚えられないんだ」
苦笑しながら肩を竦めると、千鶴ちゃんもぎこちなく笑みを浮かべた。
「千鶴ちゃんは、新選組が好きなの?」
このご時世、新選組がたくさんの人から人気を得ているものだということくらいは知っている。
中学の友達の中にも、新選組が好きという子はいた。
「…うん。好きだよ」
やけに意味深な様子で、彼女は小さく答えた。
彼女の様子に疑問を抱きながらも、私は眉を下げて笑う。
「そっか。ごめんね、私も好きだったら語ったりできたんだけど」
「ううん、いいの。いきなりごめんね」
「大丈夫だよ。それじゃ、私は帰ろうかな。千鶴ちゃんは?」
帰る準備を終えて、私は鞄を肩にかける。
「あ…私は、まだ用事があるから…」
「そうなんだ、お疲れ様。また明日ね」
「また明日、なまえちゃん」
笑顔で手を振ってくれた彼女に同じように手を振り返して、教室を出て行く。
廊下ですれ違う生徒の視線を痛いほど感じるけど、この学校で二人しかいない女子なのだから仕方ないことだろう。
なるべく早く学校を出てしまおうと、俯き気味に歩みを早める。
そろそろ校舎を出られると思ったそのとき、突然誰かにすれ違いざまに腕を強く掴まれた。
驚いて振り返ると、見覚えのない人が私の腕を掴んだまま、驚いたように目を見開いて私を凝視している。
いきなりの出来事に、私は何も言えずに見つめ返すことしかできない。
「どうして……」
茶色の髪に緑色の目をしたその人は、信じられないとでも言うように口を開いた。
その声は驚きのせいなのか、少しだけ掠れている。
「あ、あの……なんですか…?」
ようやく口から出た私の声も、上擦っていた。
私の腕を掴んでいる人は、おそらく一年生ではない。
二年か三年かまでは分からないけど、纏っている雰囲気が明らかに新入生ではなかった。
私の言葉を聞いて、相手は見開いていた瞳をすっと細める。
その様子に、身体が無意識に強張った。
私はこの感覚を、前にも感じたことがあった気がする。
「僕のこと、覚えてないの?」
威圧するような、それでいて困惑しているような複雑な声音に戸惑いながらも、私は自分の記憶を辿ってみる。
でも、私の腕を掴んで離さないこの人に会った覚えなんて、微塵もなかった。
「すみません、記憶にないんですけど…人違いじゃないですか?」
恐る恐るそう答えると、その人は私をじっと見つめた後、腕を離してくれる。
その表情には、貼り付けたような笑みが浮かんでいた。
「よく見たら、人違いだったよ。ごめんね、引き止めたりして」
「いえ…」
なんだか居心地が悪くなって、私は軽く頭を下げた後そそくさとその場を後にした。
その日の夜、晩ごはんのカレーを口に運びながら、何か面白い番組がやっていないかとチャンネルを回す。
何気なく止めたのは、いつもはあまり観ないバラエティー番組。
やる内容がいつも胡散臭くて、あまり好きではない。
どうやら今回は、前世の記憶がテーマらしい。
『今回のゲストは、前世の記憶をお持ちの田中さんです。よろしくお願いします』
やたら化粧の濃いキャスターが、これまた胡散臭そうなおばさんを生真面目に紹介している。
前世の記憶を持っていて、それについての本まで出版してるんだとかなんとか。
『さっそくお聞きしたいんですが、その前世の記憶というのは、いつ頃からお持ちだったんですか?』
『はい。昔からなんとなくぼんやりとはしていたんですが、はっきりと思い出したのはたしか、十六歳くらいだったかと思います』
ずいぶんと真面目な顔で質問に答えるおばさんの顔に嫌気が差して、テレビの電源を切る。
「あほらし…」
そう呟いた声は、無音になった部屋に消えて行った。
前世の記憶なんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
生まれ変わりだとか、前世だとか。
そんなもの、別に持っていなくたって困ったりしないし、持っていない方が普通。
私は普通で十分だし、それ以上もそれ以下も望まない。
そこまで考えたとき、不意に千鶴ちゃんの顔が脳裏に甦った。
話しているときにたまに見せる、戸惑うような、困ったような表情。
それから、新選組というあの言葉。
その後に思い浮かんだのは、帰る途中で私を引き止めたあの先輩。
あの違和感はなんだったんだろう。
しばらくじっと考えてみたけど、結局答えを見つけることはできなかった。
きっと、気のせいだ。
新しい環境に、緊張していただけだ。戻