望みの代償 壱

どうして、こんな結末なのだろう。
さっきから頭の中で反芻するのは、そんな言葉ばかりだ。
足元に落ちる、薄汚れた誠の旗を眺めながら、ただ一人、その場に立ち竦む。

新選組を含む旧幕府軍は、蝦夷の地で新政府軍の前に敗れ去った。
鬼の副長として名を馳せていた土方さんは、敵の銃弾によって戦死。
傍に控えていた千鶴ちゃんも巻き込まれ、土方さんの後を追うように命を落とした。
そして激しい戦いの末、旧幕府軍は降伏した。
私たちは、負けたのだ。

「ああ…」

大きな空虚感を抱えて、蝦夷の空を見上げる。
新選組に入隊して、京の治安を守るために駆けまわっていた日々。
おおらかな近藤さんと、厳しいけれど本当は優しい土方さん。
彼らの志に心を打たれて、新選組に入ることを選んだ。
親に決められた相手と契りを交わして子を為すよりも、たとえ戦いの中であったとしても、信頼できる人たちと共に生きる道を選んだのだ。
それなのに、こんな結末はあんまりじゃないか。

「おい、そこのお前」

聞き覚えのない声に、緩慢とした動きで声の主を探す。
青空から視線を落とすと、そこには漆黒の薄汚れた衣を纏った男が立っていた。
すらりとした長身に、衣以上に深い黒の髪。
そしてその瞳は、羅刹を思わせるような深紅の色をしていた。

「あーあ、心にぽっかり穴が空いちまってるなあ。かわいそうに」

その男は、へらへらと笑いながら告げる。
どこか浮世離れしたような様子に、私は思わず眉を顰めた。

「そんな顔をするなって。俺はかわいそうなお前を助けてやろうと思ったのさ」
「…誰だ、お前」

唇から発された声は、思った以上に低くて掠れていた。
男は、唇を三日月に歪めて嗤う。

「俺か?俺は鬼さ」
「鬼?なら、風間千景の仲間か」
「いいや、違う。あいつらは現世の鬼。俺は、黄泉の鬼だ」

黄泉の鬼。
そんなことを言われても、余計意味が分からない。
眉を寄せる私に、男は肩を竦める。

「そうだなあ…言い換えるなら、この世ならざる存在。だから俺は、現世に生きる者にはできないことができる」

聞いてもいないことを、鬼と名乗った男は話し続ける。
どうでもいい、と思いながら男から視線を外した。
全てが終わってしまった今は、鬼だろうがなんだろうが、興味がない。

「なあ、お前。時を戻したいとは思わないか?」

思いの外近くで響いた声に、びくりと身体を震わせながらも身構える。
いつの間に移動したのか、男は私の背後に立っていた。
げらげらと笑う男を睨みながら、さっきの言葉を繰り返す。

「時を、戻す…?」

鬼は喉の奥で笑いながら、再び口を開いた。

「ああ。お前の記憶はそのままで、時だけを戻すのさ。俺ならば、お前が望む時間に戻すことができる。例えば……」

真紅の瞳が、すっと細められる。

「お前が愛していた男……山崎烝が生きていた、あの頃にもな?」

その言葉に、私は驚いて目を見開く。
そして同時に私の脳裏に浮かんだのは、懐かしい姿だった。

『なまえ』

鳥羽伏見で失ってしまった、あの人。
想いを告げることはなかったし、伝えるつもりもなかった。
ただ、部下として傍にいるだけで良かった。
あの人の傍で、共に戦えるだけで満足だったのに。
それでも、激しい戦火は私の想いを掻き消すように、あの人を奪ってしまったのだ。

「どうして、あの人を知っているの…」
「黄泉の鬼だからさ。俺は、なんでも知っている」

まるで信じられない話だ。
そう思っているはずなのに、目の前の男が嘘を言っているようにはどうしても見えなかった。

「未来を知っているお前なら、あの男を助けられる。お前が望むまで、傍にいることができるんだ」

それは、今の私にとってあまりに魅力的な話だった。

そうだ。
私はただ、あの人の傍にいたかっただけ。
私の望みは、たったそれだけだった。
既に息絶えたあの人を前にしたときの絶望が、脳裏に甦る。
徐々に消えていく温もりを必死に手繰りながら、この命を再び取り戻せるならなんだってできると、そう思っていた。
私が犠牲になることで彼が助かるなら、なんだってできる、と。

それが、今はどうだろう。
この鬼の言う通りならば、私はあの人を助けることができるのだ。
未来を知っている私がいれば、山崎さんだけじゃない、源さんや近藤さん、土方さんだって死ななくて済むのかもしれない。

「…私は、どうすればいい」

気付けば、私の唇はそう呟いていた。
その途端、黒い男はにんまりと嫌な笑みを浮かべる。

「俺と契約を交わせばいい。そうすれば俺は、お前の時を戻してやることができる」

だが、と男は続けた。

「ひとつ、条件がある。たったひとつだけ、簡単なことさ」
「条件?」
「お前が死んだら、お前の魂は俺のものだ」

男の紅の瞳が、怪しい光を放つ。
その瞳に自分の姿が映っているのを眺めながら、心の内にいるもう一人の自分が警鐘を鳴らしているのを感じた。
しかしそれ以上に、私の望みと期待は抑えられないほど大きく膨れ上がっていたのだ。

「いいだろう。お前と契約する」

そう告げた瞬間、脳内で鳴り響いていた警鐘がぴたりと止んだ。

これでいい。
あの人を助けられるなら、新選組を守れるのなら、喜んで私の魂を差し出そう。

「契約成立だな。望み通り、お前の時を戻してやろう」

男はそう言うと、さらに笑みを深めた。

「安心しろ。生きているうちは、お前の好きなようにして構わない。だが忘れるなよ。死後のお前の魂は、必ずや俺のものとなる」

そこまで言って、男は両手を私に翳す。
その途端、唐突な酷い目眩に襲われ、私は思わず目を閉じた。
次いで遠くなっていく意識の中で、思う
微かな男の声を聞きながら、私は意識を手放した。



ただ一人残った鬼は、くつくつと声を上げて嗤う。

「ああ、楽しみだなあ」

黄泉の鬼は、人の魂を喰らう。
その魂が純粋であるほど、それは美味くて堪らないのだ。
純粋であればあるほどに、人の心というものは情に左右されやすい。
そして、憎しみや哀しみといった負の感情に染まった魂ほど、この鬼が好むものは他になかった。
人は死んでから、あの世で現世での罪を償い、再び魂が生まれ変わる。
しかし、魂を喰われると、二度と生まれ変わることはできない。
鬼に喰われた魂は、深い深い闇の中に永久に囚われるのだ。

「脆いなあ。人は」

あまりに儚く、脆く、壊れやすい。
なんと可哀想な生き物だろう。
そう考えて、鬼はまたくつくつと笑った。

「さて…あの魂は、どれほど美味いんだろうなあ」

いずれ味わう魂の味を思い浮かべ、男は舌なめずりをしながら掻き消えるようにしてその場から姿を消した。


再び迎える結末に、果たして光はあるのだろうか。


旧サイトで公開していたお話を、少し改変しました。
シリアスまっしぐらです。桜花では女主ちゃんと山崎さんは想いが通じ合っていますが、こちらは完全に一方通行です。
3~5話くらいで完結します。たぶん。