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名前だけ預けて性別すら確認せずに、腹も膨らむ前の母を置いて行った。
男は黒い髪に灰色の目をしていた。
男が煩わしいと言い、愛することを忘れた男の生家に住むこともできず、混血の母はマグルの病院で私を産んだ。一人でお産の痛みに耐え、ひっそりと退院し、苦労をしながら私を育てた。

私が父という名の男に会ったのは2歳の誕生日の日だった。

「ハリーを守れ」
「私の代わりに」
「あいつを殺せ」

「決して失ってはならない」

物心も着く前だったのに、必死の形相で幼子の肩を掴み揺さぶる父は、言葉を伝えてすぐに消えていった。
混乱と恐怖、初対面の男から父親と言われ、2歳の私は意識を失った。
後ろから母であろう人物の手が体を支えていた。嗚咽のような声が耳に残っている。


目が覚めたときは、誕生日から二日たった日の夕方だった。ベッドの横で母が私の頬を心配そうに撫でていた。

「おはよう、寝坊助さん」

この女性を母と認識した時、この小さな体にはおそらくその正当な持ち主ではない魂が入っていた。現実とは一皮区切ったような場所から私はこの景色を見ているような気分だった。窓から入る穏やかな風もそれに遊ばれるカーテンも、窓に区切られた四角い光も、あまつさえ自分がふれるシーツや、母の手さえも目の前でスクリーンを見ているような気分になった。2歳の小さな体の中で、別の私が意識を持っている。それは収まりよく私の中に入ってきてすんなりと認識された。


小さな部屋の中で母が棒のようなものを振ると、どこからか浮いて運ばれてきたグラスがサイドテーブルに着地した。その拍子に中身が揺れ、刺さっていたストローが大きく跳ねる。母は気にせずそれを私の口元に近づけ、飲ませようとした。逆らうわけもなくそれをのむ。喉を通る冷たい水の感覚にようやく自分の五感が戻ってきたように思う。

「もう少し寝ていてね」

と、独り言のようにつぶやいた母は子供の頭を一撫でして、また“杖”をふって乱れたシーツを直し、グラスを浮き上がらせ部屋を出て行った。
扉が閉まる軽い音とともに、私は一度目を閉じた。



▼▼▼



ハイディア・オサリバンはホグワーツ魔法魔術学校のスリザリンに在籍する11歳の女の子だ。髪は黒、闇の中から垂れ流したような黒髪で、短くいつも風に踊ってあらぬ方向を向いていた。目の色は緑。宝石のような輝く色ではないが、母と同じ地底の苔が映る澄んだ池のような眼をしていた。よく、何を考えているかわからない顔をしていると友人に呈されていた。

ホグワーツに入学してからおよそ3か月がたち、動く階段にも突然現れるゴーストたちにも慣れ始め、ほとんど首なしニックの断面披露やピーブスの悪戯が無ければ叫び声をあげるようなこともなくなってきた。嘆きのマートルは女子トイレに近づかなければ大丈夫。あんな水浸しのトイレ使えないが。
寮対抗クディッチ杯も自寮が優勝し、あとはクリスマス休暇まで指折り数えて待つだけだった。成績は全体を見れば可もなく不可もないが、DADAと魔法薬学が得意で魔法史は睡眠時間、飛行訓練は苦手、マグルが好きという蛇寮では何とも言えない視線をいただく生徒であった。時折、ハグリットとともに魔法生物と戯れ、ローブや髪の毛を焦がしポピー・ポンフリーに小言をもらいながら気楽に生きていた。

ハイディア・オサリバンには秘密がある。友人も教師も、母すら知らない。
9年前のあの日、父親の言葉により目覚めた記憶、もう一人の自分の記憶である。

もう一人の私は、顔は全く同じであるが、髪の色も目の色も違う。話す言葉も違うし、住む街並みも全く違う。魔法が使えない。全く違う国に住むマグルのような存在である。もう一人の私には人生の思い出が全くない。あるのはある物語の記憶。

ある魔法使いの物語である。

その記憶はまるで本を一緒に読んでいるようである。その本の中の主人公たちはハイディアと同じ魔法を使い、箒で飛び回り、恋をして、愛に生きた。
ホグワーツに住み、ここ最近で聞き覚えのある名前の教師に怒られ、一年に一度ほどの頻度で危険な目に遭う。かわいそう。


3歳になった年に気づいた、ここ魔法使いの世界だ。



それまでは、ハイディアとしての意識が強く、その瞬間はまるで天変地異が起こったかのようだった。今までの少し幼げなハイディアの意識は掻き消えもう一人の私だけが残ったような。二人で一緒に読んでいた本ももう一人の私が一人で読んだ。そしてすべての本を読み切り本を閉じた。

「あの不審者、シリウス・ブラック…」

9年前私を揺さぶったあの自称父親はおそらく、アズカバン収容前のシリウス。ブラックである。



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