泥濘の逆転(上)
万丈目準は、万丈目グループという名家の三男に生まれ、デュエル・アカデミアには中等部からのエスカレーター方式で入学、篩にかけられオベリスクブルーの制服に袖を通している。いかにもその家柄を背負ったようにプライドが高く、エリート思考で、他者を見下す態度には皆が敬遠していた。しかしそんな態度が許されているのは彼の家柄だけではなく、純粋にデュエルの強さによるところが大きい。万丈目の取り巻きたちは彼を「未来のデュエルキング」と謳っている。この学園にはカイザーと呼ばれる男がすでにトップに君臨しているが、いずれカイザーも卒業し居なくなることを考えれば確かに「未来のデュエルキング」は万丈目準なのかもしれない。
そんな未来のデュエルキングが今、なんと●●の目の前にいる。しかもただ居るのではなく、机に突っ伏して寝ている。坂のように段差のつけられた講義室で、●●はその万丈目の丸まった背中を見下ろしている。呼吸をする度にリズムよく肩が上下に動いているのを見るとなんだかこちらも眠なってきそうだ。
今までは王のように振る舞って取り巻きも居たはずだと認識していたが、どうやら最近はひとりで行動することが多いようだ。●●は万丈目のそばに周り、そっと顔を覗き込む。表情こそ見えないが、真っ黒な前髪の隙間からニキビひとつない綺麗な額が見える。しばらく万丈目の額を眺めていたが起きる気配がない。次の授業もあるし起こしたほうがいいよな、と「万丈目くん」と呼びかけた。
「万丈目“さん”だ。」
万丈目から返答があり●●は起きていたのかと安心する。しかし一向に万丈目は顔を上げようとはしない。声にならぬ声を漏らしているところを見て、まだ彼が夢の中であることを●●は知った。万丈目の顔に耳を添えると、すーすーと気持ちいいほどの寝息も聞こえる。
「授業遅れちゃうよ。」
聞こえてはいないのだろうが、念のために呼び掛けてみる。しかし先ほどと違い反応らしい反応は見られない。身をよじるように顔を自分の腕に擦り付けただけである。
意を決して●●は、万丈目の肩を揺らした。最初は優しく。叩いてもみたが効果はなく、相変わらず眠りの沼にはまってしまっているようだ。その泥濘から救うべく●●は万丈目の肩を揺らす。怒られてしまうのも覚悟で強めに揺すった。しかし腕に縫い付けられているように顔だけは離れず、肩だけががくんがくんと揺れた。
●●は呆れたように「もう」と溜息を漏らして、つんつんと尖がっている万丈目の頭に手を乗せた。手に髪の毛が刺さる、なんてことはなく●●の手のひらで粘土のようにぐちゃりと曲がった。万丈目の頭は意外にも大きい。男なのだから体の一部として大きいのは当たり前だが、こうして触ってみるととても意外に思えた。じんわりと万丈目の体温が頭から手のひらへ伝わってくる。プライドの高い万丈目の頭を触ることなんて出来るのはきっとオベリスクブルーの女王くらいなのだろう。そう思うと、自分も女王になった気分で●●は万丈目の頭を撫でた。心の中で「未来のキングよ、目覚めるのです」などと呟いてみたりもした。明日香さんはこんなことしないけど、と考えていると万丈目が小さくうめき声のような音を出した。咄嗟に●●は万丈目の頭から手を離す。やばい起きたか。調子に乗り過ぎたと反省をしつつ、万丈目の顔を覗き込んだ。
「ご、ごめん。」
素直に謝って万丈目の様子を伺うと首を捻った万丈目の目元が現れた。固く閉じられた瞼とそれを飾るように長いまつ毛が講義室の蛍光灯の光に反射してつやつやと輝いていた。マスカラなど化粧はされていないだろうまつ毛がとても長く綺麗に見えるのは万丈目が良いところのお坊ちゃんだからなのだろうか。その目元のすぐ下の鼻も筋が綺麗に通っているのがよくわかる。あまり万丈目と接点がなく、会話もそんなに交わしたことがないのが惜しく思えるほどに、万丈目の顔は整っていた。
しかしその整っているはずの顔は一向に光を浴びない。どうすればいいのか決めあぐねていると万丈目が「おい」と小さく言った。呼びかけられたことに驚き●●は、耳を近づけた。
「触ってもいいが動かすな。」
怒られるのかとどきどきと構えていると、全く予期していないことを万丈目は言った。意味がわからず、●●は万丈目の隣に座り、確かめるようにぷにっと頬に人差し指を沈めた。軽く爪痕が三日月型についただろうことを予測して、離した。そしてまた沈めて、離して、を繰り返す。万丈目の頬にくっきりと三日月が浮かび、速度が速まるごとにだんだんと万丈目の眉間に皺が寄っていき「動くな」と静かに、しかし確実に怒りを含めて言った。これは面白い。●●は新しいおもちゃを買ってもらった子供のように頬が吊り上がっていった。次は万丈目の耳たぶを摘んだ。摘むだけではきっと何も反応がない、はずだ。予測の通り何も反応がない。しかし、耳たぶを摘む力を強めたり弱めたりを繰り返すと、やはり万丈目の眉間には皺が寄り始め、煩わしそうにうめき声を上げた。
「だから動くな!」
決して目は開けられていないが万丈目から怒号が飛んだ。心なしか怒りでなのか万丈目の体がぷるぷると震えている。そんな万丈目の震えを止めようと●●は大胆にも万丈目の背中に腕を回し、腰に手を添えた。ぴたっと万丈目の肩に自分の顔を乗せる。まるで彼女に寄り添っている彼氏のように。こんなに体を接近させてもきっと今の万丈目は怒らない。怒るとすれば。●●は笑いを堪えながら、赤子を寝かしつける母親のように万丈目の腰をとんとんとリズムよく叩いた。人によってはこのまま眠りの底なし沼へを沈んで行きそうだが、きっと万丈目は違う。やはり眉間に皺を寄せて、眉を吊り上げて「しつこい動くな」と言った。
「動かないと離れられないよ?」
返答があるのか定かではないが、試しに●●は万丈目へ問いかけてみた。少し反応があり「いい」と短く万丈目が言った。
「このままで、いいってこと?」
きっと何を聞かれているのかわからないだろう万丈目は静かに一度こくりと頷いた。
「じゃこのまま動かないね?」
「ああ、そうしてくれ。」
万丈目との契約が成立した。自分の腹を抱えて笑い出したいほどの達成感に●●は満ち溢れている。起きた時、万丈目は一体どんな顔をするのか。どんな言葉を発するのか。もしかしたら拒絶され、嫌われてしまうかもしれない。それでも未来のデュエルキングの反応が気になって仕方がなかった。次の授業は休んでしまえ。
(中)