最近は暇だった。
本所属は掃除課であるが、運送課にも属している私はハンドルを握ることの方が多かった。
ちょうど海外派遣されていた掃除課の職員が帰ってきたこともあり、それなりに余裕があったのだ。
掃除やこれまた兼任している取立課として現地に赴くこともあれば、個で動く立会人の送迎、要人の運転手としての勤務もそれなりにある。
社用携帯電話での連絡は出退勤及び社外にいるときのために使うことが多く、掃除課執務室のデスクでこのところの立会の資料を読んでいたとき、内線電話がかかってきた。
「はい、掃除課、みょーじですー」
「みょーじ掃除人、お疲れさまです」
「お疲れさまでーす」
「立会人の送迎をお願いしたかったのですが」
「はーい、大丈夫でーす」
目の前の壁のホワイトボードには、掃除課所属の職員の勤怠状況が磁石で示してある。
掃除、休日、出張、内勤、外勤、取立、運送、直帰、などなど。
私の赤い磁石は内勤の欄にくっついていて、今日はその欄が一番多い。他職員も暇を持て余しつつも、知識の吸収に余念が無い。完璧に沿うためには、こういう時間も必要なのだけれど。
デスクに置いてあるメモ用紙に必要事項を書き留める。
時間、社用車のナンバー、立会人、行き先、特筆事項。
立会人を聞いた私は少し動揺したけれど、そんなことは悟られないように返事を続けた。
復唱確認の後、電話を切る。速やかにホワイトボードの赤い磁石を運送の位置に変える。
いまから一時間後、弥鱈立会人を、都内某ホテルへ送る。立会人の指示があれば、その場に同行。若しくは帰社し、連絡が来たら迎えに行く。
弥鱈さんとはあの後もトレーニングルームで会うことが度々あったけれど、お互い目礼か会釈だけで特に会話も無かった。
クラッチバッグの中を確認し、掃除課執務室を出る。管理部に行き、先ほど指定されたナンバーのキーの貸し出しを受け、地下駐車場へ向かう。
黒塗りベンツのナンバーは揃えてあるから見つけやすい。指定の車を整然と並べられた場所から出入口の近くに移動させた。トランクから必要なものを取り出して、車の状態を点検する。
収納時にも点検をしているが、出発前の点検も義務付けられている。
一通り確認し、問題のないことを社用携帯電話で管理部に連絡する。
あと十五分。
一旦社に戻り、待ち合いで雑誌でも読もうと出入口を通過した。
エレベーターホールは待合室を兼ねていて、自販機もあれば簡易喫煙所もある。背凭れのない並んだ椅子の端に腰掛けて、ラックに用意されているファッション誌を開く。
どたばたしてて、こういうのも一切見ていなかった。
暫く眺めていたら、エレベーターが動いて、開く音。
顔を上げたら。
「お疲れさまです」
反対壁の掛け時計を見る。予定時間の五分ほど前。
雑誌をラックに戻す。立ち上がる。
「お早いですね。車の用意はできていますが」
「では、お願いします」
もう一度自動ドアを通って、斜め横に停めていた車に乗り込む。
エンジンをかけて、出入口の正面に付けた。静かに後部座席のドアが開いて、弥鱈立会人が乗り込む。
なだらかに発車して、地上に出る。少し眩しい。
「最近、よく会いますね」
「…そうですね」
「ワザとじゃないですよ」
「承知してます」
少し笑って、ブレーキを踏む。信号機に合わせてするりと車が停まる。
我ながら、運転は上手い。揺らさないのが得意で、基本的に安全運転。
到着予定時間きっかりに着くために、脳内でルートのシミュレーション。
個人的には十分前行動の五分前行動をするタイプだから、時間きっかりというのはなかなか難しかったけれど。
「いつもお一人で?」
「はあ、とりあえずは。必要そうであれば呼びます」
「へえー。むつかしいですねえ」
「そうでも、ないですよ」
続かない会話にイラっとするものの、もう黙ってても良いくらいには気を遣ったと判断して口を閉じる。
するする進む車は、予定時刻一分前に某ホテル前に到着。
そういえば、この後の指示を仰がねばならないのであった。
「お疲れさまでございます」
「ありがとうございます」
「同行するかお迎えに上がるか、弥鱈立会人に指示を受けるよう伺っておりますが」
「…ああ、そうでしたね。…では、同行を、お願いします」
「…は、畏まりました」
ちょっと、意外だった。
用のある部屋を聞いて弥鱈立会人をそこで下ろし、ホテルの駐車場に車を入れる。
管理部に連絡を入れ、同行する旨、車の監視を依頼し正面玄関へ向かった。
弥鱈立会人はロビーで待っていて、私を見つけて立ち上がる。先にエレベーターに乗り込んで、目的階の数字を押す。
少し緊張していた。
弥鱈立会人の仕切りは初めて見る。
彼はよく分からないから、望まれる通りに動けるか。
盗み見た顔はいつも通り、明後日の方を見ている。
緊張している。
気張らなくては。ダメな私を知られてはならない。出来ない私を知られてはならない。
うまく、やらなくては。そう思いながらホテルの一室に入ったのだが。
驚くべきことに、弥鱈立会人はそのままだった。
いつものあの通り、面倒臭そうに最初から最後まで立っていた。
プレイヤーはどちらもインテリ系で暴が必要になることもなく、私も黙って出入口付近に控えて、微動だにしないスーツの背中を眺めながら、その知能戦を見ていた。
長い長いカードゲームの末に敗者は勝者に賭けたものを引き渡し、立会は終了した。
来たときと同じように、弥鱈立会人を乗せ賭郎本社ビルに戻り、車の点検、給油、キーの返却を行い執務室に戻る。
この間、特に会話もなく、挨拶を済ませ弥鱈立会人も立会課のフロアに戻って行った。きっと明日か明後日には本日の立会の報告書が提出され、すぐ資料として資料室に収められるだろう。
私も、運送課に提出する報告書を書くためにデスクの抽斗を開けて用紙を取り出す。
運送業務の報告書は何も考えずにすべてを記入できるから、十分ほどで書き終わり掃除課から運送課に向かった。
エレベーターに乗っていると携帯電話が震える。使用について制約があるわけではないが、社内を移動するだけなら社用の方しか持ち歩かない。なんだろ、と思いながら確認すると、夕湖からラインだった。
報告書を出すついでに、外交課に寄れそうなら寄って、という内容で、十分後くらいに行く、と返す。
内心、えーなんだろ、なんかしたっけ、ともやもやしつつ運送課に報告書を出す。
運送課は殆どが他の課と兼任なので執務室も形だけ、誰もいないことも少なくない。郵便のように、毎日決まった時間に提出物がないか確認に来るから困ることもない。
案の定、無人の執務室に入り窓際のデスクに置かれたトレーにたった一枚きりの報告書を入れて退室。下の階にある外交課へ向かう。気乗りは、しない。
夕湖とはいえ、社用携帯電話での呼び出しだなんて何かやらかしたかと、嫌な気にしかならない。
プレートの付いたドアをノック。重たいそれをゆっくり開けた。
「しつれーしまーす」
顔を上げると、応接用ソファで夕湖がコーヒーを飲んでいた。
目の前は空席だというのに、コーヒーカップが置いてある。
「ごめんね、呼び出して」
「…いや…私なんかした?」
夕湖が座るよう促して、そのコーヒーカップが私の為のものだと気づく。
辺りを憚りつつ、声を潜めた夕湖に合わせて小声で会話。
「いや、そういうことじゃないんだけど」
夕湖はそこで言葉を切り、少し押し黙る。
どういう、言葉を用いるべきか考えているようで、表情が渋い。
私はコーヒーカップに注がれたアイスココアを飲んで、続きを待つ。
「さっきさ、つい…何時間か前に、病院に電話が来たの」
「病院?」
「なまえが勤めていることになってる、ウチの」
「ああ、いや、ちゃんと働いてるけどね?」
倶楽部賭郎には、経営する大病院がある。組織の性質的にこれは外せない。
銃創や臓器売却、その他もろもろを
勘案しても、医療行為を行える正当な場が必要だった。
当然、常駐する医師も古くからのお抱えで、医師や看護師、薬剤師、あらゆる技師、療法士もすべて息のかかった人たちである。賭郎内でも医療系の免許持ちは週に何度か病院勤務もある。正看護師の私も、火曜と金曜は病院勤務で、こちらが私の表向きの職業になっている。
表向きは、通常の病院と変わらないため、一般の外来も受け付けている。
「みょーじさんいますか、って、」
「誰から?」
「アンタの元彼からよ」
夕湖はひとつ溜息を吐いて一気に言った。
面食らって何も言えずにいる私を、じっと見ている。
私もひとつ息を吐いて、コーヒーカップをソーサーに戻した。
「…で、なんだって?」
「受けたコが、どちら様でしょうかって聞いたら切られたって」
「…なんでアレだって分かったの?」
「携帯から掛けてたのよ。すぐにこっちに連絡が来て、番号を調べたら一発だった」
「…非通知でかけなかったのね」
「そんな頭も無いくらいバカだったでしょ」
「そうだった」
夕湖の言葉にちょっと笑えて、余裕が出来た。
それでも夕湖は真剣な表情でさらに距離を詰めるように前屈みになる。
「どういう、風の吹き回しだろうね」
「…確かにー、分からない。お金関係も全部済んでるし、手続きもろもろももう終わってるし」
「とりあえず、すぐ伝えなきゃと思ってサ」
「うん…なんかほんと、迷惑ばっかりかけてごめん、助かる」
「はは、いーよ。大事な友人、だからね」
「うん、ありがと」
少しだけ談笑して、飲みに行く日を決めて、外交課を後にする。
ひとりになると急に落ち込む。いまさら、なんだっていうのだろう。
お前は、ルウちゃんとよろしくやってんだろーが、と苛々もした。
あのときのことを思い出して、へこむ。
まだまだダメだ、こんなんじゃ。
せっかく、弥鱈立会人が上げてくれたテンションがだだ下がりで、執務室に戻って資料の続きを眺めても、一向に文字は頭に入って来なかった。
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