今日は金曜日で、病院勤務の日だった。
午前は外来にいたが、午後からは賭郎関係者が利用する側の待合の受付で今月分の利用記録の書類作成を始めたら、処置室から誰かが出てきた。
お疲れさまです、と言いながら顔を上げたら。

「あら、弥鱈立会人」
「…病院勤務なんですか?」
「はい。私、正看持ってるので、一応こっちが本職です」
「…へえ」
「お怪我ですか? 大丈夫ですか?」
「はあ…問題ありません」

そうこうしていたら、処置室にいた医師が書類を持ってきたので、確認して弥鱈さんにサインを貰う。
右手で綺麗にボールペンを持って、思ったよりも明朝体に近い字体。

「弥鱈立会人、結構綺麗な字を書かれるんですね」

ぽろっと、思った通りに言葉が出てしまった。
やばかったかな、と思いながら書類を見ていた顔を上げたら、ちょっと呆れたような表情の彼と目が合う。

「…ね」
「…褒められてるんですか? それ」
「えっ、ふつーに、褒めてますよ」
「はあ…ありがとうございます」

受付台を挟んでお互い立っていたのだが、弥鱈さんはこちら側を覗き込むように身を乗り出す。

「…似合いますね」
「? ナース服ですか?」
「はい。脚が隠れているのは残念ですが」

そこを見ていたのか! と思って、まだ身を乗り出したままの彼の肩を押す。
書類によると、腹部の打撲と腕の裂傷と目の上の擦過傷の治療に来ていたそうだから問題はない。
彼はいつも通り飄々としたままで、私はやっぱり対応に少し困る。

「弥鱈立会人、脚がお好きなんですか?」
「…まあ、どちらかと言うと好きですね」
「…なんだか意外ですね。弥鱈立会人、女性に興味なさそう」

言って、じっとり睨まれて気づいた。慌てて、そういう意味じゃないと訂正する。
ただ、なんとなくそういう弥鱈さんが想像できないだけ。

「私も、ここでは普通の制服ですよ。機敏に動く必要もないですし」
「…何度も来てますが、初めて見ました」
「火曜と金曜だけだからですかね?」
「また会えるのを楽しみにしています」
「やだ、怪我しちゃダメですよ」
「…それもそうですね」

薄く笑った弥鱈さんに少しだけ見惚れて、はっと我に返る。
左目尻の上が赤くなっていて少し痛々しいが、ちょっと格好いい。
かっこういい?
いつも通りポケットに手を入れて、猫背なまま、お別れの挨拶を交わした。
ゆっくり歩く背中を見送る。自動ドアが開いて、閉じる。曇りガラスの向こう、滲んで淡くなって消えていく、黒。
確かに、いつもは黒スーツに長い髪を下ろしているから白い制服にまとめ髪は見慣れないかもしれない。
溜息をひとつ吐いて作業を中断し、この書類の入力を始める。
私の中で、あのひとが大きくなっていく。
認めたくない。
微妙な距離感。何を考えているのか全く分からない感じ。
それにしても最近の遭遇率は異常で、すべての部門を合わせると数百人といるであろう組織のことを考えると本当に不思議だった。
ひとを好きになるには、まだ早すぎる。まだ、怖すぎる。
あのときの、ショックと心労を思えば、自然と心は深く深く落ちていく。
ダメだ。
ダメ。
どうせ傷ついて、どうせ悲しむ。何かしらの理由で。
だから、こういうのはダメ。もう、ダメ。

あれからまた日が経ち、今日は賭郎本社に出社していたが、緊急手術が入り、以前から予定されていた手術のヘルプに呼ばれた十分後、掃除の仕事が回ってきた。
移動時間込みで、三十分で終わらせることが出来ればヘルプに間に合う。
場所も近いということで、久しぶりに掃除を受ける。
実はSランクの私は、下位ランクの掃除人に運転をさせて、呼び出された工場跡地に向かう。管理部からの話によると、どちらも専属立会人のいる組織同士の勝負事で、そこに、それらと対立している組織が乗り込んできたらしい。
立会人はふたりいるが、対立している組織が、直接であれ間接であれ手を下したというのは避けたいらしい。今回は、勝負事を邪魔したという理由で掃除をすると決まり、乗り込んできた組織もおとなしく待っているというからなかなか面白い。
ベンツは五分でそこに着いた。
立会人の部下が、跡地の前で待機していたから、私の部下を残して車を下りる。

「ご苦労様」
「ご足労頂き申し訳ありません」
「すぐ?」
「はい、開けて、すぐ、です」
「了解」

観音開きの鉄扉を、押し開ける。
思ったより、中は明るい。
目の前には簡素な鉄のテーブルと左右にひとりずつ、恐らくプレーヤーが座り、その奥に立会人がそれぞれ立っている。
一番手前にいる五人が、その乗り込んできた組織というやつであろう。
左右にもそれぞれの組織の部下らしき人たちがいるが、口論をしていたのはテーブルについているふたりと、五人の真ん中の人物だけのようだった。
すぐに攻撃してこない辺り、なんというか、愚かだ。

「ご機嫌よう」

ふたりの挨拶を聞き流しつつ、目の前の五人を眺め近づく。距離は約二メートル。

「お呼びたて頂いて申し訳ないのですが、私、オペのヘルプに呼ばれておりまして、すぐ戻らないといけないんです」

下品な野次を無視して微笑む。
真ん中に立っていたひとりが、愚かにも右手に持っていた銃を私に向けた。
発砲音が響く、しかしそこに私の頭はない。上体を深く倒して、両足は銀色にくすんだ床を蹴る。半周した辺りで、愚か者の右手が私を捉えようと動いたけれどもう遅い。
届かないと、思うでしょう。この距離じゃあ。
なんか言ってるけども、私、ゴミ語は分からないし。
振り下ろされた右足が銃の真上に落っこちて、手から離れたそれが床にぶつかる音、がする前に左足が愚か者の右耳の辺りを捉えて体を真横に蹴飛ばす。
そのまま足を絡めて、上体を捻り起こし、強かに頭を強打した愚か者の後ろに着地。ここまでで、二秒弱。
襟首を掴んで持ち上げながら、愚か者から蹴り落とした銃を拾う。
残りの四人が銃を取り出すより早く、四発放つ。残りの一発は盾にもならなかった愚か者の頭に。

「急いで帰って、シャワーを浴びなくっちゃあ」

掴んでいた襟首と銃を放り投げる。

「ではこの辺で。後始末は部下にさせます。ご機嫌よう」

短いスカートの端を摘まんでお辞儀をして、踵を返す。
鉄扉を引き開けて、優秀な部下が増えていることに微笑んだ。

「呼んでくれたのね」
「は、後始末が必要かと思いまして」
「ありがとう、助かるわ。じゃあ、あとお願い。私は戻ります」

優秀な部下が工場跡に入っていくのを見て、車が緩やかに動き出す。
銃を使ってしまったから急いでシャワーを浴びなくては。
弥鱈立会人じゃなくて残念、と思った自分を問い詰めるのは後にすることにした。