僕には生まれた頃の記憶がない。まあ、人には生まれた頃の記憶がない、と表す方が正しいのかもしれないけど、今回は少し違った捉え方をしているから気にしないでほしい。
 普通の人は親に聞けば、たとえ出生時の記憶がなくとも、当時の記憶が間接的に手に入る。しかし僕には、当時の記憶をくれる母も父も、親族すらいない。つまり、僕は孤児だ。だから僕は生まれた頃の記憶がないし、それを補うこともできないのである。
 そんな僕の記憶は、僕のボロボロの布の服のポケットに入ったネズミのトーポと、小さな木の陰で横たわり眠る僕の肩を揺すり、目覚めた僕に静かに微笑みを見せてくれた心優しい女の子と共に始まった。






「よかった、目がさめて。こんなところでおひるねしてたら、モンスターにたべられちゃうよ?」

 彼女は心配そうに僕を見つめてきた。それからすぐにハッとして「そうだ。わたしはメアン。トロデーンのまほうつかいの、みならい。よろしくね」と、再び微笑みながら自己紹介をしてくれた。

「うん、よろしく」

 自然と僕の口は開いた。トーポも彼女が気になるのか、ひょこっと顔を覗かせていた。
 次いで僕は寝惚けた脳を働かせ、辛うじて思い出したことをメアンに明かした。

「ぼくは……エイト。この子は、トーポ。ひとりぼっちなんだ」
「そっか。それならわたしといっしょにおいで」

 彼女は僕を気遣ってか、そう言うと「ほら、いこう!」と僕の手を引き、彼女の住むトロデーン城まで案内してくれたのだった。





 僕は彼女と出会ってから多くの人に出会い、溢れんばかりの幸せを貰った。この恩を返すため、もっと大きく言えば世界を救うために、僕の物語はいよいよ始まりの鐘を鳴らす。


 ・・・


 道化師・ドルマゲスを倒す旅が始まってから、早くも一ヶ月が経とうとしていた。現在の旅の仲間はトーポとメアンをはじめとして、トロデーンの秘宝の杖によって呪われてしまったミーティア姫やトロデ王、道すがらに命を救ったことでついてきたヤンガス、兄の仇討ちと称してドルマゲスへの復讐に燃えるゼシカ。そして今日、聖堂騎士団長兼新マイエラ修道院長を務めるマルチェロに事実上追放された騎士団員のククールが新たに旅に加わった。否、加わってしまった。

「俺は騎士として、命懸けでもメアンを守ると誓うよ」
「え、あ、ありがとう」
「照れたメアンも素敵だぜ?」
「え、ええ? そんなこと、ないよ」
「……なあ、メアン。俺はもっとメアンと深い付き合いがしたい」
「……ふふ、うん。私も」

 気に食わない。全く気に食わない。やけに二人の距離が近いことや、ククールがメアンを口説いていること、それで彼女が照れていること。極めつけにククールは彼女の腰に腕を回している。
 僕はもう完全に苛立っていた。今ならば草原を彷徨いているモンスターたちも一掃できそうなくらいに。

「……何してるんだよ」

 そう呟きたくなる理由は誰にだって分かるだろう。そうだ、僕はメアンと出会ったときからずっと彼女が好きなのだ。
 ククールよりも僕の方がメアンへの想いは大きい筈なのに、彼女はククールの元へ行ってしまうのか。本当に苛々した。しかし、その原因は僕自身にもあった。
 確かに、あんな風にメアンにくっつくククールにも、それを拒もうとしないメアンにも、嫉妬の火山が爆発しそうなくらい腹が立つ。ただ、それを見ていることしかできない臆病な僕にも苛々するのだ。
 結局、僕はこの先もメアンとは兄妹、姉弟のような関係しか築けないのだろうか。ああ、全く以って気に食わない。
 それから暫くは例の二人の、例の二人による、例の二人の為の会話が繰り広げられた。嫌でも聞こえる二人の話は、実は僕を苛立たせるのが狙いなのではないかと疑ってしまう程、僕の心をじわじわ甚振ってくる。モンスターたちも何となく近寄りがたいのか、草原の茂みから遠巻きにこちらを伺っていた。
――僕だって、僕だってメアンと話したいのに。
 さっきからずっと心に降り注いでいる嫉妬の雨。その一粒一粒がまるで鋭利な刃のように僕の心に突き刺さる。
 痛い。辛い。苦しい。僕の心境を察知したのか――いや、僕の態度や雰囲気で一目瞭然だろうが――あの二人は気付かないまま先頭を幸せそうに歩いているけど、他の皆は僕を気遣って言葉をかけてくれた。ゼシカは「大丈夫? いざとなったら私があいつ(ククール)にメラを唱えてやるわ」と。ヤンガスは「あっしには分かるでがすよ、兄貴の気持ち。姉貴(メアン)も少しくらい分かってくれりゃあいいんでげすがねえ」と。終いにはトロデ王までも「恋には障害がつきものじゃ」と慰めてくださった。ミーティア姫も悲しそうにこちらを見つめてくださっている。僕は皆の優しさに励まされた気もすれば、慰められていることに悔しさを覚えた気もした。
 何だか自分が失恋した惨めな男みたいで情けなくて、思わず足を止める。自然に顔が砂利道と向き合った。

  


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