「おい、オマエ」

 ぼーっと考えごとをしながら前方を向いていた私の耳に、突如として少年の声が届いた。私はハッとして、その声の持ち主の方――方向からして下――へ即座に顔を向ける。

「――えっ、なっ、いつの間に……」

 そこにいたのは、靴下猫だった。ついさっきまでそこにいたはずなのに、と反抗も込めて交差点の方を見遣るも、こちらに今まさに向かってこようとしている怪盗とライダーの二人しか立っていなかった。何と瞬間移動までできるらしい彼――かは分からないが、声質からして雄っぽい――は今、私を見上げながら、その靴下のような右の前足(でいいのだろうか。二足歩行をしているということは右手なのか?)でこちらを指している。毛並みよく整えられているその足は、触ったら絶対に温かくて気持ちいいだろうなあ、と驚きで硬直している割には呑気なことを考えた。そして、そんな阿呆面丸出しの私に、彼は「やれやれ。気付いてなかったのか?」と、遂には両前足の関節を器用に曲げて、やれやれのポーズを取ってきたのだ――何だ、この猫のようで人間のようで猫のような不思議な生き物は。
 夢は夢らしく、最早何も喋らない方が得策なのではないかと覚え始め、私はただじっと彼の様子を観察する。そこで一つ判明したのは、彼も怪盗やライダーと同じように顔を布あるいはシリコン製のマスクで覆っていたことだ。黒毛の体と違わぬ色をしていたため遠目からでは分からなかったが、間近で見てみると、明らかに猫毛とは質を異にするものを、彼はすっぽりと被っていた。

「おい、何とか言えよ!」

 全く喋らないのが彼の癪に障ったらしく、彼は怒り気味にツッコんできた。けれども彼のこれまた白靴下のような尻尾が、猫が怒って尻尾を太くするのと同じように膨らんでいるのを見て、実は彼は普通に「ニャーニャー!」と鳴いていたのではないかと、私は錯覚する。彼は本当に猫らしくて人間らしい、よく分からない生き物だ。
 取り敢えず、確かに初対面の相手に何も喋らないのは失礼かもしれない――この生き物に人間の物差しが通用するのかは分からないけれど――と反省し、私は彼の青い瞳に視線を合わせる形で屈んで「えっと、ごめんね。君みたいな子に初めて会ったから、ちょっと驚いちゃって」と素直に喋らなかったことを謝り、その理由を説明した。すると、いつの間にかすぐそこまでやってきていたライダーが「そりゃ誰だってモナを見たらそうなるわ」と、うんうん頷いてくれた。彼の背の高さとその服装故に、いきなり絡まれたように感じて少し怖かったけれど、彼も初めてこの靴下猫と対面したときに、私と似たような反応を示したのかと思うと、少し親近感が湧いた。なので一応「ですよね」と愛想良く笑っておく。
 あと、どうやらこの靴下猫の名前はモナというらしい。何だか可愛らしい名だと感じて、「君、モナくんって言うんだ。いい名前だね」と猫を相手にするときのようにモナくんの頭を撫でると、「ニャア〜――て猫じゃねーよ!」と彼は完璧なまでのノリツッコミを返してきた。

「えっ、猫さんじゃないの?」

 確かに人間のような一面もあるけれど、見た目は猫に違いないだろう。そんな理屈を抱えながらリアクションを返すと、モナくんは腰辺りに両前足を当てて、胸を張って「ああ。ワガハイはニンゲンだ!」と、猫を連想させる一人称で彼自身の人間であることを主張した。どうやらモナくんは自分自身を人間だと思っているらしい。いや、もちろんモナくんからは人間らしさも感じられるから、彼が自分自身を人間とみなすなら、それでいいと私は思う。

「いや、猫だろ」

 とか言う声も頭上から聞こえてきたけれど、その意見は一旦差し置いて、私は「分かったよ」と笑ってもう一度モナくんの頭を撫でる。すると、やはり気持ちいいのか、モナくんは「ニャフフ」と甘えるような声を出した。うーん、感覚はどうやら猫らしい。

「……いや、だからワガハイを猫扱いす――」

 また見事なノリツッコミが披露されるのかと期待していたら、モナくんが「ムッ! アイツら、さっき705にいたヤツらか?」と口にしながら視線を何者かに向けてしまったため、遂に叶わなかった。誰だろう、モナくんたちの知り合いか、と疑問を頭に浮かべながら、私も彼の見ている方へ顔を向ける。すれば、見知らぬ青年が三人、付近のCDショップ辺りに立っていた。
 彼らの内の一人が指を差していたから、気になって私はそちらへ視線を更に動かす。けれどもそこには大きなモニターが取り付けられているだけで、何の異変も感じられなかった――かと思ったら、急にモニターの画面が点いて、音を鳴らし始めたのである。そしてそこに、見覚えのある女性が映し出されたのを認めた瞬間、私は大きく息を呑んだ。

「ねえ皆……私のこと好き?」

 画面越しに、見知らぬ青年たちへ上目遣いをかます、いつもと違って頭部に大きな目玉を二つと冠を飾り、髪をピンクに染め、黄色のコンタクトレンズを両目に入れ、口紅をさしているその女性は、柊アリスに違いなかった。

  


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