とはいえ、例え夢だとしても、やはり夜の渋谷にたった一人で佇むとなると寂しくなる訳で。結局、呑気でいられたのは最初の束の間だけで、すぐに孤独感に苛まれてしまったわたしは、「太平堂書店」の出入り口の前で、その看板の上にある「プリンスオブナイトメア」の広告らしい広告を見るともなく眺めながら、ぼーっと突っ立っていた。
 しかし、そんなときだった。突如として後方から男性の困惑する声が聞こえたのだ。

「――ってお前、その格好……!?」
「……え?」

 吃驚して後ろを振り返ると、スクランブル交差点の中心辺りに二人の男性と一匹の猫が立っていた。
 大まかな情報としてはこんな感じだ。無論、これだけでも十分に状況判断が可能だから、敢えて子細を説明する必要はないのだけれど、いやしかしわたしは言及したい。それほど彼らには突っ込みどころがあるのだ。但し、そのためにはまず、今のこの思考停止状態を脱却しなければならなかった。

「オマエ――。見てみ――」

 未だに驚愕に固まっているわたしを余所に、こちらに背を向けるようにして立っている「常軌を逸する存在その一」が、「常軌を逸する存在その二」に向かって何かを口にして――。

「――えっ?」
「うおっ!? マジか! えっ?!」

「常軌を逸する存在その二」が何かに驚いているのを聞くともなく耳にしながら、わたしは「常軌を逸する存在その一」即ち「赤子くらいの背丈を占める頭の長さの割合が半分、つまり二頭身という不思議な構造の身体を二足で支えて直立姿勢を保つ、黄色のネッカチーフが黒毛に映える靴下猫(最早意味不明だ)」の、世間の常識――猫は人の言葉を喋らない――を覆す驚きの行動に、冷水を浴びたときのようにハッと正気に返る。

「猫さんが……喋った……?」

 思ったままを呆気にとられながらも呟くと、ここが夢の中であるということへの理解が、漸く骨の髄まで行き渡った気がした。わたしは案外空想家で、かつファンタジーが実際に起こるのを、密かに望んでいたのかもしれない。
 自身の知らない自分と、その自分による願望が余りにも自身のアイデンティティーからかけ離れていて、わたしは小さく失笑する。けれども、混沌の使者・靴下猫がいよいよこちらを振り返って正面の姿を見せてきたために、わたしはすぐさま落ち着きを取り戻した。

「……どうやらここはイセカイって事になるな」

 おもんぱかっている風によく分からないことを言った靴下猫は、やっぱり胴体に対する頭の大きさがおかしくて、そのモフモフしていそうなこまい体でどうやって頭部との釣り合いを取っているのか、甚だ疑問に思った。あと、後ろ姿からは気付かなかったけれど、靴下猫は何故かベルトで二つのウエストポーチを腰回りに固定していた。本当に、からだのつくりを除けば、人間みたい。

「おいおい冗談だろ……」

 靴下猫への注目も程程に、わたしは自身の好奇心――彼らを詳細に言い表したい――に従い、さっきから頻繁に言葉を発する「常軌を逸する存在その二」と、逆に全く口を開かない「常軌を逸する存在その三」の装いに意識を集中した。
 彼らは揃って仮面を被っていた。一つは仮面舞踏会で使われていそうな形状を成す白黒のマスクで、もう一つはさも硬そうな髑髏どくろ型の鉄仮面。お陰で、一応その奥に瞳を覗けるは覗けるだろうけれど、その人が一体誰なのか、面貌で識別することができない。まあ、仮面を着ける趣味を持つ知り合いは身近にいないため、恐らくは知らない人たちだろう。
 加えて彼らは、カオスの代名詞である渋谷のハロウィンイベントにおいてもお目にかかれなさそうな、独特の身形みなりをしていた。彼らの内の一人は如何にも上質そうな黒の背広(サックオーバーコート――左胸ポケットには白のハンカチーフが上品に折り込まれている――、チョッキ、ズボンの三つ揃い)で胴を、赤赤とした手袋で両手を、褐色のレザーブーツで両足を、つまり肢体の至るところを覆い隠していて。もう一人は竪襟たてえりの付いた黒色の、ライダースジャケットのように丈夫そうなスーツ――鉄の肘当てと膝当てがれ取り付けられている――を纏い、銃弾(……いや、銃弾にそっくりなもの、と言っておこう)が左右に着装された鉄製ベルトを白金の円型バックルで腰に留め、手の甲に金属か何かの盛り上がりが付いた黄色の手套を諸手もろてめ、真っ赤なシルクスカーフを首に巻いて正面で結び下げていて。さながら前者は怪盗、後者は……連想できるものが複数入り交じっていてよく分からないけれど、多分ライダーといったところか。
 とにもかくにも、夢の中で見知らぬ人に見事な扮装までさせてしまうわたしは、果たして心の深層で現実からの逃避を求めていたようだ。しかしながら、銃弾……わたしに人を傷付けたい気持ちまであったなんて。我ながら恐ろしい。けれどもこれを数秒間で把握してしまったわたしの脳は、意外と有能なのかもしれない――などと考えていたわたしの存在に、遂に怪盗とライダーと靴下猫が気付いてしまったのだった。

  


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