故郷を想う


 某年四月二十日。
 ちゅんちゅん、と小鳥たちの春を謳う声が宙を飛び交っては何処かへ消えていく。彼らの頭上には朝特有の青白い空が一面に広がっていた。
――遂に東京にも春が来たのか。
 俺はそんな、若干に中年男性じみたことを心の中で呟きながら、一ヶ月ぶりの第二の故郷の風景をじっくり楽しんでいた。しかし何故、地元に帰ってまたすぐに此処に戻ってきたのかというと、それは俺の、否、俺たち「元・怪盗団」の大切な仲間である後輩の誕生日会に参加するためであった。場所はやはり「ルブラン」である。其処は前科を持つ俺の保護監視人だった――今はもう父のような存在だ――惣治郎さんの営む喫茶店であり、俺の住処であり、怪盗団の本拠地だった所だ。
 帰郷しても尚、惣治郎さんとは電話で近況報告や世間話をしていた――その際に、ルブランで楓の誕生日会を開かせて欲しいとお願いしたら、快く許可してくれた上に「楓ちゃんの誕生日なら、俺も何か作ってあげないとな」と料理作りまで自ら進んで引き受けてくれた――から、きっと相変わらず厳しくも優しい彼のままでいてくれていることだろうが、久々に顔を拝めるということで、俺は心を躍らせていた。そんな感じで歩みを進めていたら、漸くあの古ぼったい町並みが目に飛び込んできた。俺は思わず歩みを止めて、ぼそりと言葉を零してしまった。

「……帰ってきた」
「そうだぜ、暁」

 しかし誰にも聞こえていないと思っていたのに不意に背後から相槌を打たれて、しかもそれが大切な友人の、いや、悪友の懐かしい声だったから、俺は瞬時に後ろを振り向いた。
……やはり。

「竜司、久しぶり」
「おう、久しぶりだな!」

 竜司はこれでもかという程の無邪気な笑みを満面に浮かべた。俺もつられて頬が緩む。ああ、懐かしい。一ヶ月しか離れていないのに、この空間が酷く懐かしい。

「お前、何も変わってねえな。あ、でもちょい髪伸びたか?」

 俺が郷愁に心寄せている間に竜司は俺をじろじろと観察していたらしく、そんなことを確認してきた。

「ああ、少しは伸びただろうけど……それなら竜司だって何も変わってないだろ?」
「へへっ、まあな! 俺はいつだって俺だぜ」

 やはり竜司は一ヶ月前と、それよりも前とだって、何も変わっていない。そう、竜司は竜司なのだ。当然のことながら、その事実が俺にとっては堪らなく嬉しくて、きっと他の怪盗団のメンバーも同じく変わっていないのだろうな、と俺は喜び満ちた胸の中でそう思った。
 こうして久々の再会を果たした俺と竜司は現在、残り短いルブランまでの道を、思い出話に花を咲かせながらゆっくり歩いている。
 ふと、俺は竜司の右手に提げられた重々しいエコバッグが目に付いた。何となく気にかかって、俺は竜司に尋ねる。

「それ、追加か?」
「そういや、モナは?」

 見事に被った。衝撃で俺たちの間に沈黙が流れる。鳥のちゅんちゅん、と鳴く声がまたもや聞こえた。遠くからは車の喧騒も聞こえてくる。
 俺たちは暫く見つめ合い、どちらからともなく吹き出して笑い合った。笑いがある程度まで収まると、次は「竜司からだ」「いや、暁からだろ」の言い合いが始まる。結局、この言い合いは俺から質問に答えるという形で終結した。

「モルガナは今、俺のリュックサックの中で眠ってる」
「ああ、なるほどな。まあ、今日は朝早かっただろうし、仕方ねえわ。あ、因みにこれは暁の言う通り、追加の買い出しだぜ」

 竜司はにしし、と笑いながら、俺に『資源の無駄使いを減らそう!』と大きく書かれたエコバッグの中身を見せてきた。中には盆ジュースや後光の紅茶といった有名な飲み物が数本と、恐らくは小腹を満たす用であろう駄菓子が数個入っていた。道理で重たそうに見えたのだ。ルブラン付近のスーパーからはそんなに遠くないが、その重量感に俺は思わず「持とうか?」と竜司に提案していた。しかし竜司は「いいや、俺が持つ。これも立派なトレーニングだからな!」と言ってダンベルの様にそれを上下に動かしてみせた。やはり、竜司は相変わらずのスポーツ少年――といってもいい程の高校三年生――であると、俺は思った。
 そして遂に俺たちはルブランに到着する。この古ぼったい町並みに上手くマッチしたアンティーク感と、店の看板や観葉植物が演出する洒落た雰囲気が、此処が「ルブラン」であることを俺に教えてくれる。俺の大切な居場所である喫茶店だ、と。

「……ルブランだ」

 俺の呟きに、竜司は「おう」と頷いた。そして「なあ、暁」と優しい声で俺を呼ぶと、ニカッと笑ってこう言った。

「今日は楓の誕生日だから主役は楓だけどよ、皆、お前とまた会えるのすっげえ楽しみにしてたんだぜ?」

 そう言われて嬉しくない人など存在するのだろうか。俺はただ感謝と挨拶をしたいと思った。

「ありがとう。ただいま」

 そう口にした後の安心感は半端ではなくて、俺は竜司から「ほら、早く入れよ」と促される前にさっと、鉄でできた取っ手部分を掴んだ。
――チリンチリン。
 小さなベルの鳴る音を耳にしつつ、俺は余りにも懐かしい珈琲の薫りを鼻に覚えた。

  



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