一種の存在価値を捨て


 人間には、それぞれに帰るべき場所がある。国や家、人など、その種類は様々だ。
 例えば或る国に一人の男性が永住しているとしよう。或る国は彼の母国となり、彼を含む国民の帰る場所になる。中でも彼の家族の家は彼らの住まいとなり、彼らの帰る場所になる。そしてまた彼が心の支えにする人は彼の大切な人となり、彼の帰る場所になる。
 もう一度だけ言おう。人間には、それぞれに帰るべき場所があるのだ。それは誰からも切り離すことのできない、命と同等に大切な、人の存在意義である。
 けれども、その常識から外れた――帰るべき家や国を失くし、人を亡くした――人も少なからずいる。そう、私とか。
 残念ながら私には、帰るべき国も家もなければ、人もいない。まずそもそもこの時代が私の存在すべき場所ではないのだ。全てが私の居場所からかけ離れたものと言っていい。何故なら、私が遥か昔、丁度四百五十年前に生まれた(本来なら)過去の人だからである。
 ただ、もしも現世が平和であれば、私にも帰る国ならあったかもしれない――ダルマスカ王国。私と同じ四百五十年の時を経ても命の脈流の途絶えることのなかった、私と似た道を辿る不死の王国(だった)。しかしその国ですら、アルケイディア帝国という巨大国家に呑み込まれてしまった。私には最早帰る場所はないのである。
 そして、私と同じように帰るべき国も家も、人もなくしてしまった人たちがいる。
 大切な家族を失い、私と同じくダルマスカ王国を帝国軍に奪われたヴァンやパンネロ、アーシェ・バナルガン・ダルマスカ。家族と決別し、空賊となって国際的に指名手配を受けているバルフレアとフラン。家族をランディス共和国に残して――その後ランディスは帝国軍により滅ぼされる――ダルマスカ王国へ亡命し、そこで将軍という立場を手に入れたものの、帝国軍に入った実の弟に「ダルマスカ王国の裏切り者」に仕立て上げられ、国から追放されたバッシュ・フォン・ローゼンバーグ(一般には、既に亡くなったと知られている)。
 彼らは自由でも、過去の囚われでもあった。そしてまた、葛藤と苦難とを繰り返す旅人であり、空賊であり、解放軍の一員であった。
 私はそんな人たちと共に、旅をしていたのだ。ダルマスカ王国をアルケイディア帝国から取り返す為の、悠久の旅を。


 ・・・


 黄色く照らされた小さな満月が、遠くにそびえる岩山から姿を現し、まだ熱の残る砂上へゆっくりと昇っていく。空には段々と紺碧の波が押し寄せ、光に満ちた淡黄色の砂浜を飲み込まんとしていた――もう、夜が来る。

「はっ、はっ、はっ」

 夕暮れ時の東ダルマスカ砂漠を、俺は息を弾ませながら駆け抜けていた――というよりかは、この辺りは斜面になっているから、駆け下りていたと言った方がいいかもしれない。地面と足が触れる度にサクッと音が鳴り、俺の小麦色の髪はふわりと揺れた。
 月が見えるということは、そろそろ寒くなってくる頃だろう。何せ、夜の砂漠は特に冷えるのだ。どういう仕組みでそうなるのかは、俺には分からないけど。
 とにかく自分の体が冷え切ってしまう前に目的のものを見つけて、俺の故郷――アルケイディア帝国に占領されてからは、厳密には故郷とは言えないのかもしれないけど――であり、今はなきダルマスカ王国の首都であったラバナスタに戻らないと。仲間の皆に心配はかけたくない。
 しかしながら制限時間に気を取られて目的を果たせない、というのはよくあることだ。多分、焦って周りが見えなくなるせいだろう。これも根拠はよく分からない。
 ただ、馬鹿な俺でも分かるのは、本当に今回は何が何でも目標を達成しなければならないということだ。俺たちの仲間の、トーネのために。
 俺はいつかあるモブを倒した小高い砂丘に辿り着くと、逸る気持ちと、久々に全力疾走したせいで急ぎ胸打つ鼓動を抑えてから、遂に空の支配者となった月の明かりを頼りに、目的のものを探し始めた。
 ああ、そもそも俺が何故、冷えるわモンスターは凶暴化するわで危険な時間にわざわざ東ダルマスカ砂漠へ急いで赴いたかというと、それには訳があった。そう、やっぱり俺は馬鹿だと自覚せざるを得ないような、笑えない訳が。
 時は、およそ十五分前に遡る――。


 ・・・


 王都ラバナスタの市街地西部に位置するムスルバザーは、帝国に占領されてからも活気に満ちており、店番の呼び込みの大きな声に混じって、客の文句や値引き交渉の声もたまに聞こえる。夕方ということもあり、夕食のための(遅めの)食材調達に多くの客がバザーを訪れているようだ。旧ダルマスカ王国の民にとっては、ここが心の拠り所となっていた。
 しかし舞台は数多の人混みの最奥――バザーを抜け、左にある階段を上ってすぐの所に見える青い両扉を開けた先。まるで街の奥にひっそりと構える、盗賊のアジトのような佇まいの空き家である。俺は帝国軍軽巡洋艦シヴァでの騒動の後、人目のつかないこの建物に、ミゲロさんの細やかな支援のもと、仲間と共に潜伏していた。
 それにしても本当に顔が割れてはいけない人が揃っている。アーシェとバッシュは故人(と世間に知らされているから、生きていると分かると大騒動になる)だし、バルフレアとフランは賞金首だし、トーネは特別過ぎて帝国に狙われているし。
 俺とパンネロは大丈夫だ。それが少し寂しくもあるけど、いつか必ず俺もバルフレアのように立派な空賊になって、顔が割れてはいけない人物リストに名を連ねてやろう。
――何にしても、ミゲロさんには感謝しないとな。お礼……にしてはしょぼいけど、また店の手伝いでもしよう。
 なんて、リビング――というにはやはり質素だけど――の隅にある大樽に乗っかって、ボーッと考えているときだった。

「ヴァン」

 パンネロに名前を呼ばれた。俺は「何だよ」といつものように聞き返す。

「いや……まさかとは思うんだけどね」

 どことなく不安そうな声音だ。誰に対しても堂々と接するパンネロが、珍しく言いあぐねているとは、余程のことがあったのだろうか。

「いいから、言えよ」

 心配しながらも気になって、俺はパンネロに先を促した。妙な沈黙の裏側で、まだまだバザー客の元気な笑い声が聞こえる。
 それから幾分かの間を置いて、それでもまだパンネロは複雑そうな表情のまま、口を開いた。

「……まさか、トーネの誕生日プレゼント用意してないなんて、言わないわよね?」

――いっけね、忘れてた。
 自分の思考と、記憶の中のカイツの声が丸かぶりしたのは、初めてのことだった。

  



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