空賊夢見る少年の場合


 ・・・


 この直後、俺は「早急に手に入り、なおかつトーネが喜びそうなもの」を想像した。その答えが、この段々と冷えてくる砂の海にあるのだ。
 それにしても俺は、自分でも呆れてしまうくらい、どうも抜けている。これはどうしたら直るのだろうか。またトーネ辺りに教えてもらおう。
 さて、それではそろそろ、俺が今何を探しているのかを明かそうと思う。目的のもの、それはガルバナの花だ。故兄・レックスが好きだった、赤色の花。
 基本、ガルバナの花は砂漠地帯では生育せず、湿った場所――サリカ樹林が妥当だろうか――に群生するらしい。ただ、ギーザ草原が乾季に入って数週間経った頃だけは、ごく稀に砂漠にも咲いていることがあるらしい。
 もしかしたらギーザ草原が乾季に入ったばっかのときに、雨で湿った土と太陽の光で種が芽を出して、根茎を伸ばして、花を咲かせるのかもしれないな。花が枯れたあとは、残った種が風に吹かれて東ダルマスカ砂漠に着いて、砂ん中にあるごく僅かな水分を吸いながら根強く花を咲かす。で、また枯れて種がギーザ草原に戻る。これの繰り返しだよ、多分。あれ、でも風向きってそんな都合よく変わるもんかな。まあいいか。
 これは全て、砂海亭で働くトマジの受け売りだ。何を言っているのかは何となくしか分からないけど、ガルバナの花のことだから台詞は覚えておいた。まあ、トマジもきっと客から何となく聞いたのを覚えていたから気紛れに教えた、くらいの感覚だろう。
 ただし、フランが今朝「そろそろギーザ草原に雨が降るわね」と呟いていたため、トマジの話を信じるとしたら、もう生えていない可能性の方が高い。生えているとしたら一本か。
 頼むから、生えていてほしい。でないと俺はトーネにプレゼントを渡せず、仲間たちからも白い目で見られる。嫌だ、それだけは避けたい。頼む、神様。
 俺はほぼ神頼みで、砂丘の崖際を沿って歩き、ガルバナの花が咲いていないか探した……すると。 砂丘の崖の途中で、層と層の狭間から、すっかり太った丸い月に一つ顔を向ける、赤い植物。月明かりに照らされ、夜風に揺られる姿はまるで綺麗な女のようで、俺は心を奪われた。
 あれは、ガルバナの花だ!

「……あった……あった!」

 俺はお目当ての花を漸く見つけた(となると早急に手に入るものではなかったようだ)喜びを二度のガッツポーズで表した。
 しかし如何せんタイムリミットまで短いから、喜んでいる暇はない。そんなことをしているうちに、俺の体が凍え切ってしまうかもしれないし、ガルバナの花が枯れてしまうかもしれない。落ち着け、俺。
 俺は歓喜も束の間に、持ち前の身体能力を駆使して慎重に崖を伝い下り、ガルバナの花を優しく摘み取った。よし、これで万事解決だ――と思った俺はやっぱり俺だったのだ。久々の再会の記念にと、そのまま鼻に近づけて、兄が気に入っていた香りを楽しむ。確かにこの香りは優しくて、不思議と心が落ち着く。俺も好きだ。それに、これでトーネに嫌われずに済むと思うと、ガルバナの花の優しい香りもあってか、妙に安心する……いや、気が緩んでいたのかもしれない。
 カラリ、パリ、という嫌な音がして、俺は香りに夢中になっていつの間にか閉じていた目を開く。

「……え」

 俺は思わず驚嘆した。それしかない。
 視界にはさっきまで掴まっていた崖と、群青の空と、眩いほど輝く星たちと、青白く光る月が映っている。今や右手は空を掴み、左手は確かにガルバナの花の茎の部分を握っていた。
 訳が分からないけど、トーネにあげるのだから、しかも誕生日プレゼントだ、美しい状態で保っておかないとな、といつも抜けている俺にしては何とも慎重な思考だけが働く。右手は知らぬ間にガルバナの花を包み、次に待つ衝撃から彼女を守ろうとしていた。
 やっぱり俺は抜けているらしい。空賊への道のりは、まだまだ長そうだ。


 ・・・


 私には妻がいない。そもそも恋人すらいない。根本を言うなら、こうして仲間たちと旅をするまでは、投獄期間も含め、女性と関わる機会を持つことすらしていなかった。
 関わるとすれば王女であらせられるアーシェ様と、将軍ということで王宮内に部屋が割り当てられ、私とともにその部屋を手入れしてくれることになったメイドのラウラさん……くらいだったような気がする。
 あ、あとは王宮近くの街角に構える小さなバーの店主。ウォースラに連れられて通うようになったのだが、彼女は名前を教えてくれなかったため、ウォースラにならってママと呼ぶようになったのだ。最初はもちろん恥ずかしかったが、彼女自身ママと呼ばれるのに慣れているらしく(ウォースラが呼んでいたから当たり前だが)気にした様子もないため、呼び続けていると――いうほど通ってもいないが――私も呼ぶのに慣れてしまった。
 という訳で、俺は彼女のことをママと呼んでいる。如何せん一人で行くには中々に勇気がいるが、彼処にはまた顔を出そう。
 ああ、あとは我が母……は強くて優しい人だった。若かりし頃の記憶の中に静かに、だがしっかりと残っている。きっと母と弟は私がランディスを去ったことに対して悲しみや怒りを覚えたことだろう。弟は憎しみすら感じてしまったようだが。
 しかし、自らの行動に悔いはない。今はただひたすらダルマスカ王国の復興のために、ウォースラの分までアーシェ様の盾となり、剣となるだけだ。この命が果てるまで。
 さて、長々と自らの異性交流歴と、余談で使命について語ってみたが、やはり私はかなり恋愛経験に乏しいようだ。何故こんな悲しい確認をわざわざしたかというと、それはつい先程トーネと私との間に結ばれた、とある約束が原因だった。
 では、私と彼女との約束が何なのか、回想と共に説明してみよう。私の恋愛慣れしていない頭がショートする前に。

  



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