あらしのよるに
食わねぇと、キツイんだよ。と隣で箕輪さんが言った。私はそうですか、とだけ返して事務仕事の続きをする。折角の金曜日なのに酷い雨の午後だった。密葬課内は私と箕輪さんしかいない。書類の山の向こうで箕輪さんがチョコバーを開ける音が雨音に紛れて聞こえた。甘い香りがする。私までその香りでお腹が空いてしまって、気分を紛らわせるためにコーヒーを啜った。
「みょうじ〜食うかぁ?」
「いらないです。箕輪さんが空腹で使い物にならないのは困るので」
チッと舌打ちが聞こえる。箕輪さんはその特異な肉体のせいで常人の何倍ものエネルギーが必要なため空腹に陥りやすい。都度エネルギー補給しなければあっという間に機嫌は悪くなるし低血糖に陥って具合も悪くなるしと、一緒にいる私からするとたまったもんじゃない。だから常に補給用のチョコバーやらパンやら羊羹やら手っ取り早くカロリー摂取できる食べ物をとにかく大量に持ち歩いている。おかげで隣に座るおじさんはとにかくおじさんらしからぬ甘い匂いがして一緒にいるとお腹が空いてしまう。
「腹の虫鳴ってんぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「可愛そ〜なみょうじのためにおじさんが分けてやるって言ってるだろ?」
「違います! この! 書類! 全部箕輪さんがやるやつ! やらないから私がやってるの!」
「はいはいあたしが悪ぅございました〜」
このおじさん、とにかくやる気がない。暴力に関してはエキスパートだけどこういう事務関係についてはやろうとする気持ちすら見えない。密葬課が無かったらどうなってたんだろうと思うレベルでやらない。それでも大学出てるし課長は「あぁ見えて頭が良いんだ」って褒めてたけど未だに疑問に思っている。そんなこと言ったら殺されるから絶対言わないけど。
本来だったらもう帰るくらいの時間だ。課長と花さんは週明けまで戻らないし公平くんもしばらく機動隊の方に行ってるから他には誰もいない。つまり、この山を二人で片付ければならないというのに、箕輪さんと来たらさっきから隣でもぐもぐとチョコバーを食べてるだけなのだ。いない人はまだしも、どうしている人の分まで手伝わなければならないのか。納得できない。
「箕輪さん、やる気ないでしょ」
「あたしにゃぁ向いてないんでねぇ」
「箕輪さんが手伝ってくれれば私だって帰れるんです。天気悪いんだから早く帰りたいのに」
「……仕方ねぇなぁ」
箕輪さんはチョコバーをかじりながら私の側の山をひょいと持ち上げて自分のデスクに置いた。それからはお互いしばらく無言で、窓を叩く雨音と時折ガサガサと袋を開ける音だけが室内に響いていた。
1時間ほど経つ頃、箕輪さんの椅子がぎしりと大きく軋んだ音がして、私は視線だけで隣を見た。箕輪さんは首をごきごき鳴らしながら肩を回している。やることはおじさんのそれなのになんかめちゃくちゃ強そうだから腹立つな。
「お前、帰れ」
「えっ?」
突然そんなこと言われると思っていなかったから私は驚きながら隣を見た。箕輪さんはペットボトルのお茶を飲み干しながら手だけで書類を渡すようジェスチャーするものだから、私は手元の紙と箕輪さんを二、三度交互に見てどうしようか思案する。これは箕輪さんが担当した案件だったから、任せた方が確かに早い。でもなんか、癪に障るんだよなぁ。
「ホラ」
「なんで急にやる気になったんですか」
「雨ひでぇからなぁ。帰れ。電車止まんぞ」
「箕輪さんは?」
「おじさんは車だからねぇ。別に何時までいてもいいのよ」
「もうちょっと早めにやる気になってくれたら良かったのに」
「うるせぇなぁ〜」
箕輪さんに書類を手渡すと、受け取るのとは反対の手を伸ばして私の頭を撫でた。箕輪さんの大きな手が髪の毛をぐしゃぐしゃにしてしまう。私はそれを手櫛で直しながら「折角の金曜なのに」と小さく漏らした。
「何? おじさんともうちょっと一緒にいたかった?」
「どうせなら外で飲みたかったんです〜箕輪さんには関係ありません〜」
「つれないねぇなまえちゃんは」
箕輪さんはそれだけ言って、私から受け取った書類に手を付ける。私はその姿を見ながら片付けをして、ついでにゴミ箱のゴミをまとめて、ポットの片付けをして、箕輪さんが終わったらいつでも閉められるようにしておいた。それから奥のロッカールーム(困ることに男女兼用)で上着だけ着替えて通勤用のバッグを持って箕輪さんに挨拶をする。
「それじゃ、お言葉に甘えてお先に失礼しますね」
「雨風で吹っ飛ばされるんじゃないよ〜」
「飛ばされません!」
箕輪さんは手だけひらひらと振ってこちらを見ることはなかった。
庁舎を出る頃には雨脚は更に酷くなっていた。折りたたみ傘はその役目もあまり果たせないまま私は早々に歩くのを諦めてタクシーを必死な思いで捕まえる。ケータイを開くと電車は既に止まっていて、仕方無しに自宅の住所を伝えた。
ワイパーが一生懸命視界を確保しても、大きな雨粒がすぐにそれを埋め尽くしていく。私は窓の外で乱反射する町並みを見つめながらぼんやりと箕輪さんのことを考えていた。
箕輪さんと私は、少し前から付き合っていた。少なくとも私はそう思っている。きっかけは忘れてしまったけれど、長い時間一緒に過ごしたり危険な仕事をしているうちに何だか好きになってしまったのだ。所謂吊り橋効果みたいなものだっだろうけど、それでも今ははっきり好きだと言える。ただ、箕輪さんが同じように思ってくれているかは自信がなかった。普段から何考えてるかわからないし、こっちが聞いたことははぐらかされるし、本音がいまいち見えない。仕事柄休みが合うことだってあまり多くないし、まったく会えない日が続くこともある。キスもセックスもしたけど、どうしてこうなったのかわからないくらいには急激に進んだ関係だった。
「あ、ここでいいです」
自宅近くのコンビニに停めてもらい料金を払う。雨脚は少しだけ弱まっていたけど、それでも随分な土砂降りなことには変わりない。私はタクシーから走ってコンビニに入って遅くなった夕飯とお酒を見繕う。本当は期待していた。週明けまで皆いないし、課長もたまにはしっかり休めって週末に連休をくれたから箕輪さんとどこかでご飯を食べるなり出かけられたらいいなと思っていた。それでもあんな調子だから、やっぱり噛み合わなくて少しつらい。
それでも心のどこかで小さく残った期待を捨てきれなくて、箕輪さん用のご飯とかお菓子も用意する。こんな天気なのに馬鹿みたいに買い込んでしまって、私はマンションに戻るまでの道のりを少しだけ後悔しながら歩いた。
「ただいまー」
誰もいないのはわかってるけれど、とりあえず声をかける。電気を付けながら洗面所に向かってタオルを引っ張り出して濡れた体を拭きながらコンビニで買ったものを冷蔵庫にしまっていく。ぱたぱたと片付けていると体が冷えたのかくしゃみが出た。先にお風呂に入ろうとお湯を溜め、着替えたり少しくつろいだりしているうちに準備完了の音楽が鳴った。
30分くらいゆっくりとバスタイムを楽しんで、コンビニで買ってきたオムライスを暖めながらチューハイを飲んでテレビを見る。気がついたらもうそこそこ良い時間だった。適当にチャンネルを変えて夜のニュースをぼんやり見ていると、これから雷の予報を知らせるキャスターの声。雷嫌いなのになぁと思いながら電子レンジに呼ばれてホカホカのオムライスを取り出す。狭いけど住み良いはずの1DKの部屋が今日は広く感じた。
オムライスを食べ終わってからも私はぼんやりとしながらテレビを見てお酒を飲んでいた。既に350mlの缶は3本空いている。もう少し飲んでも良かったけど、ちょっと眠くなってきたから早いけど眠ることにした。歯磨きをしてベッドに潜り込む。時間は23時を少し過ぎたくらい。携帯に箕輪さんからの連絡はなかった。
***
だんだんと微睡みに落ちていく中、不意に玄関がガチャガチャと鳴る音で目が覚めた。こんな時間の来訪者に驚きつつ起き上がる。足音を潜めて立ち上がり、玄関にいるであろう人物を確かめようと寝室のドアノブに手をかけた。その瞬間勢いよく開かれたドアに驚いて後ずさった私を捕まえたのは、逞しく冷たい腕だった。
「なまえ、タオル」
声の主は箕輪さんだった。ずぶ濡れで顎の先から雫をポタポタと垂らしながら私の体を掴んでいる。その時、背後の窓から稲光が入り込んだ。一瞬見えた箕輪さんの顔はやつれているように見える。そして、地を裂くような轟音。
「きゃっ!」
驚いて思わず目の前の箕輪さんに抱きついてしまう。体中びしょ濡れで冷え切った箕輪さんの心臓はどくどくと鳴っていた。慌てて離れようとした瞬間、とてつもない力で抱きしめられ、肺が潰される感覚にヒュッと細い息が漏れる。
耳元に感じた箕輪さんの息遣いは酷く荒い。ルームウェアが少しずつ水を吸って濡れていくのも止められず、私は箕輪さんの腕から何とか抜け出そうともがいた。
「みのわ、さ、んっ……! 息、苦しっ……!」
僅かなスペースで身じろぐと、箕輪さんは力を緩めた。倒れ込みそうになる私の体を片腕で持ち上げてベッドに投げられた。加減されたのか痛くはなかったけれど、スチール製のベッドは派手にぎしぎしと音が鳴る。
雨音と箕輪さんの息遣いしか聞こえない部屋。まるで怪物が獲物を追い詰めるような光景。箕輪さんはジャケットを脱ぐとそのまま放り投げる。雨水をふんだんに含んだそれはべちゃりと音を立てて落ちた。
「お前が、誘ったんだから、覚悟しとけよ」
「え? ちょ、ちょっとまって箕輪さん!」
私そんなつもりじゃ、と出かかった言葉は食らいつくようなキスで封じられた。最早脱がすと言うより引きちぎるようにしてルームウェアを奪われて下着が露わになる。隠すよりも前に腕を押さえつけられてそのまま押し倒された。
再び瞬いた稲光。箕輪さんは口付けながらじっと私のことを見つめていた。全身全霊で抵抗して最早蹴るようにしながら箕輪さんの拘束から片手を外すことに成功する。物凄い力に圧倒されながら何とか僅かに引き剥がした。
「箕輪さん、待って。待ってよ……」
そう言うと、箕輪さんはふと力を抜いて体を離した。ぽた、ぽたとお腹の辺りに雫が落ちた。ひとつ、ふたつと落ちるそれはまるで涙のようにも思えた。
「……お腹空いたんですか?」
いつも飄々としていて掴みどころのない箕輪さんがこんなになるなんてそれしか考えられない。特異な肉体故に空腹は判断力を簡単に奪う。何か食べるものを用意しなきゃ、と思って下敷きになったままの足を引き抜こうとしたところでまたもその腕力で捕らえられた。
「ちょ、今ご飯用意しますから! 落ち着いてくださいって!」
「……りねぇ」
「え?」
「足りねぇ……足りねぇん、だ」
うわ言のように呟いた箕輪さんの顔が夜目に慣れてうっすら見えた。うつろな表情なのに、瞳だけがぎらぎらとしている。
「何が、足りないんですかっ」
少し抵抗しながら問う。私の言葉を無視して箕輪さんは片手でシャツのボタンをブチブチと弾けさせた。捕食者の顔で私の首筋にかぶり付き、肉を抉るような勢いで歯を立てる。
「いッ!?」
「足りねぇ。……なまえ、足りねぇ」
「痛ッ! わ、わたしが足りないって言うんですか!?」
それにも答えはない。皮膚が切れた感覚はなかったが、歯型くらいは余裕で残っているだろう。このまま本当に食べられてしまうんじゃないかと不安になりながら箕輪さんの言葉を待つ。噛まれた場所をべろ、と舐め上げられて背中にぞわりとした感覚が走った。
「全然、触れてねぇ……」
「そりゃ、最近は確かにしてませんでしたけど」
そう返すと馬乗りのまま箕輪さんは私の下着をたくし上げた。これはこのままする流れなんだろうけど、どうしてこんなことになったのか未だに理解は出来ていない。普段の箕輪さんはセックスの時もあんまりやる気が無いと言うか、そんなに尽くすタイプではないけど年の功か物凄く丁寧で上手で少なくともこんな乱暴をする人ではなかった。体力も筋力もあるからハードだけど。
「その……したかったんです?」
「違ぇ。足り、ね。足りねぇだけ」
「ちゃんと言ってくれなきゃわからないです」
私の胸に顔を埋める。匂いを確かめるように、反対にマーキングするかのように額を付けたまま動かない。未だにぐしゃぐしゃに濡れているその短い髪を数度撫でて私は天井を見た。一体どうするのが正解なんだろう。箕輪さんがしたいことははっきりわかっている。けれど何かを隠しているような押さえつけているような、そんな苦しさが垣間見えるのだ。
私はふぅ、と息を吐いて箕輪さんの上体と一緒に思いっきり起き上がった。少し痩けた頬を撫でて、今度は私からキスをする。唇を重ねたまま自分でブラを外してベッドサイドに放り投げた。今度は箕輪さんがされるがまま抵抗もせず緩慢な動きで舌を絡めてくれる。雨の匂いと一緒に、いつもの甘い香りがした。手探りでシャツを脱がせて、体を暖めるように抱きしめる。冷え切ってしまった体の中心、心臓のあたりだけ熱く感じた。
「わかりました、しましょう。でも痛いことは止めて下さい。痛くなきゃ、何でもします」
箕輪さんは何も答えない。私はショーツまで脱いで、屈んで箕輪さんのスラックスのベルトに手をかける。抜き取ってファスナーに手をかけたところでそれを制された。
私を起こすと、箕輪さんが大きな手で数度私の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でた。それから首筋に舌を這わせ、喉仏の辺りに吸い付く。私は再び捕食者となった彼の獲物に戻った。
先ほどと違うのは、与えられるものが痛みでなくなったということ。喉仏を責める行為は恐怖と共に緩やかな快感を連れてくる。死ぬ間際のウサギにでもなったような気持ちだ。以前何かの本で生物は絶命際にその恐怖をかき消すため脳内麻薬が分泌されると読んだ。今がきっとその状況。私が思わず生唾を飲み込んだ瞬間、箕輪さんががぶりと噛み付いた。一瞬締まる気道が私の頭をおかしくさせる。
「っあ!」
びくびくと体が震えるのが止まらなかった。箕輪さんが喉奥で笑い、私を片手でとんを押し倒す。稲光の中見えた箕輪さんは恐ろしくなるほどに絶対的な強者の笑みを見せていた。
「なまえ、イッたのか?」
力の入らない体でこくこくと頷く。まだ胸にも、下にだって触れられていない。それなのに私は、箕輪さんに組み敷かれたままお腹を晒して降伏のポーズを取っている。下から見上げた箕輪さんの肉体は猛々しく、私じゃ到底敵わないことを雄弁に物語っている。
あれ? 箕輪さんはもっと優しくて、それで、それで……。
「おじさんがこんなおじさんだと思わなくてビビっちゃったかぁ?」
そんなことない、と言おうとしたけれどうまく言葉が出てこなかった。私、この人に食べられてしまう。でもそれはきっと幸福な敗北。たまらなくなって手を伸ばしてぎゅっと箕輪さんを抱きしめた。
箕輪さんは、私が抱きしめようとすることを咎めはしなかった。代わりに片手でお腹の下のあたりをくすぐるように撫でて、それからゆっくりトントンとリズミカルに叩く。最初は不思議に思えたその行為は次第にむずむずと下腹部を熱くした。撫でたり、ぐりぐりと押されたり、小気味よく刺激を与えられ私は次第に声が抑えられなくなって箕輪さんの耳元でだらしない嬌声を漏らす。
「随分いい声で鳴くねぇ」
「だ、っァ、これ、なんかっ、へん……ぃ、なるっ」
「これでよくなっちゃうんだから才能あるなぁお前」
もう片方の手で私の頭をわしゃわしゃと撫でながら下腹部を揉み込むように押していた手が離れた瞬間、私は耐えきれなくなって喉を曝け出して背中を弓形に反らす。獣みたいな声しか出せなくて、羞恥と快感で涙が出た。
「なんで泣くのよ」
それは箕輪さんが私に何かしたからとしか言えなかったけど、理由もわからないまま突き抜ける快感がじりじりと脳を焼いて私の体を制御不能にさせる。思わず力が入った指先で、抱きしめていた背中に爪を立てた。すると箕輪さんは小さく「痛ぇな」と呟いて、私の腕からするりと抜け出てしまった。
「ぁ、ああ、や、あ」
「こうなっちまったら、もうどこ触られてもおかしくなるぞ」
まるでからかうように笑っている。下腹部を触っていた指先がそっと脇腹を撫でると、私は吠えるように絶頂した。
なにこれ、こんなこと知らない。
箕輪さんの手が体中を撫でる度に何も考えられなくなる。子宮がぎゅっと捩れるように収縮する。助けを求めるようにまた手を伸ばしても呆気なく拘束されて、私は自分の体が壊れていくのを感じながらびちゃびちゃとはしたない水音を上げて喜びに震えることしか出来ない。
「いぎっ! ぐ、い、くいく……っ!」
「気持ちいいなぁ、なまえ」
涙も相まって暗がりの中の箕輪さんは殆ど見えない。けれど私がおかしくなるのを楽しんでいるのはわかる。ひどい、ひどいと思いながらも抵抗一つ出来ず、強すぎる快楽は体だけでなく心まで壊そうと侵食してくる。少しかさついた指先が撫で、跳ねるように動く度に吹き出した何かが水たまりを作った。
「止めてほしいか?」
意地悪な質問。どう答えてもこの攻め手が緩まないことを知っている。それでも続く絶頂の波が辛くて私はこくこくと頭を振った。すると意外なことに、箕輪さんの指先はすっと私から離れていく。
「みの、わ……さん?」
「……腹、減ったな」
息も絶え絶えな私と空腹を訴える箕輪さんのギャップがおかしい。だから言ったじゃない、と思ったけどもう起き上がって甲斐甲斐しくお世話できるほどの力は残っていなかった。
箕輪さんは私の頭をまたゆっくりと撫でた。それですらつま先にぴくぴくと力が入ってしまって恥ずかしい気持ちになる。おでこにちゅっと音を立ててキスを落とされ、普段の箕輪さんにようやく戻ってくれたことに胸を撫で下ろした。
「疲れたか?」
疲れてないほうがおかしい。あちこち触れられるだけで気を失いそうなほど快感に襲われるなんて思わなかった。それでも体の芯に残った熱はまだ収まらない。あれだけ絶頂を迎えて、おかしくなってしまいそうなのに、私の体も飢えて求めている。目の前のこの人を。
「箕輪さんも、疲れた?」
「まぁ〜腹は減ったな。ずぶ濡れなったから余計に」
私は何とか体をもぞもぞと動かして箕輪さんに寄り添う。体はやっぱり冷え切っていた。それでも心臓が、熱い。そこだけ燃えているみたいにどくどくと脈打っている。胸に手を当てると、私までその鼓動に合わせて高鳴った。
寝転がった状態で箕輪さんが私を抱きしめる。私の昂ぶった熱を分け与えるように、くっついた場所がじわりじわりと暖まっていく。
「さっき、食べられるかと思った」
「……食べようとしてたのよ」
「多分私、美味しくないよ」
「いや、美味いだろうねぇ」
箕輪さんの一部になれるならそれもアリかな、なんてうっかり思ってしまった。でも人間は食べてもあまり栄養にならなさそうだから、きっと箕輪さんのお腹を満たせはしないだろう。
「箕輪さん、もうお腹いっぱいになっちゃった?」
「どうだろうねぇ」
「足りたのならいいです。でももし足りないんだったら」
私で満たしてほしいです。我ながら随分恥ずかしい台詞だと思った。それでも紡ぐ言葉を止められなかったのは、あの鼓動と同じくらい熱い昂りを感じてしまったから。
箕輪さんの腕がピクリと動いて、それから離れた。そのままゆっくりと馬乗りになる。稲光は、再び捕食者のシルエットを私の部屋に映し出した。
「加減、できねぇぞ」
「それで、いいです」
ジィィ、とファスナーを下ろす音がする。私は心臓がこのままどうにかなってしまうんじゃないかと思うくらい緊張していた。大きな手が私の両足を持ち上げる。もう準備もいらないくらい濡れそぼっているそこは、無意識のうちにぱくぱくと口を開いた。
「えっちな体になったなぁ」
「……箕輪さんのせいでしょ」
「なまえがこうなって、おじさん嬉しいよ」
茶化さないで、と言おうとしたところで息を呑む。入り口にあてがわれたその熱に驚いてびくりと体が跳ねた。熱い、熱い。さっきまで冷え切っていたはずなのに、箕輪さんの体はどんどん熱を帯びる。
「いいのか?」
「いいからっ」
ぬるぬると擦られて、耐えきれないのは私の方だった。早くとねだるようにその先端に吸い付く。突然ぐっと押し込まれた感覚に息が詰まった。ナカ、潰されてる。
「なまえちゃ〜ん、ちょっと締め過ぎじゃない? 苦しい」
「だ、って」
「おじさんだってねぇ、人並みには興奮するんだよ」
珍しくそんなことを言われたものだから、余計にぎゅっと力が入ってより質量を感じてしまう。体の内側に深く打ち込まれた楔のように、私は動けない。
「ナカまで震えて、軽〜くイッちゃったねぇ」
ぐ、ともう一段階奥に押し込まれる。私は犬のように荒い呼吸のまま、凶暴なその熱を締め付けることしかできない。体の中と、呼吸の苦しさで頭がくらくらする。
「ほら、深呼吸」
「あ、ああぁあ、あ」
箕輪さんはからかうようにギリギリまでずるりと引き抜く。ナカを抉り取る強い快感で腹筋に力が入り、先ほどの子宮の収縮を思い出して脳がスパークした。思わずシーツをぎゅうと握りしめた手を解かれ、箕輪さんの首に回される。
「ら、め……ちから、はぃ、ぅ、かあっ」
「絞め殺せるもんならやってみな」
緩慢な動きでまた奥までみちみちと満たされる。もっとしてほしいのに、これ以上されたらもう戻れないくらいに壊れてしまいそうで、私は逃げるように身を捩った。しかし、腰を捕まれ逆に身動きできないように押さえつけられる。
「食ってくれって言ったのはお前だろ?」
耳たぶを甘く齧られ、またぎゅうと締め付ける。全身が性器になったような錯覚に陥って、私は助けを求めるように名前を呼んだ。それに応えるように、塞ぐようにキスをされて、体が揺さぶられる度に涙が溢れる。
「あ、イクっ、ぅ、っぐいく、あ、だめだめだめっ」
「た〜っぷりイこうなぁ」
「ぅあ、あ、あ……い、くっ!」
チカチカと視界が明滅する。先程の刺激を体が思い出して震えが止まらなかった。それでも容赦なく打ち付けられる熱さが私の意識を引っ掻き回してまるで拷問のよう。
「や、ぁい、ぐっ。すぅきちゃ、あっ、ぃ、ぅぅぅっ!」
「ほ〜ら、がんばれ」
「いっえ、ってる、の、にぃっ!」
「まだできるまだできる」
抽送は止まることなく私を攻め立てる。組み敷かれているのに振り落とされそうな感覚に陥って私は回した腕で箕輪さんの頭をぎゅうと抱いた。もはや言葉になっているのかすら怪しい。だらしなく開いた口の端から唾液が漏れた。
「何でそんなにえっちな顔するかねぇ」
箕輪さんは人差し指を私に咥えさせて、じゅぷじゅぷと口内を荒らす。上も下もいっぱいに頬張ってなんて欲張りな生き物なんだろうか。それでもまだ足りない足りないと私は短い悲鳴を上げ続ける。
「もっと欲しい?」
上顎をなぞられて体が震えた。涙でぐちゃぐちゃになった視線で訴えると、箕輪さんは指を引き抜いて私の頭を持ち上げる。そのまま抱えるようにして抱き起こすと、繋がったまま座位の形を取った。より深いところまで侵入されて、苦しさで息が漏れる。
「こぇっ、ふ、かぁっ……!」
「好きでしょ」
私をおもちゃのように上下に揺さぶりながら唇が胸元に這わされる。最早下腹部にしか力が入らなくなった体は無様に絶頂を繰り返している。私は天を仰ぎながらただただ叫ぶことしか出来ず、箕輪さんが時折満足そうに喉奥で笑った。
「イキそう」
短くそう告げた箕輪さんの体はやはり熱い。マグマのようにぐらぐらと私を溶かして、このまま一つの生き物になってしまうんじゃないかと錯覚した。最後にぐ、と子宮を押しつぶされて、私は声にならない悲鳴を上げてその肉体に抱きつく。直前に引き抜かれたのか、お腹にぴゅ、ぴゅとかけられたそれでもう一度軽く絶頂した。
「たくさんイッたねぇ」
箕輪さんの間延びした声とは反対に、私は今にも死にそうなほど荒い呼吸をなんとか整えようと必死になっていた。痙攣が止まらず、息をするだけで気をやってしまいそうだった。項垂れるようにしながら息を整えて、その太い首にしがみつく。
「しぬ」
「これくらいじゃなまえはくたばんねぇよ」
私とは違ってちょっと運動しましたくらいの箕輪さんは余裕そうに笑った。
抱きついたまま動かない私の背中をあやすようにぽんぽんと撫でて、ごろんと寝かせる。まるで赤ちゃんにするみたいな動きがなんだかおかしかった。
「タオル、持ってくる」
立ち上がった箕輪さんは暗い廊下の奥に消えて、それからタオルとキッチンに置いていたチョコバーを持って戻ってきた。部屋の電気を付けられて眩しさに目を閉じる。
「はいはいお体拭きましょうねぇ」
チョコバーを齧りながら全身をくまなく拭かれる。雨か汗かはたまた違う体液なのかもわからないけれど、とにかく全身びちゃびちゃになっていた。多分拭いても無駄です。
「……シャワー浴びな」
箕輪さんも同じことを思ったのだろう。ただ、浴びろと言われても今の疲れ具合では何もしたくなかった。横でもぐもぐとチョコバーを食べ続けている箕輪さんも軽く全身を拭いていたけど、そもそもあの大雨でぐしゃぐしゃになっていたのだから大して意味はないだろう。
「箕輪さん」
「ん〜?」
「お風呂入れてくれたら、すごく嬉しいです。ご飯も用意します」
「はいよ」
恋人とはいえ大先輩を使いっぱしりにしてしまったけれど、こうなったのも箕輪さんのせいだから黙って働いてもらおう。
しばらくぼんやりしていたらようやく動けるくらいまで落ち着いて、上半身をゆっくりと起こす。「お風呂一緒に入ります?」と聞くとだるそうにしながら「入るかぁ」と間延びした声で返された。
アパートのお風呂なんてとんでもなく狭い。大の大人2人、しかも片方はめちゃくちゃ筋肉質だからそりゃもうぎちぎちです。
私は一生懸命身を縮こまらせながら背後の箕輪さんに声をかけた。
「狭くないです?」
「狭くないと思うかぁ?」
「ですよね」
私はなんとか箕輪さんの足の間に収まるようにはしているけど、どちらかが出たら浴槽のお湯は半分も無いだろう。寄っかかった胸板の厚さに安心感を覚えながら、私がぐいと腕を伸ばす。
「暖かいですね」
「そうだなぁ」
「雨、まだ止みませんね」
「そうだなぁ」
「ちゃんと聞いてます?」
「聞いてるだろ」
「ところで何であんな暴走してたんです?」
「あー……」
問えば箕輪さんは珍しく言葉に詰まっていた。課長や花さんの前ならまだしも、私と2人のときにそんな態度を取るのは珍しい。私は無理やり体の向きを変えて箕輪さんの方を向いた。
「ね、何でです?」
「腹、減ってたのよ」
「やっぱり? だから言ったじゃないですか」
「雨で体も冷えたしおじさんが思ってるよりもしんどくてねぇ。ホラ、おじさん体力ないから」
「体力が無いのは嘘でしょ」
ぎゅーと抱きつけば、片手でポンポンと頭を撫でられる。随分暖まってきたみたいで体はほかほかになっていた。
「なまえちゃんに会いたくてねぇ」
「それは本当ですか?」
「嘘だったら来ないでしょ。飯食ってねぇし」
「嘘!? 流石にお夕飯食べてきたと思いましたよ! すぐ用意しますから。何食べます?」
「米」
「死ぬほど炊いて丼にします」
そう言って立ち上がる。お湯はやっぱり半分くらいしか残っていないけど、箕輪さんは楽しそうだから良しとした。びっくりするほど無駄になった分の水道代は次のお昼代で請求します。
「ゆっくりつかってくださいね」
「はいよ〜」
私はバスルームを出て着替えをするとすぐにキッチンに向かった。炊飯器くんには早炊きをがんばってもらって、冷蔵庫の中身を確認する。卵と鶏肉があるから親子丼にしようと食材を取り出した。深夜1時を過ぎて親子丼作るなんて初めてだけど、物凄く背徳感がある。
欲望に負けて残っていたチューハイのプルタブを開けた。少しだけおつまみも作ろうと鍋にお湯を沸かす。ぐつぐつと煮立ったそこにもやしを投入してさっと湯がく。取り出して水を切って、混ぜ合わせた調味料と和える。
ドライヤーの音が聞こえる。もうそろそろ来るだろうとフライパンに玉ねぎと鶏肉を入れて火にかけた。
「なまえ〜」
「着替え全部部屋に置いてましたよー。スーツとか片付けて洗濯機に入れといてくださいねー」
「はいよ〜」
やる気のない間延びした声が廊下から聞こえる。私は呼びかけるように「シーツも取ってもらっていいですかー」と声をかけた。そのあとがちゃがちゃと音がして、箕輪さんが来た。身長もあるしガタイがいいから適当なスウェットなのに格好良く見えるからちょっと腹が立つ。
「もう少しでできますよー」
「そっち、何?」
「もやしのナムルです」
「食っててもいい?」
「だめです」
「はいよ」
だって全部食べられそうだし。
箕輪さんは私の背後で冷蔵庫から慣れた手付きでビールを取り出すと、プシュッと小気味よい音を立てて開けた。はい乾杯とこつんと缶を合わせてお互い酒を喉に流し込む。
「丼置いてるんで好きなだけお米盛ってくださいね」
先程炊きあがったばかりのお米を大胆に盛り付けるから思わず笑ってしまう。卵を入れてふわふわに仕上げたそれを差し出された丼の上に乗せた。
彩りも何もない卵と鶏肉と玉ねぎだけのシンプルな親子丼。匂いを嗅ぐと私も食べたくなったけど普通の代謝しか無いし確実に太るのでもやしで我慢します。
リビングのソファーに並んで座る。とりあえずテレビを付けたけど遅い時間のためか興味をそそられるものはない。
「じゃあ、いただきます」
「どうぞ」
横でもりもりご飯を食べる箕輪さんを時折見ながらナムルをつまむ。結構イケる味かも。程よくお酒が進み、途中でもう一本取りに行った。
「飲みますー?」
「おじさんは飲まないよ」
「じゃあ私も我慢します」
「飲めばいいのに」
「よく考えたら夜中の2時に酒の飲むのやばい。つられるところだった」
仕方なくお茶をコップ2つに注いでリビングへと戻る。箕輪さんもビールは飲み終わっていたらしく、もぐもぐとしながらそれを受け取った。しかしこの人食べるの早いな。
結構な量だった親子丼はもう底が見えている。ビールの缶を回収してから一度洗面所に行く。お隣さんごめんなさい、と念じながら洗濯機を回してキッチンに戻ると、箕輪さんが食器を洗っていた。
「美味かった。ありがとなぁ」
「いつもそうやって片付けてくれたらいいのに」
「おじさん、こういう時は手伝ってるけどなぁ」
「仕事もそうだと嬉しいんですけど」
「あー」
「あーじゃないです」
隣に並んで洗い物をしていると、ナムルを入れていたお皿もあったからやっぱり全部平らげちゃったんだろう。結局ほぼ食べれなかったけどまぁ仕方ない。しばらく無言で片付けをして、洗ったフライパンをしまっていると箕輪さんが口を開いた。
「なぁー」
「なんでしょ」
「明日って休みか?」
「一応そうですけど。箕輪さんは?」
「さぁ」
「なにそれ」
「仕事だとしても行けねぇなぁ」
「なんでです?」
「スーツ洗濯機にブチ込まれてるしシャツ着れたもんじゃねえだろ」
「納得しました。じゃあ休みましょう」
どうせ明日行っても誰もいないし。ついでに私とデートしましょう、とは流石に言えなかった。箕輪さんは少しだけ困った表情をしながら「そうだなぁ」と返す。
今度は2人並んで歯磨きをして、シーツを敷き直して、洗濯の終わったスーツたちをとりあえず干してベッドに潜り込んだ。もう3時を過ぎている。流石に眠い。
「仕事だったら、行ってもいいですから」
「あぁ」
だめだ、眠い。狭いシングルベッドで箕輪さんの腕の中、安心感に包まれながら今度こそ私は微睡みに落ちた。
***
起きると箕輪さんはいなかった。目を擦りながら携帯を開けば時刻はもう10時半だ。かなり深く眠っていたようで箕輪さんが出かけたことも、ちゃっかり朝ごはん(米)を食べて片付けまでしていったこともまったく気付かなかった。密葬課としてはわりとマズいかも知れない。
ぼんやりしながら顔を洗って、ご飯を用意して、適当すぎる干し方のシーツを洗い直して外を見た。昨日とは打って変わってきらきらとした晴天だ。一緒にいられたらきっとどれほど幸せだっただろうか。
12時近くになり今日はどうしようかと思案していたらふと携帯が鳴った。ディスプレイには箕輪さんの名前。慌てて出ると少し掠れた声。
『おはよう』
「おはようございます。やっぱり仕事でした?」
『今終わった』
「お疲れさまです」
『家か?』
「そうですけど」
『あー……30分で着く』
その言葉に私は部屋の時計を見た。自分が思っているよりも大きな声で「すぐ! 準備します!」と返事をして電話を切った。
こうしちゃいられないと服を引っ張り出して、化粧をして、どたばたとしながら髪を巻く。時間ぴったりにエントランスを出ると、いつも通りのやる気の無さで「よう」と箕輪さんが声をかける。いつものスーツだし、ちょっと血の匂いがするけど来てくれたことが嬉しくて私は思わず駆け寄った。
「箕輪さん!」
「飯、行くか」
「お供します!」
「たまにはお前の行きたい所でも行くかぁ」
「じゃあ新しく出来たワッフルのお店行きましょ!」
「おじさんとワッフルは悪趣味でしょ」
「いいの!」
腕を掴んで歩き出す。箕輪さんはしょうがねぇなって言いながら困ったように笑った。
本当にいい日! 最高の休み!
昨日の嵐なんてどこかに吹き飛んでしまって、私はここ最近で一番にこにこしながら明るい昼下がりを迎えたのだった。