ずっと好きだった


 
 3月の広島は暖かい。門倉は丈の長いジャケットの裾をはためかせながら海沿いの道を歩いていた。よく晴れた海は陽光を反射して輝いている。少し強い風が吹いて、降ろされた長い黒髪をふわりと巻き上げた。
 この地に立ち会い以外で来ることは門倉にとって随分久しぶりのことだった。誰もいない海を少しだけ眺め、それから車に戻る。帰りの道中はよく見知った景色だが、新しい建物がぽつぽつと目立ち始めるのを見て、時の流れを感じ思わず鼻で笑った。
 車は市街地の駐車場に止まり、門倉は一息ついて車から降りた。もう少し歩けば河川敷に出る。生まれて始めて己が敗北し、そして勝利したあの場所だった。気まぐれに行ってみようかと足を向けたところで背後から声をかけられる。
 
「ねぇ!」
 
 振り向いたそこには一人の女性が立っていた。少し大きめのニットの腕を捲った彼女は少し驚いた顔で門倉を見てそれから口を開く。
 
「門倉くん、でしょ?」
「……誰です?」
「あー、そうだよね。すごい久しぶりだし。えーっと」
 
 彼女は両手の人差し指と親指で丸を作り、目の位置に2つそれをくっつけた。門倉は少し眉を顰めて記憶の引き出しを開けていく。遠い遠いそこにたどり着いた時、片方の目を大きく見開いて彼女の名を呼んだ。
 
「みょうじなまえ」
「正解!」
「そうじゃ、委員長。久しいのぅ」
「本当に久しぶりだね。高校入ってからはほとんど会うことなかったし」
「もうメガネじゃないんやね」
「うん。大学入ってからずっとコンタクトだよ。でもまさか門倉くんに会うなんて思わなかった。色々雰囲気変わってるし」
 
 そう言われて門倉は少しだけ困ったような顔をする。もうトレードマークだった髪型ではないし眼帯も着けている。雰囲気が変わったなんて言葉だけで言い表せる変化では到底なかった。
 一方の彼女は、中学時代同じクラスだった”委員長”の雰囲気は残っているのに、年齢を重ねたが故の丸みを帯びた柔らかさに思わず笑んだ。
 
「よう気付いたのぅ」
「さっき車が通りがかった時もしかしてって。自分でもよくわかったなって思うよ」
 
 彼女も同じように少し笑んで返す。河川敷に行くのは止めだ、と門倉は車にもたれかかるようにして煙草を取り出す。彼女が「どうぞ」と言うので、少し遠慮がちに火を付けた。
 ふう、と長めに吐き出した煙は高く登っていく。澄んだ空は春特有の遠さであっという間に霞んで見えなくなった。
 
「どうして帰ってきたの?」
「なんとなく。……委員長は?」
「あー……色々あって」
「大学、東京じゃろ?」
「まぁ、広島弁が抜けるくらいには向こうにいたよ。就職もあっちだし」
「今日はなんしよん?」
「お見合い、でさ」
「見合いぃ?」
 
 彼女の言葉に門倉は己が思うよりもずっと驚いていた。少し長くなった灰を落としてもう一口。まるで動揺を隠すかのように深く、深く吸う。少し辛さと熱さが出る程の味に「ガキのようだ」と門倉は内心思った。
 彼女と門倉は、小中と同じ学校だった。高校からはそれぞれの道に進み、一度か二度たまたま見かけたことがあるくらいだった。進学校に入った彼女と圧倒的な暴で街を支配する門倉では、見ているものは段々と、それでいて明確に変わっていったのだ。中学時代は不良の自分を恐れない彼女を面白く思い、からかったり話をすることも度々あったが、それももう随分昔の話になってしまった。
 
「行ったんか」
「あはは、バックレちゃった……」
「意外と度胸あるやん」
 
 この感情が何かわからない以上、告白でもしてもし振られたらと思うと門倉のプライドが許さなかった。結局何も言えず終いで卒業し、今に至る。
 そんな彼女とうっかり地元で再会して、しかも向こうは見合いから逃げ出したと言うのだ。悪い大人になった門倉は少し思案して、口を開く。
 
「じゃ、ワシとちょっと出かけん?」
「門倉くんと? 用事あるんじゃないの?」
「何もないから来たんよ。委員長が良ければ乗せちゃるけん」
「うーん……わかった。ええよ」
「決まりや」
 
 煙草を携帯灰皿に押し付けて火を消す。彼女を助手席に乗せて、門倉は少しだけ窓を開けながら言う。
 
「煙草臭かったらすまんのぅ」
「ええよ。煙草の匂いするのは門倉くん昔っからやん」
「悪いのう」
 
 静かに発進した車はあてもなくウィンカーを出して右折する。行き先は特段決めていなかったが、彼女となら別にどこでも良かった気がした。十数年会っていなくても気の置けないことには変わらない。門倉の心は柄にもなく少しだけ浮かれていた。
 
「眼帯してるのに運転できるん?」
「免許は視野角クリアーしてれば問題ないんよ。慣れた」
「結構前の怪我なん?」
「一年以内」
「随分ハードな喧嘩しとるんね」
「仕事じゃけぇ喧嘩じゃないんよ」
 
 喧嘩というにはあまりにも激しい命のやり取りを思い出し見えないように門倉は笑う。そして彼女を怖がらせないように少しだけ嘘をついた。賭郎立会人になることを公言してはいたが、それはあくまでも高校以降でのことだ。彼女は賭郎なんて組織間違っても知らないだろう。
 
「東京なんて狭いのに、以外と会わないもんやね」
「ワシに会っても面白ぅないじゃろ」
「面白くなかったら今車乗っ取らんよ」
「それもそうじゃ」
 
 目的地のないドライブは少しずつ街を離れていく。このままだとまた海に行くことになるが、それでもいいかとぼんやり考える。幸いなことに日は少しずつ傾いたがそれほど寒さはない。着く頃には瀬戸内海の綺麗な夕日が見れるかも知れない、と少しだけスピードを上げた。
 途中コンビニに寄って飲み物を買う。ホットの缶コーヒーを飲みながら話しても話題は尽きない。空白の時間は大人になった2人にはかえって心地よかった。
 
「門倉くんは結婚してるん?」
「しとるように見える?」
「昔からモテてたからなぁ。してても不思議じゃないかな」
「残念ながらしとらんよ」
 
 そう言うと彼女は少し返答に困ったような顔をして、それから「残念、じゃないなぁ」と小さく呟いた。門倉は聞こえないフリをしてやり過ごすが、代わりに缶コーヒーの中身は無くなってしまった。心地よかった空白の時間は、大人になって純粋さを失ったことも浮き彫りにさせる。
 
「なんで見合いすることになったん」
「親がこっちに帰ってこいってうるさいけぇ」
「大事な一人娘だからじゃろ」
「私は東京で働いている方が好きやから、戻りたくない」
「あぁ、わかる」
 
 賭郎勝負はあちこちで行われているが圧倒的に都内が多いことは確かだ。勝負に立会うなら場所は関係ないが、なるべくその渦中にいたいと思うのは立会人としての性だろう。そもそも賭郎本部からあまりにも離れるのは色々と面倒なのだ。会話の中で彼女の勤め先を聞けば、門倉もよく知る大手企業だった。生き方は違えど、東京の「楽さ」は地方とは比べ物にならない。
 色々な話をしているとあっという間に先程の海まで戻ってきた。水平線の向こうに真っ赤な太陽が沈もうとしている。車から降りた彼女は少しはしゃいだ様子で波の届くぎりぎりのところまで歩いていこうとする。
 
「委員長、転ばんようにな」
「いい歳してはしゃいで転ばんよ」
 
 藍色と茜色が混ざる空は美しく、並んだまましばらくぼんやりとその光景を眺めていた。やがて遠くにオレンジの帯が消えてしまって、彼女がくしゅんとくしゃみをする。
 
「寒い?」
「ちょっとね。日中暖かいからこれしか着てこなかった」
「着てええよ」
 
 ジャケットを脱いで彼女の肩に羽織らせる。車に戻るよう促し、砂浜を踏みしめて歩く。革靴が沈む感覚が心地よく、門倉は歩きながら言った。
 
「飲みにでも行かん?」
「このまま?」
「このまま」
 
 自分でも思いつきの言葉だと思った。明日まで滞在の予定だが宿も何も取っておらず、どこでいくら飲んだところで門倉自身は困らない。しかし彼女は実家に用事、しかもお見合いで帰省してるのだ。あの頃と違い断られたら黙って送ってやろうと思えたのは、門倉自身も少し丸さが出たからだったかもしれない。
 
「ええよ」
 
 ドライブに誘ったときよりも、彼女ははっきりと是の意を示した。視線だけで彼女を見たが、まっすぐ前を見つめたまま髪の毛を潮風に揺らしている。門倉もまた前を向いて「決まりや」と先程と同じ言葉を返した。
 車に着いてエンジンをかける。車内が暖まるまで店はどうしようか、帰りはどうしようかと話し合う。結局市街地の個室がある居酒屋に適当に入って決めようと曖昧な結論を出した。
 門倉はネクタイを少し緩めてステアリングに手を伸ばす。背後の海はすっかり藍色に染まっていた。
 
 ***
 
「じゃあ、乾杯」
「かんぱーい」
 
 一杯目のビールはよく冷えていて喉を潤した。とりあえずで入った居酒屋は刺し身が売りのようで一通り彼女が見繕って頼んだ。昔は無かった店に入るのは意外と不思議な感じがするもので、地元がどんどん変化していくことに切なさを感じつつ2人昔思い出話に花を咲かせる。
 順調にビールを減らしながらお互いに知らなかった高校の頃の話をしていると、彼女がふと「高校入ったら門倉くん余計にモテてたけん近付くの怖かった」と小さく漏らした。
 彼女と道を違えた16歳の門倉は喧嘩と支配と統率で構成されており、その中に女と遊ぶ余裕はなかった。正しく言えば彼女と呼べる存在や己に構われたいと近寄ってくる女は大勢いた。しかし、真の意味で愛していたかと聞かれれば向けられた感情を利用していたにすぎない、と答えるだろう。
 
「絶対女の子取っ替え引っ替えだったでしょ」
「ワシのこと何だと思ぅとるん」
 
 灰皿にまだ長い煙草を押し付けながら門倉は笑った。二杯目にウイスキーをロックで頼み、彼女に目配せをする。彼女は梅酒のソーダ割りを、とオーダーした。
 
「意外に飲めるクチなんやね」
「好きなだけだよ。門倉くんはイメージ通りって感じ」
「まぁ、よく飲んどるから」
「女の子と?」
 
 からかうように彼女は笑い、それを見て門倉は煙草を取り出して火を付けた。10年以上時が経てば彼女にからかわれるようになるのかと少し感慨深ささえある。以前だったら自分がからかって、ムキになって反論する彼女を面白くも心のどこかでは愛しく思っていた。好きだと言ったことも、言われたこともない相手。己の寵愛なんて求めず、ただ対等にぶつかってきた唯一の女。ジリ、と燃える音を聞いてゆっくりと彼女を見る。
 
「変わらんのう」
「ん? 何が?」
「なんでもない」
 
 変わらないのは彼女か、はたまた自分の気持ちか。年甲斐もなく浮足立ったままの心を落ち着かせるように一口、また一口と煙を舌で転がす。そんな門倉の様子を彼女は口元を綻ばせながら見ていた。
 
「何でそんな見つめるん?」
「髪、下ろしちゃったんだなぁって思って」
「あぁ」
 
 門倉は煙草を置き両手でぐいと前髪をかきあげた。左前頭部に走る生々しい傷跡を見て、彼女の顔色がさっと青ざめる。それを見て門倉は笑い、それから「失敬」とだけ言った。
 
「……治るん? それ」
「治らんなぁ。目もまぁ、ぎりぎり見えるかどうかじゃ」
「ごめんね」
「委員長が謝る必要ないんよ。ワシの責任やから」
「大変な仕事、しとるんね」
 
 大変、で片付けばいいのかもしれない。このやり取りで彼女は一気に泣きそうな顔になった。それを堪えるようにグラスに口を付けて飲み進める。門倉もロックグラスを少しだけ揺らして、傾けた。蒸留酒特有の香りが鼻を抜ける。
 
「委員長」
「……どしたん?」
「折角の酒の席けん、そんな顔せんで」
「門倉くんのせいでしょ」
 
 くしゃりと顔を歪ませた彼女を見て、思わず門倉は吹き出す。ふと中学生の頃の昼下がりを思い出したのだ。授業をフケて寝ていた自分にずんずんと大股で近付いてきて、やれ授業は真面目に受けろだのわからないことがあるなら自分が教えるだのとにかく大きなお世話だったのだが、門倉はそのやり取りを不思議と不快には思わなかった。
 確かあの時も同じようなことを言って、彼女が怒りながら「門倉くんのせいでしょ!」と返すから余計に面白くて。
 
「何で笑うのよ」
 
 今度は顔を赤くしながら彼女は言う。それが酔いのせいか己のせいかの判断はつかず、堪えた笑いで震えながらグラスをぐいとあおった。負けじと彼女も飲み干して「すみませーん」と店員を呼ぶ。
 
「同じので」
 
 すぐにやってきた酒をぐいぐいと飲み進める姿を、門倉は笑みを湛えたまま見つめていた。まるで立会いの場にいるかのように高揚している。飲み、食べる彼女の表情を作る眉や、少し細められる目、そして熟れた果実のように赤く色付いた唇がまるで作り物のように美しく見えた。
 
「飲まないの?」
「ん? あぁ」
 
 彼女に勧められるまま門倉もグラスを空けた。段々と会話は減り、氷の鳴る音だけが2人の間で響く。元来酒の強い門倉だったが、少しずつ瞼に重みを感じてくる。側には下げられないまま残されたロックグラスがテーブルの端に3つ並んでいた。
 
「おい、委員長」
 
 テーブルの向かい側の彼女はこくりこくりと船を漕いでいる。握られたままのジョッキが危なっかしく、奪い取ってそれを飲み干した。氷の溶けて薄くなったハイボールは不味い、とふわふわと揺れる脳で考える。
 
「おい」
 
 多少ドスの聞いた声をかけたが反応はないままで、門倉は溜息をつきながら天井を見上げた。それからふと、この後のことを考える。自分は駐車場に置いてきた車で仮眠を取ればいいのだが、彼女にそうさせるわけにはいかない。身を乗り出して肩を揺するが、彼女は僅かに唸るだけだった。
 
「起きろ。聞いとんのかワレ」
「んー……ぅるさいなあ」
「あぁ? 店で寝るな。出るぞ」
 
 門倉は先に会計を済ませてくると、眠ったままの彼女を抱えるように立たせた。思ったより寝起きが悪く、手加減して2,3度頬を叩くとようやくゆっくりとその目が開かれた。
 
「あー……寝てた?」
「そりゃ安らかに寝とったわ。ここのはもう払ぅたから。歩けるか?」
「あるける」
 
 ふにゃふにゃとした口ぶりの彼女は店の外によろめきながら出ていこうとする。反対に、少しずつ冷静になってきた門倉はジャケットを脱いでまた彼女の肩にかけた。春先と言えど夜となればまだまだ冷え込む。ジャケットにくるまった彼女は門倉の方を見てまたふにゃふにゃとしたまま口を開いた。
 
「これ、門倉くんの匂いするけぇ安心するんよ」
 
 こいつは弩級の大馬鹿者だ――。
 反射的に門倉の口角がにぃと上がった。失敬と言おうにも目の前の彼女はすっかり油断した呆け顔で門倉のことを見上げている。色恋を知った気になっていたあの頃とは違う。色恋を味わい尽くした悪い大人になっていたこの男は、彼女の手を取ると繁華街を歩き出した。
 店を出るまではぼんやりした頭で「彼女をタクシーで帰さなければ」とばかり考えていたが、あんな表情を見せられて大人しく帰せるほど、門倉雄大という男は丸くなっていない。彼はいつだって欲しいものは手に入れてきた。そのチャンスが今、この場所に降りてきただけの話だ。
 時刻は23時を過ぎている。彼女だって見合いをバックレて外泊したところで罰せられるような歳でもない。帰るチャンスもきっかけもいくつも与えたのに、それを突っぱねたのは向こうの方だと言い聞かせる。あの頃よく通った道のはずなのに、門倉の心臓はいやに高鳴っていた。
 角を曲がって、細い路地に入る。そこを抜けてすぐのところにキラキラと電飾の輝くそれはあった。躊躇いもなく自動ドアを抜けて、空いている適当な部屋番号を告げてルームキーを受け取る。狭いエレベーターに乗り込んでからようやく彼女が口を開いた。
 
「あれ? 帰るんじゃ、ないの?」
 
 少し歩いたからか先程よりは落ち着いた様子だったがそれでもまだうまく状況を飲み込めていないらしく、繋がれている門倉の手を不安そうに握り返した。
 
「ワレ、いつもそんな顔で男を煽りよるんか」
 
 門倉の隻眼が彼女をじっと捉える。それと同時にエレベーターのドアが開いた。少し強引に手を引いて、ランプの点滅する部屋に入る。壁に押し付けて無理矢理に抱き上げ、奪い取るように靴を脱がせると、そのまま己の革靴も放り投げて部屋の中央のベッドに沈めるように彼女を寝かせた。
 彼女はぼんやりとした顔で馬乗りになった門倉を見つめ、それからハッとしたように「え?」と彼女は呟いた。抵抗する間もなく両腕を頭上で押さえられ、ギリギリまで顔を近づけた門倉の髪の毛が頬をくすぐる。
 
「もう、遅い」
 
 門倉の小さな囁きと、奪うようなキスで呼吸を詰まらせた。強いアルコールの味がする唾液が絡み合って、彼女の頭はまたぼんやりと霞がかかっていく。ぎゅっと両目を閉じたその顔を、反対に門倉はじっと目に焼き付けていた。ついに奪ってしまったと、歓喜にまた口角が上がる。自分の中の綺麗な思い出を破り捨てるような背徳感が背中を駆ける。
 苦しそうな彼女から一度離れ、それからまた啄むように唇を食みながら服の中に手を侵入させる。酒のせいか、彼女の腹部は柔らかく暖かい。まるで極上の獲物のようだった。
 
「ま、って」
「待ってどうするん?」
 
 隻眼はぎらぎらと彼女を見つめている。あの声が、表情が、仕草が己の自制心を破壊していく感覚に門倉はどきどきとしていた。立会人として己を律し、音の1つも漏らさぬようにと研鑽を詰んできたはずの心臓は痛いほど跳ねている。
 
「なぁ、あぁして男誘うてたんか?」
「そんなわけ、ないでしょ」
「じゃあ俺にだけしたんやね」
 
 嬉しい、と思わず呟けば意外そうな顔で彼女は門倉を見た。門倉自身も漏れ出た感情に少々戸惑いながらも首筋に唇を寄せる。彼女は少し身を捩りながら「シャワー、浴びさせて」と消え入りそうな声で言った。
 
「一緒ならええよ」
「え」
「嫌ならこのままするけど」
「じゃあ一緒でもいいです……」
 
 観念したように言うものだから、門倉も身を退かせて起き上がらせる。体の下に敷かれていたジャケットを申し訳無さそうに差し出してくるから、この人はどこまで行っても変わらんと思いながらそれをハンガーにかけた。
 
「本当に一緒に入るの?」
「嫌な理由は?」
「恥ずかしい」
「ワシだって恥ずかしくないわけじゃないんよ」
 
 その言葉は嘘でもあり、本心でもある。もじもじと動かないのを見かねて門倉はネクタイを外した。シャツのボタンをひとつずつ外して前をはだければ、その鍛え上げられた肉体を視線だけでちらちらと見つめられる。
 
「ワシだけストリップさせるのはずるくないん?」
「わ、わかった」
 
 決心が揺らがぬうちに、万歳をさせてニットを脱がせた。居酒屋と彼女の匂いに門倉の脳みそがくらくらと揺れる。アルコールよりも己を酔わせる甘美な香りだった。
 インナーを脱がそうと彼女の腹部に触れると、くすぐったいのかぴくりと体が跳ねる。わざとくすぐるようにすれば顔を真っ赤にしながらばしばしと叩かれた。
 
「ワシのも脱がしてよ」
「門倉くんそういうこと言うタイプなんだ。意外」
「聞くけど、ワシが自主的に脱ぐと思うとるんか」
「うーん、ないなぁ」
 
 少し笑いながら門倉のシャツに手をかける。あちこちに残っている傷跡を痛々しそうにしながら細い指がなぞった。導くようにベルトにその手をかけさせて門倉は微笑む。反対に彼女はどぎまぎとしながらおぼつかない手つきでベルトを抜き取った。
 彼女を再び寝かせて、履いていたデニムパンツを脱がせる。上下とも下着姿になった彼女は視線を逸らして顔を赤くする。それを見て門倉は「今聞くことじゃないが」と前置きした上で口を開いた。
 
「見合い、その格好で行くつもりだったんか?」
「違うよ。夕方からだったから理由付けて家出てきたの。というか本当に今聞くことじゃないよ、それ」
「あぁ、納得した」
 
 そう言って慣れた手つきでブラジャーのホックを外して奪い取る。隠そうとする手を制しながら口付けて、あれよあれよとショーツまで脱がしてしまった。その柔らかい肉体は門倉のものとまったく違う。最近抱いた女は賭郎関係者でよく鍛えられていたが、それとは比べ物にならない程女性的でか弱い存在だ。
 
「恥ずかしいんですけど」
「向こうで脱がせりゃ良かったのう」
 
 詫びながら細い体を横抱きにしてシャワールームに向かう。彼女を先に入れると「ワシが脱ぐの見ない方が緊張しないじゃろ?」と耳打ちした。彼女はこくこくと頷き、背を向けてシャワーのコックを捻る。それを確認してからスラックスを脱いで一応ハンガーにかけ、下着も放り投げるようにしてからシャワールームのガラス張りのドアを開けた。彼女は背を向けて立ったままシャワーを頭から被っている。
 
「化粧、落ちるけど良かったん?」
「別にいいよ。大してしてなかったし」
 
 そんな浴び方ならクレンジングくらい渡してやれば良かった、と少々反省しながら門倉は彼女の背後に立った。高い位置のシャワーヘッドを掴んで寒くないよう肩の辺りにかけてやる。何も言わず、振り向くこともしない彼女を抱きしめるように囁く。
 
「結構飲んでるんやから、そんなんしとると湯あたりする」
「……うん」
 
 彼女が緊張しているのは明らかだった。門倉はなるべく怖がらせないように、ゆっくりと体を自分へを向けさせる。振り向いたその瞳は戸惑ったまま揺れていた。なし崩し的にここまで来て段々と冷静になってきたのだろう。それは今日の自分の行いも含めて。
 
「着いてきたこと、後悔しとる?」
「飲みに行ったこと?」
「海に行ったことも、全部」
「……それがね、自分でもびっくりするほど後悔がないの。相手とか家族には凄く迷惑かけてるのに、変だね」
 
 震えた手が門倉の頬を、それから眼帯を撫でた。2人きりしかいないシャワールームなのにまるで内緒話をするように「これ、外してもいい?」と問われて、頷きだけで返す。黒い革でできたそれは簡単に奪われて、滲むような視界の先に彼女の顔が見えた。
 
「ようやく門倉くんの顔、ちゃんと見れた気がする」
 
 頬が濡れているのは水滴かそれとも涙なのかはわからなかった。眉尻を下げた彼女は笑っているような泣いているような表情のまま門倉を見つめている。吸い寄せられるように口付けて、壁に彼女の体を壁に押し付ける。
 細い腕が首に回されて、がちゃんと音を立ててシャワーヘッドが落ちた。足元でぱちゃぱちゃと跳ねるそれを意に介すこともなく、没頭するように繰り返し唇を食んだ。
 
「ベッド、戻る?」
 
 そう問いながら彼女の耳たぶを甘噛みする。ぴく、と反応したのに気を良くして答えを聞く前にその膨らみに触れた。掠めるように触れた先端は彼女に似て少し控えめだ。ふに、と柔らかい乳房のラインをなぞれば吐息が漏れる。
 
「白くて、綺麗じゃのう」
「褒めても、何にも出ないよ」
「もう貰っとる」
 
 門倉にとっては彼女とこの場にいるだけで儲けものなのだ。大きな手で感触を楽しむように弄び、親指でぐりと押し込むと彼女は小鳥の囀るような声で鳴いた。
 
「弱いんか、ここ」
「そ、ゆ、わけじゃないです」
「ほうかほうか」
 
 にこりと笑いながら執拗に攻める指先に、頬を赤く染めながらなんとか声を抑える。その様がやけにいじらしかった。門倉が今まで関係を持った女性と言えば、己に好かれたいがために積極的に奉仕するばかりで自分からこんなことをしようとも思わなかったのだ。さながら、肉食獣の前に躍り出た子ウサギに近い。
 嗜虐心とは違う、なんとか自分の手で上り詰めさせてやりたいという感情のまま片手を下腹部に伸ばす。くちゅ、という音がして少し粘度のある蜜が指先を濡らした。
 
「やっぱり弱いんやね」
「だっ、て」
「だって?」
「門倉くんの触り方、やらしいので……」
「そりゃやらしいことしとるからのう」
 
 笑いながら身をかがめてシャワーヘッドを拾う。体が冷えないように彼女にかけてやって、それから意地の悪い顔をして問いかける。
 
「ワシに綺麗にされるのとシャワーで綺麗にされるの、どっちが良い?」
「綺麗に……? それはシャワーでお願いします」
「それでええんやね?」
 
 シャワーを少しずつ下に下ろして、耳元で「少しだけ足開いて?」と言えば彼女は大人しくそれに従った。反対の手で押し広げるようにした奥、小さな尖りにシャワーを当てるようにするとその水圧と刺激に彼女の悲鳴が響く。
 
「や……それだめっ」
「じゃあワシが綺麗にすればいい?」
「それも、だめ……っあ!」
「シャワー浴びたい言うたのは委員長じゃ」
 
 支えを求めるようにして門倉に手を伸ばす。引こうにも背後が壁で逃げられないからか揺らめく腰が艶めかしい。解放して支えるように抱きしめ、シャワーヘッドをフックに掛けた。
 触れた体が熱い。彼女の首筋から香る匂いに門倉は見えないように舌なめずりした。湯気に混じって湧き立つそれは熟れた果実のように甘く感じる。
 
「責任持って洗ってやらんと」
「じ、自分でします」
「じゃあ委員長がワシを洗ってくれんかのう」
「それくらいなら、する」
 
 ボディーソープを手に出して緩やかな手付きで泡立てる。門倉の引き締まった体にぺたりと触れおずおずとその泡を伸ばしていく。その動きにもどかしさを感じながら、好きなようにさせる。彼女が時折不安そうに顔を見上げてくるものだから、またむくむくと悪戯心が芽生えてしまいそうになった。
 
「上手やね」
「上手とか下手ってあるの?」
「さぁ。でも委員長は上手じゃ」
「なにそれ」
 
 ふと彼女の手が止まった。視線を辿れば腰骨の辺りでまごつかせている。それを見て「あぁ」と小さく呟くとまた彼女の体をくるりと反対方向に向かせた。
 
「無理しなくてええよ」
「あのっ一応私処女ではなくて」
「うん?」
「でもなんていうかその、久しぶりで、うん。ごめんなんでもないの」
「……委員長」
 
 顔だけこちらに向けて不思議そうな顔で見つめる。その頭を安心させるように数度撫でた。
 
「嫌なことはさせんから。見たくないなら見なくてもいい」
「……嫌じゃないの、恥ずかしいだけ」
 
 男慣れしていない初心な反応はあの頃となんら変わっていない。思い出したような背徳感に門倉の血圧が急上昇する。口角をにぃと上げてボディーソープを手に取って少し屈めさせた背中にぴゅっとかけると、まるで欲を吐き出したような光景に息が荒くなりそうになるのをその精神力で抑え付けた。
 
「ワシも洗ったげるわ」
 
 背中から腕、手を回して胸から腹と無骨な手は体中を這う。わざと避けるように秘部を掠めて、膝をついてその白い足を撫でるように泡が滑る。全身を愛撫するようなその手付きでまたぴくぴくとその身が跳ねた。
 立ち上がり彼女の尻に己の欲望を押し付けるように抱きしめる。音を立ててぴちゃぴちゃと耳を舐め上げれば、くぐもった声が聞こえた。
 
「嫌なら嫌って言うてええよ」
「……や、じゃない」
「後悔せん?」
「しない」
 
 シャワーにかき消されそうな程の小ささで「欲しい」と言った言葉を門倉は聞き逃さなかった。片腕で抱きしめたまま、熱い花弁に充てがってゆっくりと押し進める。
 
「痛うないか?」
 
 はっはと荒い呼吸の彼女を気遣って声をかける。ろくに解しもしないまま挿入に至ったのだから苦しいのだろう。それでも早く彼女の中に沈み込みたくて仕方なくて逸る気持ちを抑え込むので必死だった。
 
「だ、だいじょぶ。ちょっと苦しいけど」
「無理せんでええから」
 
 彼女が壁についた手に重ねるように門倉も左手を置いた。握る手の細い指先が、右手で掴んだ腰の柔らかさが、彼の獣の部分をゆっくりと覚醒めさせていく。なるべく彼女を傷つけまいとしながら、その暴力性が少しずつ露わになろうとしていた。
 
「こっち、向け」
 
 穏やかだが尊大な口調で告げる。門倉は振り向いたその唇を奪い、ついに最奥まで届いたそれで彼女の視界がちかちかと明滅した。絡めた舌の熱さを感じながら、下腹部の重い衝撃に眉を寄せた。
 
「熱いのぅ」
 
 馴染ませるように片手で腹を撫でてその質量を彼女に知らしめる。ボディーソープの泡は汗とシャワーから飛んだ水滴でだいぶ流れてしまい、彼女の粟立った肌が見えた。うなじに唇を寄せて音を立てて口付ける。
 
「なぁ、動いてもええ?」
「い、いよ」
 
 わざとらしく緩慢に始まった律動は、彼女を思いやってか門倉の嗜虐心故かはわからない。己の内側をごりごりと刺激するそれと熱に浮かされるように声を抑えられない彼女は右手の指を噛んでその刺激に耐える。
 
「あぁ、ええなぁ」
 
 両手を腰に添えて打ち付ける楔は門倉の脳も同じくらいに蕩けさせる。出しっぱなしのシャワーの熱か己の熱かもわからないまま貪るように、段々と乱暴にその細い体を抉った。
 沸騰した湯のようにぐらぐら揺れる思考は本来聡明な彼の意識を鈍くしていき、その行為に没頭させる。強すぎる刺激に彼女は手を付いたまま身をびくびくと震わせた。
 
「おい、なまえ。ワシに黙ってイくな」
「な、にそれ。ひど」
「酷ぅない。お前がワシのモノだからじゃ」
「っあ」
「なぁ、ワシのモノになるって、言え」
 
 耳たぶを食みながら囁く。左右でずれるピントの先には、己の動くまま揺さぶられ喘ぐ白い背中が見える。ぐずぐずになった脳はあの頃抱いた感情を思い出させ、かりそめの記憶のまま彼女を犯す。
 
「なぁ」
「かどく、らくんっ! ぁ、あっ」
「なぁ、なまえ」
 
 ワシはあの時も、こうやってお前を酷く抱いたか?
 
「門倉くんっ」
 
 あの頃よりも遥かに大人になった彼女の甘い悲鳴で浮ついていた意識が戻る。ぴた、と止まれば彼女が泣きそうな声で「も、少し優しくして」と呟いた。
 
「……すまん」
 
 ぬるりと引き抜いて、門倉は己と彼女の体に付いたままの泡をシャワーで流した。そのまま彼女の体を抱きしめる。溶けた思考が再び形作られていくような感覚のまま、そのまま動かない。
 背中に感じるその鼓動に、彼女は不思議と安心していた。あんな手酷い抱かれ方をしても彼を拒めないのは過去から抱いていた情があるからではない。ぴくりともしない門倉の重さはかえって心地よく、ゆっくりと身を返す。
 
「門倉くん、私何度も言ってるじゃない。後悔しないって」
 
 貴方が凶暴なことは昔から知ってる、と口付けたその柔らかさが、温もりが、門倉のぐちゃぐちゃに崩れそうな脆い思考をしっかりと固定して、目に光を宿らせた。
 強く抱いたら壊れそうなのは彼女の方なのに、どこかに飛びそうな意識を繋ぎ止めたのもまた彼女だった。
 
「そろそろ出ようか」
 
 そう言った彼女はひどく官能的に見えた。あの純真さが、変わらない安心感が、歳を経ることで蠱惑的に門倉を誘う。女なんか飽きる程に抱いてきたはずなのに彼女の濡れた瞳が今までの誰よりも美しかった。
 口付けてもつれるようにしながらシャワールームを出る。体を拭くこともせずベッドになだれ込み、両足を掴んで持ち上げた。水蜜桃のように瑞々しく濡れそぼるそこは、安っぽい灯りの下でも変わらないくらいいやらしく門倉を誘う。
 
「なまえ」
 
 何度も何度も唇を重ねながら再び奥まで入り込む。柔らかく馴染んだそこは先程と違う快感をもたらして、堪らず掻き抱いた彼女の体は熱いままだった。
 髪の毛の先から雫を落としながらぐっと奥を突き、ゆっくりと引き抜く。もどかしいのか彼女の腰が誘うように揺れた。
 
「とことん煽りよるなぁ、なまえ」
「そ……ん、なこ、とぉなっ……!」
「もっと欲しいんか?」
 
 意地悪く問えば、門倉の下で彼女は震えながら頷く。それに応えるようにぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てて腹の奥を擦ってやれば、白い喉をぐいと曝け出す。それから両手を繋ぐように押さえつけて、逃げられないようにしたまま膣内の柔らかく充血した部分をぐり、と押し潰す。少し浅めのところを繰り返し刺激され、彼女は頭を振った。
 
「イく?」
「そこ、だめなとこだからっ」
「大して男慣れしとらんのにここは気持ちええんか? 妬けるのう」
「あ、ああぁ、だめだめだめ」
「ワシでもっと気持ちよくなればええんよ」
「っれだめっ……!」
 
 ぎゅっと握る手や体に力が入る。きゅうきゅうと収縮した子宮内が門倉自身を柔らかく、急激に包み込んで一瞬意識を持っていかれそうになるのを眉を寄せて堪えた。
 いつもだったら無遠慮に動き、自分の欲のまま吐き出すばかりなのにこと彼女に対しては愛しさが己を支配してやまない。
 
「そんなにええの?」
 
 息も絶え絶えな彼女にの首筋に吸い付く。シャワーの水滴に混じってうっすらと汗の味がした。またふわりと甘さが立ち上ったそれは、さながら桃のようだ。
 息を荒くしたまま門倉を見つめるその瞳は潤んでいる。上気した頬を撫でると甘えるように擦り付けた。
 
「いいか、って聞かれたらまぁ……いい」
「おう、ほうか」
 
 それを聞いた門倉はにぃと口角を上げて再び奥の方にぐいぐいと押し付ける。突然の刺激に唇を噛みしめるのを見て、親指をねじ込むように口を開かせた。
 
「血ぃ出る」
「ふ、ぁ」
 
 緩やかな抽送は彼女を再び絶頂へと上り詰めさせるには容易かった。ぎしぎしとベッドが軋む音と、彼女の高い悲鳴のような嬌声だけが部屋に響く。門倉は少し高い位置から彼女のぐちゃぐちゃになった顔を眺め、べろりと舌なめずりする。親指の先で口内を弄び、時折される甘噛みをじゃれ合いのように楽しんだ。
 
「ひゃ、ぉくら、くん」
「ん?」
 
 ゆるゆるとした動きのまま指を引き抜く。腕を伸ばした彼女は門倉の頭をぐいと引き寄せると黒髪がカーテンのように2人の顔を覆う。互いしか見えないまま口付けを交わし、それに煽られたように動きを少し早めた。
 
「……悪い女やのう」
「あぁ、っぅ」
 
 柔らかい肉が欲望を飲み込んで離さない。またくらくらと揺れそうになる意識を彼女を抱きしめることでなんとか保ち、求めるまま絡めた舌はそれでもまだ足りないとくちゅくちゅと音を立てる。
 
「ふ、」
 
 吐息が漏れ出るのも許さないとでも言うように離れられないまま、門倉の髪は彼女の指先でくしゃくしゃとかき乱される。どんどん失われていく余裕は、まるで門倉が己を忘れてしまったかのように錯覚させた。
 
(なんや、この気持ちは)
 
 女なんて飽きるほど――まさしく掃いて捨てるほど抱いて泣かせてきたはずなのに、どうも彼女といると調子は狂いっぱなしだった。彼女と最後に会った15年以上昔の記憶を掘り起こしても、多少の好意はあれど劣情を抱いてはなかったのに、と頭の中でぼんやり考える。
 過去をどれだけ思い出そうとしても、あの頃も今も抱いていた感情が同じものだということしか結論は出ない。僅かな庇護欲と、強大な支配欲。この街のほとんどを手に入れた男はそれが恋だとは認めることは出来なかった。
 
「熱いのう、なまえ」
「ふ、くぅ……! ぁ、つぅ」
「良すぎて止まらんわ」
 
 ゼロ距離で繋がったまま、それでも奥深くまで蹂躙しなければならないと思うほど堪えようのない快感に先に音を上げたのは彼女の方だった。上がる悲鳴は声にならず掠れた吐息だけで、涙で滲んだ視界には天井が微かに見えるばかりだ。
 
「あ、ゃめっ……いく、ぅっ!」
「イクならワシも一緒がええわ」
「それっ、つよっ……! ん、ぐぅ……あ、ぃくっ……!」
「っく……!」
 
 ぎゅうと抱きしめる腕からなんとか逃れ、白い腹にぽたぽたと雫を落とした。胸の辺りまでとんだ飛沫が解き放った欲望の大きさをありありと示す。
 引き抜いて体を離し、天井を見上げると脳みそが揺れた。長い溜息をついてから見た彼女はまるで死んでいるかのように動かない。上下に動く胸だけがかろうじて彼女の生を主張していた。
 暑さで髪の毛をかき上げると、深く刻まれた傷跡を彼女が虚ろな目で見つめていた。数度撫でてやり、横にごろんと寝転がる。反対に彼女はベッドボードに腕だけ伸ばしてティッシュをむんずと掴んだ。事の済んだ体を清めてやるなんてことを門倉はしない。彼女は己の体にかかった白濁をゆっくりと拭き取り、それからぼんやりとしたまま隣を見た。
 
「門倉くんはさ」
「んー」
「気まぐれで抱いたわけじゃん」
「はぁ? 気まぐれ? なんや言いたいことでもあるんか?」
「ないよ。たださ、もう会わないだろうって思って。良い思い出貰ったなぁって」
 
 私ずっと門倉くんのこと好きだったからさ、と付け足すように言ったのを聞いて門倉は飛び起きた。その剣幕に寝転んだまま驚きで目を丸くした。
 
「な、なに?」
「なんで今まで黙っとったんや、ワレ」
「だって……言えないでしょ」
「なんでじゃ」
「学校の女子生徒のほとんど門倉くんのこと好きだったんだよ!? 知らない学校の子とかも来てたし、私みたいなその他の一般人じゃ無理だって!」
 
 彼女の主張はもっともなのだが、己の葛藤を知らないことに門倉は何故か腹を立てた。思わず端正な顔で凄めば、彼女もムッとした表情で起き上がりじっと睨み付ける。
 しばしそのまま一触即発の雰囲気だったが、意外にも先に折れたのは門倉の方だった。
 
「素っ裸でメンチ切ってどうするんや」
「貴方が先にしてきたんでしょ!」
「うるさいのう」
 
 顎を掴んで唇を奪う。さながら少女漫画のような安っぽい黙らせ方だったが、彼女には効果覿面だったようで何も言えないまま口をぱくぱくとさせていた。
 
「んで、どうするん」
「何を?」
「ワシのモノになるんか、ならないんか」
「あの、突然すぎるんですが」
「どうなん、委員長」
 
 門倉の不遜な物言いに彼女は少しだけ眉を寄せる。門倉のことを当時好きだったのは確かだし、なし崩しとは言え関係を持ったことに何の後悔もない。しかし彼女だって同じくらい歳を取り、それなりのプライドもある。今はもう、彼の強さに震えるだけの少女ではなかった。
 
「私は門倉くんのものになんかならないよ」
「……は?」
 
 予想外の言葉に、今度は門倉が眉間に深い皺を刻んだ。生まれてこの方、女に関しては苦労の1つもなかった自分を振る人間が現れるとは思いもしなかったのだ。まして、自分を好いていたと言い放った人間が相手なのだから、これまでと同じように自分の手中に収められるだろうと高を括っていた。彼女の瞳は強い意志を孕んでいる。その姿は美しく、そして腹の立つものだった。
 
「売っとんのか、ワシに」
「喧嘩? うん。そうだね」
「おどれ、随分と偉くなったのう」
「もう門倉くんに良いようにされるような大人じゃないの、ごめんね」
 
 どんなに腹が立とうと女に手を上げるほど門倉雄大は腐った人間ではない。しかし、先程まで己に組み敷かれ鳴き声を上げていたか弱い存在がハッキリと拒む様は面白くもない。ならどうするか。この手の女は懐柔すれば簡単に靡くことを知っている。
 
「じゃあ、委員長はどうしたいん?」
「とりあえず、シャワー浴びてくる」
「じゃあ「1人がいいの」
 
 立ち上がり冷たく言い放つ彼女の背を見つめたまま門倉は動けなかった。
 
 
 ***
 
 
「次、どうぞ」
「……おう」
 
 シャワーから戻った彼女はラブホテルの安っぽいシャンプーの香りを漂わせたままソファーに座り込んだ。ペラペラのガウンに包まれた体を抱えるようにして門倉を見つめているその姿を一瞥して、門倉もシャワールームに向かう。取られたままの眼帯は彼女が拾ったのか洗面台の横にタオルに包まれて置かれていた。
 熱い湯を被り、長い黒髪がしとどに濡れていく。あんなに飲んだというのにアルコールはすっかり抜けきっていた。飲み直して、またぐちゃぐちゃに酔って同じようにぐちゃぐちゃになった彼女を抱き直したい気分になって、乱暴に髪をかき乱す。どうして彼女に執着するのか門倉自身もわからない。あの駐車場で出会うまで彼女の事は忘れていた。それなのに出会ってから今までの時間を取り戻すような焦燥に駆られたのは確かで、言い表せない感情が頭に渦を巻く。
 恋、恋なのだ。遠い過去に置き去りにした青春の中、理解することを拒み続けてきた感情が今更心を蝕んでいく。
 
「……くだらんのう」
 
 その呟きは水音にかき消されて消えた。適当に体中を洗い流してシャワールームを出る。タオルで拭うのもそこそこにガウンを羽織って戻った。彼女は相変わらずソファーの上で体を丸めている。
 
「委員長」
「……なに」
「ワシはのう、好きだったんよ」
 
 ぽたぽたと雫が落ちた。思わず見上げた先の門倉の表情は酷く悲愴な面持ちで彼女は驚きに少しだけ目を見開く。自分が知りうる限りもっとも強く気高い男がこんな表情を見せることを彼女は知らない。己の知る門倉雄大は圧倒的な暴と統率力を持つ”完璧な男”だと信じていた。そんな完璧の傍らに立てる程、出来た人間ではない。だからこそ3年間、いやもっと長い時間伝えられなかった思いを抱きながら今まで生きていたのだ。勿論好きな人だって出来て、将来を考えた相手もいた。それでも心の奥深くに引っかかったままの存在が、目の前で弱さを曝け出している。
 
「ずっと好きだったんよ」
 
 跪いた門倉の瞳が揺れている。ずれたピントが合うと、彼女はまた今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 
「何でそんな顔するん」
「門倉くんのせいでしょ」
「委員長はそればっかりじゃ」
 
 頬に手をやると、彼女の瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちた。年甲斐もなく流れるそれを止める術を2人とも知らない。ただ静かに抱き寄せた体は暖かく、重なった鼓動は心地よいリズムを刻む。
 
「何でもっと早く言ってくれなかったの」
「それは委員長もやろ」
「そうだけどさぁ」
 
 頬を伝う涙は門倉の髪を伝って落ちた。耳元で子供のように泣きじゃくる嗚咽を聞きながら、あやすように繰り返し頭を撫でる。
 
「私、門倉くんの”もの”にはならないよ」
「何だったらええの?」
「ちゃんと彼女にしてくれるなら嬉しい」
「ええよ。なって」
「はい、お願いします」
 
 涙で濡れた頬に口付ける。くすぐったそうに笑う彼女はあの頃と変わらない表情を見せた。
 
「じゃあ挨拶行かんとなぁ」
「えっ、どうして?」
「見合いバックレた理由がいるやろ」
「あぁ、確かに」
「なまえのご両親はワシを見たらどう思うんやろうなぁ」
「物凄くびっくりすると思うよ。……喜ぶかも知れないけど」
「何でじゃ」
 
 ソファーに2人並んで座って門倉が問えば、彼女は隣に置いてあったタオルでその黒髪を拭いながら答えた。
 
「うち、商店街にお店あったじゃない? ヤクザ連中が来た時に門倉くんたちがいたから凄く助けられたんだよ。高校生に救われるなんてって泣いてたけど」
「あれは奴らが人のシマで好き放題してたから沈めただけや」
「それでも救われたんだよ、うちの両親も……私も」
「なまえも?」
「門倉くんはずっと私のヒーローだったからさ。不良にヒーローってのも変な話だけど」
 
 照れくさそうにしながら「高校離れちゃったし、もう関わることもないと思ってた」と付け足すように呟く。
 門倉は少し黙って、言葉を選ぶようにしながら口を開いた。
 
「別に特定の誰かを助けようとしたわけじゃない」
「うん、知ってる」
「ワシはとにかく強くなる必要があった。今の仕事のことじゃ。……別にヒーローなんてタマじゃ無いんよ。それからなまえに対しても同じや」
「同じ?」
「愛だ恋だなんてのはくだらんと思うとった。女なんか自分のために利用するもんやとも思うとった」
「うん」
「ワシは誰かを特別扱いしたことは無い。幸せにするなんて言うつもりも無い。ワシはいつ死んでもおかしくないし、事実として死にかけとる」
「……うん」
「普通の付き合いなんて出来ない、普通の彼女にはなれん。それでもええか」
 
 真っ直ぐに見つめる瞳はもう揺らぐことはない。先程の告白なんて帳消しになりそうな強い語気に彼女は息を呑んだ。
 きっと、自分の知らないことは沢山ある。知ればその業の深さに、恐ろしさに、己の身は焼かれることになるのだろう。平穏な世界で2人幸せに、なんて淡い幻想でしかないのかもしれない。それでも彼女の答えは決まっていた。
 
「私、後悔しないよ」
「……決まりや」
 
 ワシの隣でまたそうやって泣いて笑ってくれ。門倉の囁きに彼女は小さく頷いた。
 自分がまた迷宮に迷い込んでしまわぬように。