楽しくない異世界トリップ

 

 キャベツに似た野菜を素早く千切りにしていく。切り終わればボウルに入れて、また同じ作業を繰り返す。それが終われば、今度は豚肉っぽい肉を調理用ハンマーで叩いて、脂の筋を丁寧に切っていく。

「ハジメ!それ終わったらこっちの卵割っといてちょうだいな!」

 慌ただしげに通り過ぎた女性にそう声をかけられ、俺は少し大きめの声で返事を返した。そう、ここは俺が働きたいと思っていた食堂で、声をかけてきたのは店の女将であるソフィさんだ。

『見たことある顔だね…アンタ、どっかで会ったことあるかい?』

 飛び込みで雇ってほしいと、身分証を持って店に行くとソフィさんはそう聞いてきた。俺は正直に無料で料理を提供してもらったのだと答えれば、柔らかそうな頬を染めながら、ああ!あの時の!と思い出してくれた。覚えてくれていたことに驚きながらも、もう一度働かせてほしいとお願いすると、ソフィさんは快諾してくれた。
 働き始めて数ヶ月しか経っていないが、俺の故郷である日本料理もメニューに取り入れてくれて、いろいろな仕事を任せてくれるようになった。
 ──俺はこの世界で新しい人生をまた歩み始めたんだ。


 *

「3番テーブル、トンカツお代わり2人前だよー!」
「はーい!」

 元気なソフィさんの言葉に厨房の人達が返事をした。くっそ暑い中でまた揚げ物をしないといけないのは地獄だ。トンカツは俺が提案したメニューだから、殆ど俺が調理することになっているし、拷問行為に等しい。
 服の袖で汗を拭いながら、パン粉のついた肉を油に入れていく。パチパチ跳ねる油に気をつけながら、さっきからトンカツばかり注文してくる客のことを考える。3番テーブルの客はもう既に4人前くらいは食べているんじゃないだろうか。
 どんな巨漢が食べているのか気になったがホールを見る時間も余裕もないため、黙々と仕事をこなしていく。

 暫くして、漸くトンカツお代わり地獄から抜け出したかと思いきや、苦笑を浮かべたソフィさんが俺の元へやってきた。

「ハジメ、またアンタの恋人候補達がやってきてるよ」
「……はい?」
「男前達が揉めてるの見てらんないからさ、仲裁しに行ってくれないかい?」

 困ったようにそう言ってるが、ソフィさんの声は心無しか弾んでいるように聞こえる。俺は嫌々厨房を出て、ホールに向かった。
 3番テーブルにいる男はまさか…そう思っていた俺の予想は的中した。


「いつまでここの席に居座ってんだよ、この陰険騎士が。食ったならさっさと退け!」
「…喧しいぞ、貴様。私はこの後ミルクアイスを食べる予定だからな、まだここを退くつもりはない」
「なぁに呑気にデザート食おうとしてンだよ、王宮騎士団ってのはそんなに暇なのか?あWぁ?」
「何だと…?貴様、この私を愚弄するつもりか!」

 醜い争いを繰り広げる男達の声を聞いて俺は頭が痛くなってきた。ガタイのいいその男達に近づいて二つの後頭部を殴ってやった。パッと振り向いた男2人は俺を見た瞬間表情を明るくさせた。

「「ハジメ!」」

 3番テーブルに座っていたのは騎士のガレスさんで、それにつっかかっているのは宝石商のカイルだった。今月に入って何度この二人の喧嘩を見てきたかわからない。今日はまだマシだが、殴り合いに発展しそうなときもあったのだ。

「……喧嘩するならこの店を出て、離れた所でやってくれないか」

 迷惑だと伝えると、ケッとカイルは忌々しそうに隣を見た。

「この野郎が席譲らねェんだよ。俺様は腹が減って死にそうだっつうのに…」
「フン…なら向こうのテーブルに座ればいいだろう?私はハジメが作ったミルクアイスを食べて仕事に戻るつもりだからな、この席はまだ空かない」

 ガレスさんが指差したのは入り口付近の席だった。確かに空いているのだから、そこに座ればいいのに。俺も説得しようとしたがカイルは頑固として譲らない。
 この状態のカイルは言っても聞かない。…仕方がない、騎士を説得するかと俺は優雅に脚を組んでいる騎士に目を向けた。

「ガレスさん、貴方あんだけトンカツ食べたのにまだ何か食べるつもりですか?お腹壊して仕事に支障が出ますよ」
「デザートは別腹だ。ハジメ、この男は放っておいていいから早くアイスを持ってきてくれ」
「わかったぜ、ハジメのアイスが食いてぇだけならテメェがあそこで食え。俺の特等席はここなんだよ、わかったらさっさと退け」

 ああ、どうしてコイツらはこんなにも人の言うことが聞けないのだろうか。もうこの際揉めなければ何でもいいのだ。大人しく食べたいものを食べて帰ってほしいのに、この二人は全く理解していない。営業妨害紛いのことはやめてくれ!俺がそう叫びそうになった瞬間、背後からゲッと嫌そうな悲鳴が聞こえてきた。
 その声を聞いて、俺はまた溜息を吐きそうになった。
 ──また厄介なやつが来た。

「最悪…この時間なら君たちと鉢合わせしないと思ってたのに、何でまだいるわけ?」

 男はうんざりしたようにそう言って、被っていた真っ黒なフードを脱いだ。ふぁさりと顕になった長い金髪。魔導師のレイトンがそこに立っていた。

「……何でテメェまでここに来てんだよ」
「何でって、ここのご飯が食べたいから来てるんだけど?」
「マグウェル殿、貴方は魔導師育成学校の講義に行っていた筈では?ここからはかなり距離がありますが」

 レイトンはガレスさんの言葉を聞いてニコリと笑みを浮かべる。ちゃんと笑顔なのに辺りの気温が何度か下がったような気がした。

「距離なんて僕には関係ないよ。好きなとこにどこへでも転移できるから……魔力の少ない君と違ってね」

 刺々しい言葉を返すレイトンにコイツもか…と俺は頭を抱えた。厄日なのか?どうして今日に限ってこんな面倒な3人が集まってくるんだ。

「さ、僕もここに座りたいから、さっさと退いてくれるかな」
「何でここの席なんだ?レイトンは向こうの席に座れ」

 カイルが嫌がっていた入り口付近の席を指差せば、魔導師はきょとんとした顔をした後、くすりと笑みを溢した。なぜ自分が笑われたのかわからなくて首を傾げる。

「僕やガレス君、このチンピラが、どうしてこの席に座りたいか分からないの?」
「わかるわけないだろ。ここに座りたがっているのはお前らだけだし…」

 厨房と隣り合わせに作られたカウンター席のここは、どちらかというとあまり人気のない席だ。そんな席を取り合う意味がわからない。

「ここはこの店で唯一厨房全体が見渡せる席なんだ…この意味わかる?」
「ま、まさか……」
「僕たちはハジメを見たいからこの席に座りたいんだよ」

 ──呆れた。何なんだそのしょうもない理由は!
 俺はブチギレそうになるのを何とか抑えて、三人に向き直る。

「ここの席に座りたいかもしれないが、今座ってるのはガレスさんだ。ガレスさんがここを出るまで待てないなら、レイトンもカイルも空いてる席に座ってもらう」
「…嫌だと言ったら?」

 挑発的な態度を取るレイトンに、俺は真顔で口を開き続けた。

「それが嫌なら今後この店には入らせない。出禁にしてやる」

 きっぱりそう言い切ると、二人は顔を見合わせて渋々頷いた。出禁、俺は今後このワードを多用していこうと決めた。






 いろいろと大変だったお昼時が過ぎて、客も少なくなってきたところで俺は休憩をもらうことができた。店の裏にある庭のベンチに座り、一人で賄いを食べる。
 賄いは余った食材であれば自分で好きなように調理していいらしく、俺毎回ウキウキしながら作っている。ちなみに今日は海老に似た魚介を使った海鮮チャーハンだ。薄味だがしっかり海鮮の旨みが感じられるチャーハン。すぐ食べ切ってしまった。
 そろそろ店に戻ろうかと、ベンチから立ち上がり歩き出そうとした瞬間、背後から口を押さえられ身体を拘束された。逞しく太い腕と、声が出せないように口元をしっかり覆われてしまい、一瞬パニックになってしまった。
 ──誰だ?不審者か?
 背中に冷たい汗が流れた時、背後から低い笑い声が聞こえてきた。その声を聞いて俺の身体から力が抜けた。

「……何するんだユアン!」
「くく…っ、そんな怒るなよ。無防備なお前を見ているとつい、な」
「ついじゃない、本当に怖かったんだぞ!」

 身体を離し、振り返れば黒ずくめの姿のユアンが立っていた。出会ったときのことを思い出してしまうほど恐怖を感じたのだ。人のトラウマで遊ぶコイツは本当に趣味が悪い。

「おい、何を楽しそうに話しているんだ。離れろ」

 不機嫌そうに後からやってきたのは、平民の服装をした王様…ユージンだった。何でこの二人がここに?食堂で働き始めてすぐの時にやって来てから、それ以降店に来ることはなかったのに。

「久しぶりに執務が早く終わってな、折角だからハジメに会いにきたんだ」
「そう、か…でもどうして俺が店内にいないとわかったんだ?店で待っていればいいだろ」
「そう長居することはできないからな、休憩から戻るお前を待ってはいられない。そう思って店主に聞いたんだ」

 わざわざ俺に会いに来てくれたのに何も出せないのが申し訳なく感じた俺は、二人に簡単な料理を作ってやることにした。幸い店内に客はおらず、ソフィさんは好きに厨房を使ってくれて構わないと言ってくれた。
 たぶん、ソフィさんは平民の服を着て変装しているユージンがこの国の国王だと気付いているのだろう。
 じゃなければこんな待遇を良くしない。

 二人をカウンターに座らせて、俺はミートパスタを作ることにした。午前中に作って中途半端に余ったミートソースを再利用したがきっと二人は許してくれる筈だ。
 俺自らホールに出て提供すると、思いの外喜んでくれた。ユアンには量が少ないと言われたが、作れる量はそれが限界なんだからそこも許してほしい。

「おいハジメ、そんな細い腰にエプロンを巻いて強調して…俺を誘ってるのか?」
「何を言っている?ハジメはお前を誘っていない。こいつは俺を誘惑しているんだ」
「陛下は相変わらず自己肯定感がお高いですね。でも、さっきのハジメを見たでしょう?ハジメは──」

 相変わらず、俺がどちらを好んでいるのかで言い合いを始めた男達を見て、コイツらもか…と俺はまた溜息を吐いた。ユアンとユージンのやり取りに関しては懐かしさを感じてしまうのは仕方がないことだろう。
 そろそろ晩の仕込みをしておくか、俺が二人に離れることを伝えようとした瞬間、ドアベルの音が店に響いた。

「いらっしゃいま、せ……」

 振り返って、入ってきたお客さんを見た俺は目を見開いた。立っていたのは黒い髪を無造作に下ろした小麦肌の男。

「久しぶりだな、ハジメ」
「なん、で…ここに…?」
「食堂で働いてると聞いて気になって来てみたんだ」

 そう言って小さく微笑んだ男…シャムスに俺は驚きを隠せない。シャムスとはたまに連絡を取っていて、自分が男娼を辞めて飲食店で働き始めたことをこの間伝えたばかりだった。
 突然現れたアネストンの第3王太子に驚いていたのは俺だけではなかった。


「シャムス殿下…?なぜ貴殿がここに……」

 ユージンがボソリとそう呟き、シャムスもユージンを見て目を瞠目させた。変な空気が流れ始めて俺はじんわり額に汗を滲ませた。咄嗟にユアンに助けを求めようとしたが、いつものように目から下を布で隠して沈黙を貫いていた。シャムスに自分のことはバレたくないみたいだ。だが、その目は愉快そうに細められていた。

「これは…ユージン国王陛下、ご無沙汰しております。実は友人に会いに来たのです」
「友人……それはハジメのことですか」
「ええ。働いているところを一目見たかったのもありますし、久しぶりにハジメの手料理が食べたくて」
「………なるほど」

 鋭い視線が俺に突き刺さる。ユージンは勘がいいからきっと俺とシャムスがどういう関係か気付いているのだろう。ああ…お願いだから、面倒事を起こすのはやめてくれ。

「実はハジメは私にとって大切な人なのです。ぜひ、シャムス殿下とのご関係を詳しく教えて頂きたい」
「大切な人…ですか、それは一体どういう意味ですか?俺も陛下とハジメの関係が気になります」

 シャムスも俺が何故ユージンと関わりがあるのか気になっているみたいだった。バカ王様が大切な人なんて含みのある言い方をしたから尚更だろう。俺は何とか笑顔を作り、シャムスに声をかける。

「ま、まあまあ…そんな話はどうでもいいだろ。さ、席に案内するから……あぁ、ここに座って…」
「……あぁ、ありがとう」
「メニューを今持ってくるから、ここで待っていてくれ」

 シャムスは本当に空気が読める男だ。昼間のバカ3人組のように無駄な争いを起こそうとしない。ユージンもさすがに他国の王子に喧嘩を売れないのか、真顔でシャムスを見つめているだけだった。
 裏に戻ろうとした瞬間、腕を思いっきり引かれた。誰かと思えば、ユージンが下から俺を見上げている。仄暗い光を宿した瞳がじっとり俺を見つめた。

「今日のところは勘弁してやるが、今度詳しく話を聞かせてもらうぞ」

 低い声でそう囁かれ、背筋が凍った。パッと腕を離された後、俺はフラフラと絡れそうになる足を何とか動かして裏へと戻った。奥で俺たちのやりとりを見ていたのか、ソフィさんが哀れそうな顔で俺に声をかけて来た。

「アタシはこんな見た目だろう?人生で一度は色男達に好かれたいと思っていたけどねぇ…アンタを見てると、そんな経験なくてよかったと思うよ」
「はは……俺もなくていいと思います」
「どんな男と関わろうが構わないけど、この店で流血沙汰だけは辞めておくれ」

 わかってます、俺は顔を引き攣らせながらそう返事を返した。

 ──巻き込まれ異世界トリップをして、早三年。漸く楽しく充実した生活を送れると思っていたのに…どうやら、俺の楽しくない異世界トリップはまだまだ終わらないらしい。






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