久しぶりの我が家

 

 走り去る馬車を見送り、俺は重い溜め息を吐いた。

「はぁ…疲れた」

 馬車の中でレイトンに言われた言葉を思い出し、呻き声を上げながら頭を掻きむしる。こっちは吃驚して、これからどうしようと悩んでいたのに…あの魔導師は、

『じゃあ、また会いに行くからね』

 なんて言いながら、キラキラした甘い笑顔を見せて手を振ってきたのだ。この世界の男は、告白した後に気まずさなんて感情は湧かないのかもしれない。俺だったら連絡も取れないし、会いに行くことなんて勿論できない。ポジティブな肉食系が多いんだろうか。

 とりあえず家に帰ろう、俺はアパート向かい階段を登る。少しだけ小汚い階段が懐かしい。本当に帰ってきたんだな、そう思った。
 階段を登り、三つ扉を過ぎれば俺の部屋がある。扉の横に置いてある植木鉢を見れば、植物は全く枯れていない。下にある鍵を取ろうとして、ふと思い出した。
 そう言えば、カイルが俺の家に居るんだったか。そのことを思い出したが、鍵はちゃんと植木鉢の下に隠されていた。
 不思議に思い鍵を開けると、部屋の中は真っ暗で誰も居ない。

「……懐かしい匂いがする」

 部屋に入るとカイルがいつもつけていた香水の匂いと、煙草の匂いが微かに香った。どうやらカイルは仕事に行っているのか、部屋にはいないらしい。
 狭い1LDKの部屋に入り、灯りをつけた。リビングにあるソファーに腰掛けるとドッと力が抜ける。黄ばんだ壁紙も、置いてある家具も全てがそのままで少しだけホッとした。ふと、目の前のテーブルに目を向けると、吸い殻がこんもり入った灰皿が置いてあった。
 ……吸いすぎだろう。イラっとしながら灰皿を手に取り、台所にあるゴミ箱に捨てる。

「…何だ、このゴミ。ここも、ここも…何でこんな汚れてるんだ?」

 どうやら、部屋に住んでいた男は全く掃除をしていないらしい。苛立ちを感じながらゴミを拾っていく。シンクはまだ綺麗だが、煙草の灰が落ちていたり、変な汚れが所々にあってうんざりしてしまう。
 ──とりあえず、片付けるか。
 俺は久しぶりに帰ってきた家の掃除をすることにした。




 ガチャリと玄関の扉が開く音がして、背後を振り返る。仕立てのいいスーツを着た男が目をまん丸に見開いて俺を見ていた。

「おかえり。飯食べるか?」

 ドサッと重いものが落ちる音がして、男がこっちに歩いてくる。物凄く怖い顔で近寄ってくる姿にビビりながら、俺は火を止めた。
 強い力で肩を掴まれ、顔を顰めた。俺の肩を握り潰すつもりなのかコイツは。

「………本物、か?」
「偽者だったら怖いだろ」
「俺が…お前に会いたすぎて、見てる…幻覚じゃない、よな……?」

 だから本物だって言ってるだろう。俺がそう言うと、男…カイルは泣きそうに顔を歪めて抱きついて来た。啜り泣くような声が聞こえて来て、思わず笑ってしまう。……変わらないな、カイルは。

「ありがとう。俺がいない間、ここの家賃払ってくれてたんだろ?」
「…っ、ハジメ…く、…っハジメ!」
「はいはい…デカい男がめそめそ泣くなよ」

 うるせェ!と号泣してる癖に、ちゃっかり言い返してくるカイル。可愛く思えてしまい、呆れながらも背中に手を伸ばし優しく摩った。

「いきなり…っ、帰ってくんじゃねェよ。帰ってくるなら連絡しろや…!」
「連絡できなかったんだから仕方ないだろ」
「くそ…、心配しただろうが…っ、勝手に居なくなんじゃねェよ…っ」

 泣きながら文句を言ってくるカイルを宥めることしかできない。変わらない男の様子に俺も安心してしまうのだから不思議だ。言いたいことを言い切ったのか、暫くしてカイルは俺の肩から顔を上げた。
 垂れ目がちな目元が真っ赤に染まって、男前の顔が台無しになっていた。それにまた笑っていると、チッと舌打ちが降ってくる。俺は笑いながら男の左頬を抓ってやった。

「落ち着いたか?泣き虫カイルくん」
「……………」
「ん、どうした?」

 カイルは顰めっ面で鼻を啜ったあと、口を開いた。

「──腹減った」
「っ、ははは!落ち着いてから言う台詞がそれか」

 思わず吹き出して、俺は声を上げて笑った。カイルはまた口をへの字に曲げたあと、ギュッと抱き付いて、小声でうるせェとだけ返してきた。


 *


「──カイル、邪魔だから離れてくれないか?」

 スポンジで皿を洗う手を止めて背後を見る。身体に回された腕から逃れようと身を捩れば、のしかかる様に体重をかけられ、身体に回された腕の拘束がより強くなった。俺が作った夕飯を食べた後、片付けをしていたらこの男はずっとくっついてきたのだ。止めろと言っているのに全く聞いてくれない。
 嫌だっつってんだろ、そう耳元で聞こえて来た声に俺は小さく息を吐いた。

「寂しかったのはわかるけど、俺は洗い物したいんだよ。ほら、手放せって…」
「こうしてたって皿洗いできてんだろ。どうせ城にいる間テメェは色んな男と乳繰り合ってたんだ、今は俺様に独占させろや」
「はぁ?そんなことなく、はない…けど」
「あWぁ!?誰とヤッたんだよ、あの魔導師か?いけすかねぇ騎士か?」

 そう詰問すると、カイルは苛ついたように俺の耳に歯を立ててきた。俺は男娼なんだからそんなこと気にすんなよ…そう言いかけて口を閉じた。
 そうだ、俺は男娼をやめたんだった。

「なぁ…カイルに報告しなきゃいけないことがある」
「なんだよ…恋人が出来たとか言うんじゃねぇだろうな」

 違うに決まってるだろ。俺は呆れながら水道の水を止めた。リビングにあるチェストの引き出しをあけて、それを取るとカイルの目の前に翳した。
 俺が持っているものを見て、カイルは目を瞠目させた。

「お前…それ……」
「身分証。王様に作ってもらったんだ」

 カイルは王様の名前を聞いて眉間に皺を寄せた。どうやらカードの下に小さく書かれてある、身元保証人の名前が王様であることに気づいたらしい。
 身元保証人が王様なんて人は、恐らくこの国のどこを探しても俺一人だけだろう。

「どんだけ王様に気に入られたんだよ、テメェは……」
「ま、まあ…いろいろあったんだ」

 気に入られたどころか、この国の王様に求婚されました、なんて口が裂けても言えない。


「俺は男娼を辞めることにした」
「……………」
「身分証もあるし、ちゃんとした仕事に就こうかと思って。お前にも昔話したことあっただろ?」

 カイルの家から出て再会した頃に、身分証がないから普通の仕事ができないと話したことがあった。カイルは舌打ちをして髪をかき上げた。少しくらい喜んでくれてもいいのに、コイツはどうして不貞腐れているんだ。

「ハジメが他の男に抱かれないのはいいけどよ…男娼辞めるってことは、俺が金払っても抱かせてくれねェってことだろ」
「…当たり前だ」

 不服そうな男に俺は顔を引き攣らせた。

「俺の恋人になりたいから手は出さないって言ったのはお前だろう!自分の言ったことも忘れたのか?」
「あぁ、言ったさ!でもな、いざとなったら金払って抱かせてもらおうと思ってたんだよ!」

 悪りィかよ!そう怒鳴って開き直るカイルに呆れて言葉が出ない。少しはまともになったのかと思っていたが、やっぱりカイルはカイルだ。

「保証人があのクズ国王なのはムカつくけどよ、でも…まあ、それが手に入ってよかったな」
「…………」
「ハジメを抱きてェ気持ちはあるが…お前がやりたいことをやっとやれるっつーなら、俺はそれを応援してる」

 カイルは真剣な顔をしてそう言った。それを聞いて俺はむず痒いような、恥ずかしいような気持ちになってしまったが、カイルが言ってくれた言葉は素直に嬉しい。自然と溢れてくる笑顔を抑えずに俺はありがとうと礼を言った。
 すると、微かに頬を赤らめたカイルが俺の腰を抱いて引き寄せる。そうっと近寄ってきた顔を手で押さえた。

「………キスくらいさせろや」
「何で、手を出さない約束は?」
「俺はテメェが帰ってくるまで、何ヶ月も我慢して来たんだぞ?少しくらいご褒美くれてもいいだろ…」

 ムスッと口を尖らせた男を見て思わず笑ってしまった。カイルの頬をぷにぷに引っ張りながら俺は口を開く。

「ほんっとに我儘な駄目犬だな」
「あぁ?誰が駄目い、ぬ……っ」

 数秒だけの軽い口付けをして唇を離した。これで満足か?俺がそう聞くと、カイルは口を震えさせて顔をより赤く染めた。
 もっとキスをしようと襲いかかってくる男を避けながら、俺はくすくす笑い声を漏らした。やっぱりカイルは駄目犬だ。




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