まだ支えねば

ボールが落ちてしまった現実を受け止め切れず
にいて、整列の合図で立ち上がろうとすると、
一瞬だけ脚がもつれてしまい、美月はしっかり
しろと自分を叱責し、一歩その足を踏み込んだ。


「美月。」


『潔子、おめでとう。明日も頑張ってね。』


親友にははっきりと祝福と応援の言葉をかけ、
清水も真っ直ぐ美月を見つめ、彼女の言葉に
しっかりと頷いた。


整列をして挨拶と握手を済ませると、自分の
仲間達は烏野の監督達の元へ行き、逆に烏野の
選手がこちらに来て、監督達が彼らに挨拶を
交わす。


整列の前に及川となにか言葉を交わしたように
見えた影山は、その時はしっかりと目を見て、
及川に返事をしていたというのに、この場で
引退が決まった美月を目の前にすると、視線
を合わせなかった。


『飛雄、困った時は相談してね。』


影山らしくない態度に逆に冷静だった美月は、
いつもの様に柔らかい笑顔を向けて、彼にそう
声を掛けると、彼はそこでやっと視線を合わし、
頷いた。

可愛い後輩であることに変わりはないことは、
しっかりと影山には伝わり、彼女も目を細める。


「…王様も、遠慮とかするんだ。」


そして、それを不思議に思う人間がもう1人いた
らしく、月島がぽつりと零した言葉に美月は吹き
出し、自分が先輩らしく堂々と悔しさを彼に
見せることなく彼と別れることが出来て、まず
は安心をした。


そして、仲間達が烏野側からこちらに戻り、
入畑の元に集合をして、改めて彼ら一人一人の
顔を見ると、美月は再び歯を食いしばる。


「…何を言おうと、結果は結果のまま。悔しさ
が薄まる事も無い。後悔の残るプレーも
あるだろう。それでも、まずは言わせてくれ。」


よく戦った。


彼らを讃えるその一言で、張り詰めた空気は
プツリと切れ、それぞれが我慢した感情を出し、
美月もその涙を見たら、目頭がじんわりと熱く
なるのを堪えていた。


全力で戦った、彼らの方がもっともっと悔しい
はずなのに、自分が泣いてどうする。
今の自分はまだ彼らを支えねばならない。
マネージャーの仕事は、まだ残っている。


背筋を伸ばせ、下を向くな、絶対に泣くな。


三つの言葉を何度も何度も自分に言い聞かせ、
涙ぐむ溝口の横で、彼女も顔を歪ませながら
上げた。


「挨拶に行こう。」


及川の呼び掛けに頷いて、それぞれが観客席に
向きを変え、その先には、唇を噛み締めて悔し
涙を流すエースの背中。
誰よりも責任感の強いその男の立ち止まる背中
は、今も自分を責めていた。


その背に触れたのは、長年練習を共にした及川
で、励ましの意を込めながら叩いて先に進み、
花巻、 松川もそれに続けて黙ったまま彼の背を
叩くと、最後に彼のその悔しさを受け止めたの
は美月で、黙って彼の背中を両手で押し、岩泉
は涙を拭って彼は前に進んだ。


「ありがとうございました!」


客席を見上げ、及川の掛け声に続いて声を出し、
頭を下げて拍手を受けた後、その横断幕を最後
にしっかりと目に焼き付ける。


そしてすぐに美月は荷物の片付けに向かって、
一通り回収をすると、及川達と一緒に体育館を
後にした。


「お前ら、最高だった…!!強かった!!
もう優勝でいい!!優勝だった!!!」


「湯田、何言ってる!?」


「おちつけっ。」


興奮気味で涙を流しながら大声でそう叫ぶ、
チームメイトの姿を目にしたら、彼らはすぐに
冷静さを取り戻した。


美月も鼻水をだらだらと流すその顔を見たら、
きょとんとして、とりあえずその鼻水を何とか
してあげようと、鞄からティッシュを取り出し
て、彼の鼻水を優しく拭おうとしたら、彼の涙
は増す一方。


「牧野だって辛いのに、こっちの心配をして…。
お前以上のマネージャーなんていねぇよ!!」


『湯田、ちょっと待って!!?その言葉は
ありがたいんだけど、鼻水付いちゃう!』


美月の優しさに感激をした湯田は、横で制止
する志戸と沢内の腕を解いて、美月に抱きつき、
彼女に頬釣りをしながら労いの言葉をかけ始め、
どうしたらいいか分からない彼女は、周りに
助けを求める。


「湯田、お前な!」


戸惑う美月を解放しようとしたら、今度は岩泉
が標的となったのか、湯田は岩泉の頭をわしゃ
わしゃと撫で回しながら、今度は彼に激励の
言葉を掛けていた。


「くそぅ…、湯田っちを見ると冷静になって
しまう…。」


「わかる。」


されるがままの岩泉を見ながら、及川と花巻は
そう言葉をこぼし、松川は「あーあ。」と言い
ながら、美月のジャージに少しだけついてしま
った鼻水を綺麗に拭い取る。


美月は、この重たい空気を変えてくれた彼らしい
行動に感謝して、行こうかと優しく微笑んで
呼び掛けるのだった。


『これ、何だっけ。』


バスの到着に合わせて、慌ただしく荷物を入口
に移動させていると、荷物の整理中にジャージ
のポケットに栄養ゼリーを一つ入れっぱなしに
していて、動いている時に邪魔だということに
気が付く。


『何でこんな物が…て、これは自分用だった。』


「美月、どうしたんだ。」


『あ…、若利君!』


飲む予定も無かったのにポケットに入れている
自分の行動が理解不能で呆然としていると、
思わぬ人物の声が聞こえてきたので、美月は
慌てて顔を上げた。


眉間に皺を寄せて、ポケットに入っていたそれ
を睨めっこしていた彼女を不思議に思ったのか、
牛島は美月を見ると首を傾げており、変な姿を
見られてしまった美月は、恥ずかしさから声が
少し裏返ってしまう。


『…そうだ、これ牛島君にあげる。いざという
時の御守り代わりになればいいな。』


「御守り?」


自分が飲まずに持っているよりも役に立つ使い方だと思ったのか、先程まで手に持っていたそれ
を牛島の手に持たせ、彼の大きな手を 美月の
両手が包み、彼女の温もりに牛島も目を細める。


『品質に問題は無いので、安心してください。』


「ああ、最高の御守りだな。」


大事な場面で使わせてもらうと言って、牛島は
嬉しそうにポケットにしまうので、彼に押し
付けてしまったかと不安に思った美月は、彼の
反応に安心して、柔らかく微笑んだ。


『明日も会場で会いたかったんだけどね。』


こちらの結果を分かっているのか、美月の
言葉に、彼は頷くだけだった。


牛島に向けて困った顔で笑えば、俺も会いた
かったと返事が返ってきて、また悔しさが込み
上がりそうになり、美月は自然と唇の端をぐっ
と噛み締める。


何度も噛み締めて乾燥で切れてしまっていた
のか、口の端から赤いものが見えた牛島は、
彼女の顎に手を取り、痛々しくも見える口元を
ポケットに入れていたハンカチで、優しく拭い
始めたので、突然の行動に美月は目を丸くした。


「血が出ている。」


『待って牛島君、汚れちゃうから!』


「安心しろ、先程取り替えたばっかりだ。」


『いや、そういう意味じゃなくて。』


自分を心配して、身を屈めて顔色を伺う彼の目
が悲しそうに見えた。


体勢を戻した牛島にそのまま手を引かれたら、
彼女の背中には壁があり、彼の腕はその壁に
手を付けていて、涙を見られたくない彼女を
知ってからか、彼は美月の表情を隠そうとして
くれている。


「こうしていれば、また誰にも見られなくて
済むだろう?」


きっと、彼には情けない顔をしていたのだろう。
牛島にも見せまいと思っていたのに、上手く
コントロールが出来ない自分が嫌になりそう
だった。


これ以上の醜態を晒すまいと彼女は首を横に
降り、ここでは涙を流せないことを伝えれば、
牛島は美月の頭を自分の胸元に引き寄せる。


『ありがとね若利君、今日はもう大丈夫。』


その温もりに触れてしまったら、彼に甘えて
しまいそうになるので、傷つけないように、
そっと牛島の胸を手で押し返し、美月は彼から
ゆっくりと距離をとった。


穏便に別れようと、彼女が1歩後ろに下がれば、
その先に見える鋭く、辛そうな視線に美月は
立ち止まる。


及川は言葉を詰まらせる美月を咎めることなく、
ただ、牛島には自分のものだと主張するように
黙って引き寄せた。


「忠告だ及川、もう道を間違えるな。」


「…美月、荷物は後輩に任せたから、先に皆の
所に行ってて。」


そのまま無視をして牛島を通り過ぎようとすれ
ば、珍しく牛島から声を掛け、及川は美月には
優しい口調でそう言うと、躊躇う彼女の背中を
促す様に押し、牛島と向かい合った。




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