ずっと見て欲しい
帰りのバスの中で、及川も美月も牛島との事は、
互いに触れることは無かった。
頬杖を付いて、外の景色を眺める及川の隣に
座って、黙ったまま彼に手を握りしめられ、
彼女もそれを拒まず受け入れる。
今まで感じたことの無いくらい、長く感じて
いたその移動時間と、その後には辛さが押し
寄せるミーティング。
記憶が曖昧になりながら、はっきりと意識を
取り戻したのは、入畑に連れていかれた食堂
からだった。
『いただきます。』
最初は静かに食事を摂っていたが、半ばやけ
食いの及川達を見ると、また冷静さを取り戻し、
美月も隣に座る金田一の涙を拭ってあげていた。
「牧野さん、すいませんっ。最後まで、俺…、俺…っ!」
『いいの、金田一も可愛い後輩なんだから。
最後までいっぱいお世話させて欲しいな。
そのまま、向上心に繋げていこうね。』
美月が彼の鼻水もティッシュで拭ってあげよう
としたら、それは自分でさせますからと向かい
にいた国見に止められてしまい、今度は反対側
にいた矢巾を落ち着かせていた。
「美月さんがマネージャーで良かったです。」
『うんうん。矢巾も我儘いっぱい付き合って
くれて、ありがとね。』
「そんな、美月は我儘なんて1つも…!」
「美月、お前ちゃんと飯食えるか?」
『大丈夫です、大丈夫!バッチリ美味しく
頂いてます。』
最後の最後まで後輩達のお世話を忙しくして
いたら、溝口まで心配をする始末で、落ち込む
暇なんて無かった彼女は、合間でその悔しさを
噛み締めながら、使い切った栄養を補う。
『うん、凄く美味しい。』
そしてこうして、皆で食事を摂るのも最後なの
だと改めて思うと、悲しい顔を見せるのが勿体
ない気がして、彼女はしっかりと笑顔を作って
いた。
すると、段々と周りの空気はいつものように
戻り始め、この後に3年生達がラーメンに行こう
と言い出すのを見て、彼らが食べた量を見て
いた彼女は、嘘でしょ…と目を丸くさせた。
『英に提案があるんだけど、よかったら
ここから抜け出さない?』
「いいですね。それ、乗りました。」
解散後にすっかり行く気満々のチームメイト達
の横で、お腹の限界を感じていた美月は国見と
ひっそり耳打ちをして、2人は帰りますと手を 振りながら、その空間から上手く逃げ出し、
並んで、ラーメン屋とは別方向へと歩き出す。
『せっかくだから、ちょっとだけ寄り道
しちゃおっか。』
「お腹いっぱいだったんじゃないんですか?」
『ほらほら、別腹のモノがあるじゃない
ですか。』
とっておきの自分へのご褒美が閃いた美月は、
久しく体調管理の為に我慢して、食べていない
んだよねーと、国見に楽しそうに話していて、
それが何かピンと来た国見は、付き合いますと
優しく微笑み、2人はコンビニまで足を運ばせて
買い求めたのは、美月の大好物。
『英の好きそうなのがあったよ。』
「本当だ…って美月さん、それはさすがに。」
『いいから。しっかりものの英にも先輩らしい
ことさせてくださいな。』
国見の反応を見て、彼が手に取る前に彼女が
そのアイスを手に取り、レジまで持っていこう
としたので、国見は彼女の行動に遠慮を見せる。
しかしその言葉に付け加えて、私がしたいから
と言われてしまえば、彼も何も言い返せずで、
彼女の厚意を素直に甘えて、店の前にあった
ベンチに腰掛け、2人は早速その買ったアイス
を口にした。
『ん、美味しい。』
「美月さん、こっちも食べますか?」
『ありがとう。じゃあ、私もあげるね。』
お疲れ様でしたとアイスで乾杯をして笑い、
お互い味見をしながら自分へのご褒美を堪能し、
傍から見たら、微笑ましいやり取りをして、
のんびりとした時間を彼と過ごした。
国見はそんな時間もあっという間な気がして、
これからだって彼女には会えるはずなのに、
そこに寂しさを感じてしまう国見は、そっと
手に持つ空になってしまったカップを下ろす。
「やっぱり、美月さんがいない練習がまだ、
想像出来ないです。」
『うん、私も。寂しくなっちゃうね。』
「俺、美月さんの事が大好きです。」
『私も、英の事大好きだよ。』
何度も何度も国見が彼女に伝えてきたその言葉
は、やはり自分が思うようには届いていなくて、
悲しそうに笑う美月の顔を見たら、彼の胸の奥
はチクリと痛くなる。
自分の力じゃ全然及ばなかった。
彼女のそんな顔を見たかったんじゃない。
ちゃんと自分自身を磨かなければ、ダメなんだ。
国見が悔しさを誤魔化そうとした時には、体の
方が先に動いていて、彼の唇は美月の頬に触れ
ていた。
不意打ちの彼の行動に美月は戸惑い、彼の触れ
た部分を手で押さえると、みるみるうちに
赤くなっていく。
そして、そこでやっと意識をしてくれたのかと、
国見はクスリと笑い、優しく目を細めた。
「簡単に大好きなんていったらダメですよ?
勘違いしちゃうじゃないですか。」
『…英?』
「及川さんや岩泉さん達には適いそうもないし、
自分はまだまだな。」
美月には聞き取れない声の大きさでそう呟いて、
立ち上がって意地悪に笑う彼は、まだ彼女に
その気持ちは伝えずにいようとするのか、冗談 ですよと舌を出し、彼女には素直だった彼が、 初めて天邪鬼な態度を見せ、美月の目は点に
なった。
『あ、酷い。先輩をからかったの?』
「美月さん、面白いくらい隙だらけなんです
もん。」
美月の手に持つ空のカップも預かると一緒に
捨てて、アイスご馳走様でしたと一礼をして、
その場から彼は去ろうとする。
『ありがとう、これからも期待してるからね。』
何でこの人は、そうやって凛として、欲しい
言葉を投げかけてくれるのだろう。
「美月さん、狡いですよ。」
意地悪をしても、やっぱり彼女は変わらない、
優しい先輩のままで、こんなにも愛しい。
込み上がる思いを国見はぐっと握り拳を作って
堪え、振り返ってそう零すと、そのまま彼は背を向けたまま、首を傾げる彼女とは別れた。
『…で、何でここに戻ってきちゃうかな。』
このまま真っ直ぐ帰る予定だったというのに、
何故か、国見と別れた後に落ち着かない彼女が
その次に向かった場所は、ついこの前まで練習
場所だった第3体育館の前で、そこにはきっと
誰もいないはずなのに戻ってきてしまったのは、
ここが自分を落ちつかせる場所となってしま
っているからのか。
じーっと入口の前でその建物と睨めっこをして
いると、あれ?と彼女には馴染みのありすぎる
声が聞こえてきて、後ろを振り返ると思わず、
笑いが出ていた。
『何で、皆ここに戻ってきてるの?』
「それは、こっちの台詞だし。
美月は真っ直ぐ帰ったんじゃないの?」
『そのつもりだったんだけど。徹達こそ、
ラーメン食べたらてっきり帰るものだと…。』
考えることは一緒だったのか、戻ってきた理由
はお互いに想像がついて、ニヤリと同じ顔で
笑って見せる。
『今日は、私も混ぜてくれる?』
「もちろん。」
両手を広げて自分を受け入れてくれた及川に
目を輝かせ、ネットを張って、ストレッチは
念入りにして、羽織っていたジャージを勢い
よく脱ぎ捨てる。
久しぶりのそのボールの弾む感覚に、彼女の体 は快感から少しだけ震えていた。