慣れるもの慣れないもの
「牧野、鷲匠先生が呼んでる。」
『分かりました。今行きます!』
作業の流れをバッチリと覚えて慣れたからか、
1月や3月の緊張感を全く感じないままに淡々と
準備をこなし、そこには寧ろ余裕も見える美月
は後輩に残りの作業の指示をして、呼び出され
た場所へと忙しく向かう。
今が自分の活躍を見て貰える絶好のチャンス。
そんな事を考える五色は、試合以外の何気ない
時間も役に立てる事があればと張り切り、荷物
を抱える美月の元へすぐに駆け寄って、彼女の
手伝いを積極的に行っていた。
「美月さん、持つの手伝います!」
『大丈夫!五色君は試合に備えてエネルギー
を残しておいてね。これくらい余裕だから。』
「でも…!」
『もしかして緊張してる?いつも通りの方が
いい?』
「いや、そういう訳では無いんですが。」
『そっか、じゃあこの荷物は私に任せてね。
初戦は五色君に引っ張って貰うかもだし。』
「分かりました。牛島さんより決めてみせます!
俺の活躍をしっかり見ててくださいね!」
『ふふっ、頼もしいなー。』
目を輝かせる後輩に柔らかく笑って、やる気に
満ちたその声に満足した返事をすると、その後
には前回の青城の主将との接触があったせいか、
白布が静かに周りを警戒する。
「…何だよ、五色。」
「何か、冷たい視線を感じたので。」
「気のせいだろ。」
それは五色と白布だけの密かなやり取り。
頼りになるクラスメイトのお陰か、彼女も普段
よりも更に仕事をやり易いと感じて、効率良く
進むので気分は良かった。
その間に周りの確認も勿論忘れておらず、選手
の体調も万全。
それにも彼女は安心して、少し気を抜く時間を
確保すると合間を見てエネルギー補給も欠かさ
ず、お気に入りのブロックタイプの栄養食品を
口にしていた。
「美月、今日はいつになく頼もしく見えるな。」
『そうですか?少しは成長出来てるのなら
嬉しいです。』
「緊張して動きがぎこちない美月も面白かった
けどな。」
『太一こそ、一緒に準備していた時はガチガチ
だったのに。』
瀬見の褒め言葉に美月が照れ臭さを感じている
と、彼女の隣で同じく昨年より余裕のある川西
がニヤリと笑って茶化すので、それに負けじと
彼女も言い返す。
「うるせえ。」
何となく、格好悪かった自分を彼女に思い出さ
せたくは無い川西はそれを誤魔化そうと、彼女 の手に持つそれに容赦なく齧り付いていた。
『あ、酷い!私の非常食なのに。』
「呑気に食えるまでには成長したな、お前も。」
「太一…お前。」
「俺、余分にあるから1ついる?」
『それは瀬見先輩に申し訳無いです!』
「えー、それも寂しいな。先輩がせっかく緊張を
解してあげようと思っていたのに。」
「嫌な予感しかしないので止めてください。」
「だってココ、触ってくださいって言ってる
ようなものじゃない?」
そんな彼らの会話を聞いて、この前の試合での
美月のリアクションを面白がっていた天童も
会話の中に入り、人差し指をクルクル回した後
に白布の注意は完全にスルーして彼女の項に
ツンと触れる。
『んあっ!だから、言ってません!』
その擽ったさに変な声が出てしまう美月は顔を
真っ赤にして慌てて首元を押さえ、突然の甘い
声色に白布は目を見開き、文句を言えない後輩
の代わりに瀬見が天童の首根っこを掴んだ。
「そうそう、コレコレ。」
「コレコレじゃねーよ!だから後輩にセクハラ
してやるなよ。」
「何、英太君…羨ましかったの?美月ちゃんの
項、触りたかった??」
「そりゃ少しは気に…じゃなくて、そうじゃ
ねえよ!困らせてやるなって言ってんだよ。」
『困ったと言えば、天童先輩がもっと喜びそう
なのでここは困らないって言っときますね?』
「いや、それはかえって悪影響では?」
「美月、前より逞しくなってきたな。」
内心、今の声はヤバいと考えていた川西は前回
よりも冷静になっていく美月に苦笑いを浮かべ、
このまま次の用事に取り掛かろうとする彼女に
「嫌な時は嫌でいいからな?」と瀬見も補足。
『大丈夫です…って、大丈夫じゃない。』
笑顔でそう答えようとした先には、きょとんと
した顔をする牛島の視線とぶつかってしまい、
それに気が付いた美月の動きは停止をすると、
羞恥から彼女の頭は茹だっていた。
『わ、その…大変失礼しました。』
「美月、お前は1つも悪い事してねーぞ?」
次に彼女の口から出てきたのは、何故か牛島に
向かっての謝罪の言葉で、瀬見のフォローも
彼女の耳には届かず、何故謝る必要が?と更に
首を傾げる牛島の反応に答える余裕も無いまま
に、昔と変わらないぎこちない動きで彼らから
背を向ける。
「美月、待て。」
そしてこのまま今いる場からサラッと逃げ出そ
うとしてみれば、美月は牛島に呼び止められ、
彼が手に持っていたタオルを首元に掛けられて
しまった。
『牛島…先輩?』
「あまり、意識はしていなかったのだが。
良かったら使ってくれ。」
『あ、ありがとうございます!』
普段ならそこで彼女が卒倒してしまう場面にも
関わらず、今は先程の変な声を聞かれた恥ずか
しさの方が買ってしまい、これ以上の醜態を彼
の前で晒してなるものかと、牛島の厚意に一礼
をしてその場から去る。
牛島の言葉を聞き取る余裕もないままに彼女は
慌てた様子で次の用事に向かい、残された他の
人達は思わぬ光景に唖然としていた。
「今、牛島さんから予想もしない言葉が出て
来た気がするんですか。」
まず、この事態は現実だと確認するように口を
開いたのは川西から。
牛島が美月に話し掛けた際、視線を逸らし、彼の
頬がほんのりと赤く染まっていた事に気がついて
しまったのか、他のメンバーも目を丸くした。
「若利君も照れる事ってあるんだね。」
「むやみやたらに女子の首元に触れるのは
好ましくないだろう。」
「本当は美月ちゃんが可愛くてしょうがないん
だよね?」
「・・・・・・。」
「あ、スルーした。」
天童の言葉に答えずその場から静かに姿を消し、
白布も川西も牛島の態度に少し驚いたのか、
お互いの顔を見合わせる。
「天童さんの過度な接触、牛島さんも嫌だった
んだ。」
「というよりも、意識って…。」
まずいと顔を顰める2人の気持ちは露知らず、
美月が我に返って、とんでもない代物を首元に
巻いていた事に気が付くのは、しばらく経って
一通りの試合を終えた帰りのこと。
『賢二郎、どうしようとんでもないものを
お借りしたかもしれない。』
「お前、明日もそれで持つのか?」
『うぅ…、分かんない。とりあえずここが
落ち付く。』
「お前、近いって。」
『そうだよね、ごめん。』
「…別に、いいけど。」
バスに乗り、白布の隣に座った後で冷静にそう
考えてしまった彼女は白布に項垂れ、彼は突然
密着する彼女に驚くが、その理由が理由な為、
素直に喜べずにいた。