暖簾が上がれば、本日も元気に笑顔と挨拶。
この仕事もかなり板に付いてきたのか、美琴の
活気ある声は店中に響く。
「美琴、これええ?」
『はい、大丈夫です。』
揚尾美琴、20歳。只今彼氏無し。
元稲荷崎高校バレー部マネージャー。
彼女は大学生で、アルバイト先を悩んでいる所
を彼女の1つ年上のかつての仲間かつ先輩で
ある宮治に誘われ、本日も彼女は高校時代と
重なる姿で忙しく働いていた。
治自身も、彼女を招き入れ事を完全なる大成功
だと思い、その事には大変満足しているご様子。
『また、来てくださいね!』
「おお、美琴ちゃんの顔見に来るわ!」
昔からの変わらぬ愛想の良さに臨機応変に動く
すばしっこさ。
仕事はもちろん非常に真面目で、ふんわりと
彼女が笑うと店の空気を癒しの空間に変わる。
おまけに治にとっては目の保養にもなるので、
正に彼女は、自分の癒しオブ癒しだと治は断言
していた。
『治さん、今日もお疲れ様でした。』
「こちらこそ、いつもありがとうな。」
労いの言葉と共に、店を閉めた後のお楽しみ。
一息つく時に彼女が入れたお茶は、治にとって
至福の時となり、最高のご褒美だった。
他のスタッフは先に帰って、今日は治にとっては幸せなことに、2人きりの模様。
「あー。美琴のお茶、最高やわ。」
『治さん、本当に言う事が上手いですね。』
パソコンと睨み合う治の隣にお茶を置いて、
美琴は一緒に向かいに座り、微笑みあってそれ
を口にすれば、忙しかった疲れも一気に吹き飛ぶ
と言っても彼にとっては過言ではなかった。
「就職活動は、上手くいっとるん?」
『それが、なかなか上手くいかなくて。』
彼女は只今就職活動中なのだが、控えめな性格
な彼女は仕事中とは打って変わって、いざ就職
希望先の面接に挑戦したら、自分の本領を発揮
出来ないまま不採用が続き、残念な事に未だに
就職先は決まっていなかった。
彼に痛いところを突かれたのが辛かったのか、
少し悲しそうに肩を落とし、背中を丸めてお茶
を啜る姿は彼の胸をチクリと痛めつける。
言うならきっと今だろう。
治が前から考えていた事を彼女に告げるには、
今この場が絶好のチャンスとなっていた。
「美琴、よかったらウチでずっと働かんか?」
『…えっ?』
「美琴が大学卒業したら、必然的にウチを辞める
やろ?…俺は正直、お前手放すんがもったいない
って思うとった。せやから、卒業後にちゃんと
正社員として、ここで迎えたいんやけど。」
治が意を決して伝えたものは、残念ながら愛の
告白という訳ではなく、このまま美琴にここで
続けて欲しいといった別意味のラブコール。
「あかん?」と美琴の意見を伺うように彼は首を
傾けると、治からの思わぬ提案に驚く彼女は、
大きな瞳を ぱちくりと瞬きさせて、固まった
まま、治の瞳をじっと見つめていた。
もごもごと言葉を詰まらせている彼女の反応は
治を少しだけ不安にさせ、「嫌なん?」と今度は
反対方向へ首を傾ければ、彼女はそれを否定し
て首を横に振り、そうじゃなくてと申し訳無さ
そうな顔で、彼を見ながら彼女は言葉を続けた。
『それやと治さんの迷惑になってしまいます。』
「迷惑ちゃう、寧ろ来て欲しいから言うとんやけど。」
治の言葉にどうも美琴は納得出来ないのか、彼は
素直な言葉を吐いているのに、こういう時の
控えめな性格が仇となり、彼女は『嘘や。』と
口を尖らせて、再びお茶を啜る。
彼はそんな彼女の反応がつい可笑しくて、思わず
笑いながら「嘘は言わんわ。」と彼女の頭を優しく
撫でた。
「なあ、ここ来てくれるん?」
『はい、よろしくお願いします。』
目を潤ませて喜んでいる彼女は愛しく見えて、
不束者ですがと嫁にでも来るのかと突っ込み
たくなる台詞も付け加え、礼儀正しい彼女は
深々と治に頭を下げる。
ホンマに嫁に来てくれてもええんやけどな。
ふと、彼はそんな考えが頭に過りながらも、
これから働いてもらう彼女との関係を壊したく
ない彼は、本当の自分の気持ちは心の中へ、
閉じ込める。
こちらこそよろしくお願いします。と彼女に
合わせて、彼も深々とお辞儀をすれば、2人は
嬉しそうに笑い合い、彼女との交渉は見事に
成立した。
「北さんも喜ぶなぁ。」
『喜びますかね。』
「北さんも美琴をここの正社員にせぇ
言っとったんやから。」
『…それはそれは、ビックリです。』
「あと、喧しいのも…な。」
治がそう言って顔を歪ませれば、タイミングが
いいのか悪いのか、勝手口からがちゃりと開く
音が聞こえ、彼の片割れはずかずかと遠慮なく
こちらに入って来る。
そして、美琴の姿を見つければ、そのまま彼は
嬉しくして遠慮はないままに、彼女に一目散に近寄っていた。
「美琴ー、お前今日出勤しとったんか。
俺と美琴はやっぱ赤い糸で結ばれとるんやな。」
『侑さん、こんばんは。ふふっ、侑さんも冗談
が相変わらずお上手ですね。』
「もう、そーやって面白がってくれるんは
美琴だけやな。…て、冗談ちゃうんやけど。」
グリグリと侑に頬擦りをされても、彼女はその行為に慣れた様子でへらっと笑い、彼から受け
そうになるセクハラも器用にすり抜け、彼にも
お茶を煎れようと立ち上がった。
そんな二人のやり取りを黙って見る治は、この
まま美琴が就職する事は卒業まで絶対に彼には
内緒にしておこうと心に決める。
もちろん、彼女に煎れてもらうお茶は自分だけ
の特別なものなので、スっとその場から立ち上
がると、彼女から急須を取り上げるのだった。
「ウチのに手を煩わすな。」
「は?いつからお前のになったんじゃ。」
『あ、私…ふぐっ!!!』
「美琴、まだ言うたらあかん。」
閑散としていたはず店内は、2人によって一気に
賑やかになり、双子同士のバトルは始まる。
それもまた普段からお馴染みの一連の流れと
なっており、近所迷惑を気にした美琴が一喝し、
そこで賑やかな空気はやっと静まるのだった。