自分が帰るのを楽しみにしている人間がいるだけ
で胸が弾んで、「おかえりなさい」と言われると
こんなにも温かい気持ちになるのかと、少し感動
も混ざる気持ちでその声に答え、大好きなその
香りに包まれる。
『ただいま。』
「何か新鮮だね。こんなに帰ってくるまでの時間
って長く感じるんだ。いつもは立場が逆だから
変な感じ。」
彼の言葉通り、美琴が仕事で角名が二日続けて
オフの夜、いつも出迎えてもらう側にいるせいか
角名は自分が発した言葉と今の感情を楽しんで、
本日やっと味わいたかった温もりを思い切り腕の
中に閉じ込めた。
『それ、分かります。私もこんなに嬉しくなる
んやなあって思うてました。』
角名がおにぎり宮に立ち寄ったのは美琴から家の
鍵を受け取るほんの僅かな時間で、以前よりも
賑わいを見せているその空間で、恋人は変わらず
の手際の良さで動いていた。
「美琴、じゃあ後で…。」
一瞬だけ角名と目が合ったら緩むその目に愛しさ
を感じて、カメラのシャッターを切りたい気持ち
を堪え、おにぎり宮を後にする。
彼女がさりげなく準備してくれたお昼ご飯に感謝
しながら、おにぎり宮の袋を片手に美琴の自宅へ
向かった。
多忙の中でもきちんと過ごそうとする美琴を
心配していたが、洗っていない食器が見えると
自分に気を許してくれているのだと口元が緩む。
「夕方には帰るとは言っていたけど。」
たまには彼女のサポートに、食事を済ませると
残された食器を洗った角名は、テレビやスマホを
見て時間を潰していたが、どうも時間はすぐに
過ぎてはくれない。
美琴はせっかくの休みなのだから友人に会ったら
と勧めていたが、彼女の部屋が不思議と落ち着く
ので、別の誰かと会う気分にはならなかった。
「…て、もしかしてお見通しだったかな?」
ふとテレビの横に視線を向けると、メモが置かれ
ているそこには映画のDVDが積まれていて、彼女
の字で『倫太郎さんにオススメ映画!』と書いて
あるそれを読んだ角名は小さく吹き出す。
「一本だけにして、残りは一緒に観ようかな。」
今度は映画に誘おうと彼女との楽しみもそこで
新たに生まれて、彼女の言葉通りに自分好みの
作品を見たあとは充実した気分になる。
「まだ少し、時間があるのか。」
しかし時計を見ると、彼女が帰るまでにはまだ
少し時間があって、待ちきれなくなってしまった
彼は散歩ついでに彼女を迎えにいってしまえと、
おにぎり宮まで歩き出した。
「いらっしゃいませ…って、あー、おかえり。」
扉を開けると、張り切って挨拶をする美琴では
無く、呆れた顔の治の姿がまず最初に見えた。
「美琴は?」
「今、配達に行ってくれとる。」
「そっか、めっちゃ頑張ってるじゃん。」
「せやねん、美琴にはほんま助けられとる。」
ふーんと治に出してもらったお茶を啜って、まだ
彼女を手放してくれない友人をじっとり見つめる
と同じく顰めた顔の治と視線がぶつかる。
「何、その顔。」
「背後から美琴寄越せオーラがめっちゃ出とるわ。
言われんでも分かっとる。…ただ、本人がまだ
自分を未熟者やと思うとんねん。何処に行っても
大丈夫って自信持たして背中押さなあかんやろ。」
「うん、そこは治が上司として見守ってくれてる
って分かってるから感謝してる。」
「まあ、可愛い娘手離したくない気持ちもある
けどな。」
「いつから娘になったの?」
「おまけに北さんも付けてな。」
「うっ…。」
この先の話をぼんやりと話せば、最終砦である
今でも敵わないと思う先輩の顔が浮かんで、角名
に眉間の皺が寄ってきた所で美琴が店から戻って
きた。
『ただいま戻りました…あれ、倫太郎さん?』
「おかえり。彼氏が美琴を早く帰らせろって脅し
に来たわ。」
「誤解を招く言い方しないでくれる?親愛なる
治くんの顔を見に来ただけだし。」
「いや、そっちのが胡散臭いやん!」
二人やり取りを見て楽しそうに笑う美琴は、まだ
やりたい作業が残っていたようで、角名は彼女の
邪魔にならないように静かに待ち、久しぶりに
仕事をする彼女をゆっくり見守れた気がした。
『すみません、結局沢山待たせてしもうて。』
「久々に頑張る美琴が見れたから、いい時間
だったよ。」
寒さのピークは過ぎてもまだ日が暮れるのは早い
季節。
すっかり辺りは暗く冷え込んでしまい、冷たい風
が鼻をかすめると、この後口にするものは湯気の
立つものを願ってしまう。
『倫太郎さん、このままラーメン食べて帰りたく
ありません?』
「いいね、それ俺も思った。」
微笑み合う二人の手は重なって、行きつけの店に
立ち寄ってお腹も満たされると、後は家路を辿る
だけとなった。
あれほど長く感じた一日は、美琴が傍にいると
感覚は変わって、彼女の自宅に到着するのは早く
感じる。
「あ、しまった。美琴。ちょっと待ってて。」
『待つ?…って倫太郎さん走るの速い!!!』
自分が迎えに行くのは予定外の行動だった為か
角名は彼女にやりたかった事を思い出し、そう
言って一足先に美琴の家に入る彼は、スマホから
「来ていいよ」と彼女にメッセージを送った。
『急にどうしたんやろ。』
突然彼の取った行動に戸惑う彼女はゆっくりと扉
を開けると、景色はいつもと変わらない玄関だが
一つだけ違っている。
「おかえりなさい。」
両手を広げて、こちらに微笑む恋人の姿に胸が
いっぱいになる彼女は彼に思い切り抱きついて
その幸せを噛み締める。
改めて、彼と恋人になれて良かったと感じる彼女
は普段とはまた違う充実感に満たされ、たまには
こんな日も悪くないと考えた。
『ん…、今何時。』
設定したアラームより早く、彼女は目が覚めた。
甘さと香ばしさの混ざった香りと普段と違う音が
聞こえ、美琴は重たい瞼をゆっくりと開ける。
「あっ、しまった。」
そして次に聞こえてきたのは、小さく慌てる声。
気がつけば自分の隣にあった大好きなぬくもりは
なくなっていて、不思議に思って起き上がると、
キッチンに彼が立っていたので彼女は驚きの声を
あげた。
『倫太郎さん、いつの間に?!』
「ごめん、騒がしいから起こしちゃったよね。今日
くらいゆっくり寝ていて欲しかったんだけど。」
慣れない事はするものじゃないと、今回も照れ
臭そうに眉を顰める彼の視線の先には自分の弁当
箱が置いてあって、最後に作ったであろう卵焼き
は少し焦げていた。
翌日は家でのんびりしようと話していて、美琴が
眠る間に弁当を完成させようとしていた角名は、
見つかってしまった事を悔しそうにする。
『凄い!倫太郎さんが作ってくれたんですか?』
「一応最低限の事は出来るし、動画見たら何とか
なるかなって思ってたけど…。プロには敵わない
だろうから多めに見て。」
『前にも朝ごはんを用意してくださいました
もんね?』
「あれは料理のうちに入らないでしょ…って、
今回も大したものじゃないけど。」
きっかけは、美琴を待つ時間に見ていた動画で、
自分も彼女に作りたいと考えた角名は、ぎこち
ないなりにお弁当を何とか完成させた。
『そんな、すっごく美味しそうです!…ふふっ、
今日のお昼がもう楽しみや。』
「美琴にそんなに喜ばれると、調子に乗りそうに
なるから止めて。」
『調子に乗ってください!皆に自慢したい素敵な
彼氏さんですもん。』
「あー…もう、そうゆうの狡いな。」
真っ直ぐな瞳ではっきりと言い切る美琴に負ける
角名は目頭を押さえて、こちらこそこの世で一番
の彼女だと言い切りたいのに、彼の性格上、言葉
は上手く出てこない。
上機嫌で二人分のコーヒーをいれる彼女の名前を
呼ぶ角名は、目を細めて単純な言葉を吐く。
「美琴、大好きだよ。」
その一言に足の力が抜ける彼女は『狡いです』と
真っ赤な茹でダコ状態になるので、その言葉に
「そっちこそ」と笑い返した。