お誘い
黒尾は一瞬だけ躊躇った。
彼女が今まで築き上げたものをまた一から
やり直させなければならない事に。
「…美月。」
『うん、いいよ。』
「まだ何も言ってねーのに!?」
お願いをするのに黒尾が悩む間もなく、自分の
席に座って読書をしている美月からあっさりと
OKを貰ってしまい、幼なじみの軽すぎる返事
に驚いた黒尾は、空になった紙パックのジュースをぐしゃりとその反動で握りつぶした。
『入部の件でしょ?大丈夫、一肌脱いで
あげる。』
「ヤダ、美月ちゃんったら大胆。」
喜びを誤魔化すように冗談を言いながら、口元
を手で押えてニヤニヤ笑う、黒尾の頭を美月は
容赦なく本の角を落として、痛そうに屈む彼を
冷たい目で見下ろす。
『そうゆうこと言いたいんじゃないの。』
「準備が整ったって訳か。」
頭を抑えながら見上げる黒尾に彼女はニコリと
笑って『そうゆうこと』と頷いた。
牧野美月は女子バレーボール部のマネージャー
だった。
本来は男子バレーボール部に入部をする予定
だったのだが、縦社会の強い部であったからか、
1年生では権力が無い黒尾は彼女の入部を止め、
2年生に上がれば、今度は孤爪がそれを止めた。
その為、彼女は彼らの試合が見ることが出来る
女子バレー部へ在籍していたのだが、この度
その事情を知っていた親友、女子バレー部の
主将も彼女も彼女の退部を認め、後輩へ仕事
の引き継ぎも無事に済ませ、先程の返事に至る。
3年生達が引退した2年生の秋。
黒尾も美月もこの時を待ち望んでいた。
「美月!!!」
「さっき、退部届け出したって聞いた」と走って
教室に入ってきた夜久が肩で息をしながら、
彼女の机まで近づくと美月は彼ににっこりと
微笑んだ。
『待たせてごめんね。』
「すげー、嬉しい!」
美月に抱きつく夜久を見て、黒尾は顔を顰め
ながらも、素直に感情を出す彼を羨ましく思い、
すぐに「はいはい、そこまでー。」と彼を引き
剥がして、ポケットに入れていた入部届けを
取り出したら、彼女の机に置いた。
「まだ入部してないから焦らない。」
『すぐ提出しますー。』
彼女はすぐに筆箱からボールペンを出すと、
躊躇うことなく名前を書くと、夜久は彼女の前
の席に跨って向かい合えば、彼女の書く文字を
嬉しそうに眺める。
「美月、めっちゃ字が綺麗だよな。」
『ありがとっ。』
「はい、そこ。すぐいちゃつかなーい。」
黒尾が2人の間を大きな手で遮って「確かに」と入部届けを手に取れば、満足そうに彼女を見た。
「ありがとな。」と彼女の髪を撫でれば、今度は
夜久の方が不服そうに顔を顰めるので、美月は
2人こそいちゃつかないでと宥めると、彼らは
見事に声を揃えて「いちゃついてねーし!」と
彼女に怒り出す。
そして、彼女の笑顔を見れば2人は切ない顔を
して彼女を見ていた。
黒尾も夜久も美月が好きだ。
彼女の傍にいる時間が増える喜びと、敵も増える悲しみを抱きながら、ここから彼女達の青春
が始まる。
『これから、いっぱい面倒見させていただき
ますのでご安心ください。』
「おっ!頼もしいお言葉。」
「美月に何してもらうかなー。」
『クロが言うとただのセクハラにしか聞こえ
ないからなんか嫌。』