25
談笑の合間、必死に欠伸を噛み殺していた彼女は遂に耐え切れなくなったのかオレが促すと大人しくベッドへと潜っていった。はじめは、夜はオレの方が先に寝室へと移動していたが二、三度リビングの様子を窺っても彼女は起きたまま。幾度目かで初めて声を掛け軽く就寝を促すも緩く流され、深夜もしくは明け方近くにようやくベッドに移動している様だった。
まるで猫の様にうとうとと微睡む姿が微笑ましくつい目にかかる前髪をそっと流し、柔らかな質感だがすうっと冷えている肌に自分の体温を移す様に額、頬と静かに包み込む。するとそれこそ猫の様に、あるいは蝶が花に誘われるかの様に、すり、と彼女の頬と一層冷えている手が重なった。
「……」
気持ち良さそうに眠る無防備な表情に、まずい、と思い手を引き抜こうとしたが、きゅ、と引き留められ小さく握られた冷えた指先に、もう少しだけ温めていよう、と心を無にして右手は湯たんぽとして献上する事にした。
*
「なまえちゃん、そろそろ時間だけど起きられる…?」
「んー……んん〜…」
ぎゅっ。
結局数時間、湯たんぽになった手は握り締められたままで彼女に依頼された時刻となり声を掛けるも、僅かに眉を顰め握った手を更に腕まで引っ張り寝返りを打ち睡眠に戻ろうとする。予想外に腕を引かれ誘導されるままに咄嗟に身体を動かすと、押し潰すまいとした行動が裏目に出たのかベッドの上で図らずも組み敷く体勢になってしまった。
落ち着けオレ。冷静になれ諸伏景光。
「……。なまえちゃん、起きて…?」
これは不可抗力だ。故意ではない。そう自分に言い聞かせながら、横向きになり露わになった彼女の右耳にそっと声を掛けると弾かれた様に正面を向き目を見開いている。
「……お、はようございます…?」
「うん、おはよう。…ごめんね、手、離してもいい…?」
「…?…!ご、ごめんなさい…!」
覚醒したのか寝る前の猫の様な雰囲気は抜け、言葉遣いも戻っている。オレの言葉に左右をキョロキョロと確認して握られたままだった手が外される。
「ごめんね、気持ち良さそうに寝てたのに…」
手の拘束がなくなりそっとベッドから身体を離すと、なまえちゃんはバツが悪そうな表情をしながら起き上がり前髪をかきあげる。
「…いえ、こちらこそすみません…。先に準備してきても良いですか?」
「うん」
着替えを手に取り洗面所に向かう彼女を見送り、心を鎮めようと煙草を手に取るがきっとこの一本が吸い終わる頃には彼女も身支度を整えて戻ってくるだろう。そうするときっと彼女もこの一本を手に取る。オレもその時でいいだろう。そう考え、お供にと珈琲を淹れる事にした。
「お待たせしました。…珈琲、ありがとうございます」
「オレが飲みたかったから」
「…ありがとうございます」
思ったとおりに丁度淹れ終わるというところでなまえちゃんは戻ってきた。マグを二つ、ガラステーブルに置き問い掛ける。
「オレの服、決まった?」
「…本当に私が選んだのでいいんですか?」
「もちろん」
「…じゃあ、コレと、アレですかね」
ソファに掛けられていた黒のストレートチノパンを手に取り、目線で洗面所を指す。ボトムがコレ、という事はトップスは昨日試着して洗濯したばかりのアレ、だろう。
どのコートでも比較的合わせやすいでしょうし、と続ける彼女にチノパンを手に取り洗面所へと向かう。スウェットから履き替え、乾燥機にあるハイネックのケーブルニットを取り出して袖を通す。色味から組織感が否めないがなまえちゃんの言う通りシンプルに纏まっている。
「どう?」
「かっこいい。素敵です」
「…ありがとう」
にこ、と笑いながら素直に賞賛の言葉を告げる彼女に倣い、礼を返す。仕事で対応した女性達からは良くも悪くもこんな風に素直に褒められる事はなかった。なまえちゃんの言葉には嘘がない。たったそれだけの事がこうも心を沸かせるのだろうか。
「景光くんのコーデ考えてたらお揃いみたいになっちゃいました」
「じゃあなまえちゃんもタートルネックにすればいいのに」
「私タートルとかハイネック苦手なんですよね…だから着られる人が羨ましいです」
言いながら摩る彼女の首元はVネックの黒のセーターにブラックスキニー。なるほど、そう言えば彼女が首元を覆う服装を着ているのは見た事がなかったように思う。ラフそうには見えるがスキニーで引き締めたスタイルは彼女によく似合っていて、彼女の事を知らなければ男性と見間違える事にも納得がいく。
「なまえちゃんも似合ってる…可愛い」
ありがとうございます…と照れを精一杯隠しながらも素直に謝意を述べる彼女は、タクシー手配したので、とスマホを操作しながら煙草に口付ける。吸い終わる頃に到着しますよ、と笑う彼女から差し出された箱を素直に受け取り、これからの時間と車の到着を待つ。
こんなに心が浮き立つ待ち時間はいつぶりだろうか。初デート前の中学生じゃあるまいし。隣の彼女に悟られぬ様に緩く、細く、煙を吐き出した。
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