「あの…授業、終わりましたよ?」
「えっ!?うわ、まじか…」
90分間の授業を最初から最後までぐっすり寝ていた彼をそっと起こす。驚いたように顔を上げた後、腕時計を見て小さな声で呟かれた言葉に笑みが零れる。
「もし良かったらノート、コピーしますか?あんまり字、綺麗じゃないんですけど…」
「ほんとっすか?助かります、ありがとうございます」
よりにもよって彼が寝ていた今日のこの授業はノート持ち込みOKのテストによって成績が決まる授業、つまり、黒板に書かれる内容をきちんとノートに取っていれば単位が貰える授業だった。そんな授業で出席したにも関わらずノートを一切取ってないとなると肩を落としたくなる気持ちもわかる。
恐る恐る提案してみれば、ぱっと顔を輝かせて笑う彼にどきりと胸が音を立てる。昼休みに何か用事はあるかと聞かれ、ないと答えると昼休みにノートをコピーさせて欲しいと頼まれた。了承の返事をすると、昼休みにと言って彼は教室を出て行った。机の上には出欠を確認する受講票が置いてあり、それには皆木綴と綺麗な字で書かれていた。
「これ、出さなきゃ欠席になっちゃうのに」
意外とおっちょこちょいなのかな、と勝手に考えてふふっと笑ってしまう。慌てて口を抑えて周りを見る。誰も気にしている様子はなくて、ホッと息を吐く。自分の分の受講票と彼の分の受講票を提出して教室を出る。向かう先はもちろん、親友の彼女のところ。
ドキドキと心拍数が早くなるのにあわせて歩くスピードも速くなる。彼女が待つ談話室に到着する頃には少し息が荒くなっていて、小さく深呼吸をしてからスマホをいじる彼女に声をかけた。
「おつかれ」
「おつかれ!で?さっきの、どういうことよ!」
「あー…いや、前に話した男の人いるでしょ?」
「あぁ、MANKAIカンパニーって劇団に所属してる男の子のこと?」
「そう!その人とさっきの授業隣の席でね…」
授業が始まる直前、彼が私の隣に座った時に嬉しさで彼女にメッセージを送っていたからか、恋愛話が大好きな彼女は私を見た瞬間目を輝かせていた。彼女の向かいの席に座ってさっきあった出来事を話していく。前から彼のことが少し気になっている、と彼女には言ってあったこともあって私の話を聞いてる時の彼女のリアクションはそれはもう楽しそうだった。
「それで昼休みにデートってわけ?」
「デートじゃなくてノートのコピー取るだけ!」
「そのままお昼一緒に食べませんかって誘いなよ。私他の子と食べるから」
「それは…私にはちょっとレベル高いかな…」
「えー、いいじゃん。そんなゆっくりしてたら他の女に取られるよ?」
ニヤニヤと笑いながらストローを咥える彼女の言葉は否定出来ない。確かに、顔良し、性格良し、スタイル良しとくれば女の子にモテモテなのは言うまでもない。だからと言って、私が彼に積極的にアピールできるかと言われれば答えはNOだ。生憎、私はそんな勇気を持ち合わせていない。
あーでもないこーでもないと話していればあっという間に時間は過ぎて昼休み10分前。早めに行って待ってたら?という彼女のアドバイス通りに少し早めに印刷室に向かう。扉の前で少し髪を整えながら彼を待っていればパタパタと走る音と一緒に廊下の奥から走る彼の姿が見えた。
「遅くなってすいません!」
「全然待ってないので大丈夫ですよ」
「これ、コピーさせてもらうお礼っす」
「あ、ありがとうございます…!気を遣わせちゃってすみません」
「気にしなくていいっすよ。むしろ、俺の方が気遣わせちゃったみたいで…」
私が、俺が、とお互いに謝ったりお礼を言ったりを何度か繰り返した後、2人で顔を見わせて小さく笑う。ふと、思い出したかのように彼が名前を名乗る。まさか本人からこうして名前を聞けるとは思わず、頬が緩みそうになる。何とか堪えて、名字名前です、と私も名乗れば名字さんっすね、と微笑まれる。
本人から名前を直接聞くだけに留まらず、私の名前まで呼んでもらえたことに感動と恥ずかしさで赤くなった顔を隠すように俯いた。今、自分の目の前に立って、自分と会話をしているのがあの皆木綴だなんて信じられない。というより、私、生きてる…?
「ほんとにありがとうございます」
「お役に立てて、よかったです」
「この後、なんか予定とかあります?」
「へ?え、あ、ない、です」
「じゃあ、お礼といっては何ですけど飯奢るんで学食行きません?」
「え、えええ!?だ、大丈夫ですよ!そこまでしていただかなくても…!」
「俺がそうしたいだけなんで…ダメ、っすか?」
「う…じゃあ、その…お願いします…?」
「ははっ、了解っす。じゃあ、行きましょうか」
コピーを取り終わり、彼が改まって私にお礼を言う。そんな彼にもし良ければ一緒にお昼どうですか、なんて私が言えるはずもなく当たり障りのない返事をしてにこりと微笑む。このまま波風立てずに別れてミッションコンプリートだ、なんて考えていた私が悪かったのだ。
彼からの突然の提案に思わず変な声が出る。まさか、逆に彼から誘われることになるなんて思ってもいなかった。戸惑う私にあざとくダメっすか?と首を傾げる彼の誘いを誰が断れるだろうか。否、誰も断れない。かく言う私もしっかり絆されてOKの返事をしてしまった。その返事に対して爽やかに笑った彼に目を奪われたのは言うまでもない。