千秋楽の公演を見に行ったあの日から、彼の態度が少し変わった。どう変わったかと言われると難しいのだけれど、なんだか今までよりも雰囲気が柔らかいと言うか、優しいと言うか。優しいのは元々そうなんだけど、いつにも増してと言うか。どうにもむず痒くなるような感覚に私が耐えきれなくて、最近は微妙な距離ができている。それを少し寂しいと思ってしまう自分がいることに気づいて顔が熱くなる。別に誰が見ている訳でもないのに、とっさに掌で口を覆って隠す。
彼のことが恋愛的な意味で好きだと気づいたのが千秋楽の公演を見に行ったあの日。そして、彼の態度が変化したのもその日から。私の気持ちがバレて距離を置かれているのか、と不安な気持ちになって親友の彼女に相談したら呆れたような顔で「そういう相談は受け付けてません〜」とバッサリ切られてしまった。彼女以外にこんな相談できる人はいないし、だからと言って彼に直接聞くには私の勇気が足りない。解決策が全く見つからないまま、彼と初めて会話をしたあの授業の日になる。
「隣、いいっすか?」
「ど、どうぞ…!」
先に来ていた私にいつも通り声をかけてくれた彼にドキドキしながら、何とか平静を装って返事をする。いつもなら、一つ席を空けて座る彼の気配がすぐ隣に座ったのを感じてチラリと目線を向ける。いつもよりもずっと近い距離に座る彼に戸惑う。肘が当たったらどうしよう、だとか。汗臭くないかな、だとか。いろんなことがぐるぐると頭の中をめぐる。お陰で全く授業に集中出来ずに終わってしまった。何とか、黒板の内容は写すことが出来たけれど、先生が何を言っていたかなんてまるで覚えていない。
「このあと、時間大丈夫っすか?」
「え、あ…はい。大丈夫、です」
「ちょっと、話があるんすけど…」
頬をかきながらそういった彼に悪いイメージばかりが頭をよぎる。これがもし彼じゃなかったら告白だったりして〜なんて笑いながら親友の彼女にメッセージを送っているところだ。けれど、今はそんな余裕はどこにもない。移動した先の談話室は今日に限って誰もいなくて、シンと静まり返ってた。
「あー、急に呼び出したりしてすいません。びっくりした、っすよね」
「だ、大丈夫…です。それで、えっと…話って…?」
彼の声にピクリと肩が震える。声が震えてしまわないようにゆっくりと言葉を紡ぐ。彼から何を言われるのか、聞くのは怖いけれど沈黙も怖い。この場から逃げ出したくなる衝動に駆られながら、言葉の続きを促す。彼の顔を見るのが怖くて目線を足元に落とす。少しの沈黙の後、彼がすっと息を吸う音がしてきゅっと目をつぶった。
「好き、です」
「………ぇ、?」
「あー、っと…その、名前さんの事が好き、です。俺と、付き合ってください!」
「…ぇ、なん……え、?」
彼の声で紡がれた四文字は耳に入るまでは早かったけれど、脳がそれを理解するのにかなりの時間を要した。私の口から出たのは声にならない、呼吸音に近い小さな小さな音。驚きで顔を上げると、頬を赤くした彼の目と、私の目がバチリと合う。
混乱する私の目を見て、もう一度、はっきりと告げられた言葉に今度こそ理解が追いつかない。なんで、どうして。その二つの言葉がひしめき合って口から出るのは単語になりきらない音ばかり。人間って驚くと声も出ない、とはよく言ったもので本当なんだと現実逃避を始めた頭でぼんやり考える。
「ダメ、っすかね…?」
「ダメじゃない!…です!」
「それって…」
「あ、その…、私、も…好き、です…。私なんかで、よければ…!お願い、します、!」
切なげにひそめられた眉に一気に現実へと引き戻される。勢いに任せて半ば叫ぶように彼の言葉に返事をする。驚いたように目を丸くした彼に顔がどんどん真っ赤になっていくのを感じながら言葉を紡ぐ。声は震えるし、顔は真っ赤だし、全然格好つかないけれど。そんな私の返事に彼は心底嬉しそうに、ふわりと微笑んだ。
「ありがとう」
そう言って笑った彼の顔を私はこの先も一生忘れない。付き合い始めて少ししてから、どうして私を好きになったのと聞いた私に彼は恥ずかしそうに笑ってこう答えた。「俺が脚本のことで悩んでた時に、自分のことのように真剣に悩んで答えを出してくれた時に、名前の真っ直ぐな目に惹かれたんだ」って。
今では、「名前」「綴くん」なんて呼び合える関係になって、お互い少しずつ敬語も抜けてきた。私も彼も、あの頃はこんな風になるなんて思っていなかった。もっと言えば、知り合う可能性なんて本当に数パーセント。あの日、あの時、あの席に座っていなければ。彼が疲れて寝ていなければ。
そう考えたら私と彼の出会いは運命だったのかも、なんて思ってしまう。彼が大好きな演劇に脚本は必要不可欠だけど、私たちの出会いにそんなものはなかったしこれから先も必要ない。白紙の脚本にこれから、私と彼がシナリオを描いていくんだから。少し先で彼が私の名前を呼ぶ。手を振ってそれに応える。
「今行くー!」
明日の脚本_シナリオ_は…