「なまえ?どうしたんだ?顔色悪いぞ?」
「だ、大丈夫…水、ちょうだい…」

ぞわりと全身に鳥肌が立って、堪らず部屋を飛び出した。向かったのは一番人がいるであろう談話室。予想通り朝ごはんの時間だったこともあって割と人がいる。私を見た臣くんが首を傾げるけど説明するのも嫌だし正直思い出したくもない。

コップに入った水を一気に飲み干してソファに座る。ゆっくり息を吐いて目を閉じる。気のせいだ、気のせい。お化けだとか幽霊だとか、そんな非現実的なものが存在するはずない。さっきの出来事は気のせいだ。私が少し疲れてただけ、大丈夫、大丈夫。

「おはよ。パジャマでここにいるとか珍しいね」
「び、っくりしたぁ…。お、おはよ」
「顔色最悪だけど、怖い夢でも見た?」
「あ、はは…まあ、うん、そんなとこ」

後ろから声をかけてきたのは至さん。突然のことにびくりと肩が跳ねて声が上擦る。私の表情を見て、一瞬驚いたように目を見開いた後、ふざけたように笑う至さんに苦笑いで返事をする。まだ怖い夢の方がマシかなあ、なんて。

「なまえ、今日休み?」
「うん。特に何も無いよ」
「ふーん」
「なに?」
「俺さ、今日新作ゲーム買いに行くんだけど付き合ってくんない?」
「ええ…今日はゴロゴロしようと思ってたのに…」
「この間欲しいって言ってたワンピース買ってあげるから」
「行く」
「ははっ、即答じゃんウケる」

私の表情に何かを感じ取ったのか、気を使ってくれたのか、本当にゲームが買いたいだけなのかは分からないけど至さんから珍しく外出の誘いを受ける。至さんには負けるけれど私も割とインドアな人間なので少し渋る。そんな私の返事も想定済みだったのか報酬を提示してくる至さんに食い気味で返事をすれば至さんがケラケラ笑う。

準備ができ次第出発、と何とも適当にこの後の予定が決まる。空になったコップを臣くんに渡して朝食を食べないことを伝える。具合が悪いのかと心配してくれる臣くんに大丈夫、と返事をして部屋に戻る。いつもと何も変わらないはずなのに、さっきの出来事のせいで不気味に見えてしまうのは仕方ないと思う。

「早く着替えちゃお…」

着替えだけここで済ませて最悪化粧と髪のセットは談話室でもできる。何なら幸ちゃんと莇にやってもらえばいい。今は、あまりこの部屋にいたくない。ぱっと目に入った白いトップスと淡いピンクのフレアスカートをクローゼットから出して素早く着替える。鞄の中に財布とスマホ、ポーチを入れる。化粧品が入ったポーチを掴んで部屋を出ようとした瞬間だった。



ぽた、ぽた、ぽた



小さな音で3回。何かが、落ちる。扉に伸ばしかけた手がぴたりと止まる。体が、動かない。カタカタと震える指先がくっきり見えて、それ以外の景色がぐにゃりとぼやける。



ぽた、ぽた、ぽた



また、3回。何かが落ちる。振り返れない、怖い。そんな筈ない、さっき見たけど水なんてどこにもなかった。気のせいだ。そう思っても耳元で鳴っているかのようにはっきり聞こえる音に耳を塞ぎたくなる。ぎゅっと目を閉じて息を吸って、吐く。



ぽた、



また、小さく音が聞こえたのとほぼ同時に扉を開け部屋を飛び出す。半ば走るように談話室に向かう。全く前を見ていなかった私は曲がり角から出てきた人に気づかなかった。勢いもそのままにぶつかって尻もちをつく。慌てて顔をあげればそこに立ってたのは左京さんで。やばいと思ったのも束の間、眉間にシワを寄せた左京さんが口を開いた。

「廊下は走んなっていつも言ってんだろうが、危ねえだろ」
「ご、ごめんなさい…」
「ったく、怪我でもしたらどうすんだ」
「あ、はは…」

手を差し出してくれた左京さんに甘えてその手を借りて立ち上がる。手が触れた時に、私の指先が震えていたことに気づいたのか今度はさっきと違った意味で左京さんが眉間にシワを寄せた。

「何かあったのか?」
「な、何も無いですよ」
「…はぁ。一人で抱え込むなっていつも言ってんだろ。俺達に言いにくいならカントクさんに相談するなり何なりしろ」
「はぁい…」

多分、今の私の顔色は最悪だし、表情もかなり強ばっている。さすがにこれで気づかないほど左京さんはバカじゃない。何かあったと分かっていながら私がそれを隠そうとするなら無理には聞こうとしないでくれるのは左京さんの優しさだと思う。

ぽん、と撫でられた頭にホッと息を吐く。さっきまで恐怖で埋め尽くされていた心に少し余裕ができた。さっきよりも自然に笑えたであろう私を見て左京さんが小さく笑う。再度ちゃんと謝って、今度は歩いて談話室に向かった。






まだ耳にあの音が残ってる


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