「あれ、早いね」
「化粧も何もしてないからね」
「ここでするの?」
「うん。ここでだったら助太刀してくれる2人がいるかなって」
「残念。ちょっと前に部屋戻ったよ」
「惜しい。ま、別にいいんだけど」
談話室に入ると既に着替えを済ませた至さんがソファに座ってゲームをしていた。向かいのソファでは密が寝ていて、キッチンでは臣くんが今日のおやつを作ってた。至さんの隣に座って化粧をする。さっき左京さんに会ったお陰で手の震えも落ち着いている。
ふと、視線を感じて鏡から視線をずらせばいつの間に起きたのか密が目をパチリと開けて、こっちを見ていた。何?と言えば何でもないと返ってくるので、気にせず化粧を続ける。あんまりジロジロ見られるとなんか恥ずかしいし緊張するんだけど、と思いながら手早く化粧をする。
「髪どうしよ」
「まとめちゃえば?」
「それ至さんがアップ好きなだけでしょ」
「正しくは俺の推しがアップだから好き、なんだけどね」
「はいはい。ま、今日あったかいしまとめちゃお」
鏡を見ながら髪をいじる私に横から至さんが口を出してくる。予想通りと言うかなんというかどこまでもぶれない至さんに苦笑いをしながら、髪を束ねる。少し高めの位置でまとめてゴムで結ぶ。部屋に戻ればアクセサリーもあるけど正直戻りたくないから少し味気ないけどこれでいいことにする。
「よし。お待たせ、至さん」
「終わった?」
「うん。行こ」
「ん、おけ。臣ー、俺となまえ昼いらないから」
「出かけるんですか?」
「うん。夜はこっちで食べるからよろー」
「いってきまーす」
臣くんにお昼ご飯はいらないと伝え、寮を出て至さんの車に乗り込む。ゆるやかに走り出した車がまっすぐ向かったのは某アニメショップ。いつものショッピングモールで買わないのは恐らく特典の関係だろう。至さんがゲームを買い終わるまでマンガコーナーで時間を潰す。
「あ、これ新刊出てたんだ…」
今一番お気に入りのマンガの新刊を見つけて、手に取って見る。買っちゃおうかな、と悩んでいるとふっと周りの音が一瞬消えた。辺りを見回しても、他のお客さんもいるし店内BGMも普通に聞こえる。気のせいか、と視線を漫画に戻した瞬間だった。
ぽたり
音が、聞こえた。それも、私の、すぐ後ろで。周りの音が何も聞こえなくなって、水の滴る音だけが耳に入る。後ろを、振り返れない。怖い、嫌だ、誰か、助けて。じわり、恐怖で滲む涙が視界を歪める。ぎゅっと目を閉じて消えて、消えて、と誰に向けての言葉か分からない言葉を繰り返す。
「なまえ?」
「っ、は…い、たるさ…」
「顔、真っ青だよ」
「ごめ…ちょっと、だけ」
「いやマジで大丈夫?帰る?」
「だい、じょぶだから」
後ろからポンと肩を叩かれて名前を呼ばれる。その瞬間、さっきまで聞こえなかった周りの音が聞こえるようになって、体から力が抜ける。さっきまで動かなった体が普通に動いて、後ろを振り返ると不思議そうな顔をした至さんが立っていた。私の顔を見て心配そうに顔を歪めた至さんの胸に額を押し付けて、目を閉じる。ゆっくり息を吸って、吐く。それを何度か繰り返せば、少しずつ呼吸が落ち着いてくる。
「買い物、終わった?」
「ん、ばっちり。なまえは?なんか買う?」
「ううん。大丈夫、行こ」
目を開いて、閉じて。視界がぼやけてないことを確認してゆっくり体を離す。私の質問に袋を掲げて至さんが笑う。何も無いことは分かっているのに、どうしても恐怖が拭いきれなくて足早にその場から立ち去る。
きっと考えすぎなんだ。怖いと思うから怖いし、音が聞こえると思うから聞こえたと思うんだ。大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせて手を握りしめる。もう、このことは忘れようと心に決めて至さんに向き直った。
きっと、全部夢だ。そう、思いたかった
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