どちらが先だったとか

※IF編で『もしもお相手が東堂だったら』です。

◇◇◇

一年の頃から仲の良かった尽八は、いつの間にか学校中の人気者になっていた。同級生や下級生に黄色い声援を送られるのは日常茶飯事で、告白だって数え切れないほどされている。バレンタインの時なんて、引くくらい貰ってた。

そんな尽八に私が恋をしていると気付いたのは、最近の話だ。この事を知っているのは靖友だけで、今日もいつもと同じように屋上で相談に乗って貰っていた。ああだこうだと文句を言いながらも話を聞いてくれるのがこの男のいい所だと素直に思う。

「東堂なら好きな奴いるッつってたヨォ」
「え、」

けれど、言わなくていい事まで教えてくれるのはこの男の悪い所だ。お前にはデリカシーとか遠慮とか配慮とか、そういう部分が欠けている。そのセリフ、今言う必要ありました?あまりの衝撃にガツンと頭を何かで殴られたような感覚がして、何か話している靖友の声は耳に入ってこない。

そっか、尽八好きな人いるんだ。そりゃそうだよね。男子高校生なんだから、好きな子くらいいるよね。そりゃそうだよね。恋心を自覚した数日後にはもう失恋か。随分早かったな。

じわりと浮かんだ涙を乱暴に袖で拭って、持っていたパンにかぶりつく。傍らに置いていたミルクティーで無理やり流し込むようにパンを食べて、勢いよく立ち上がれば靖友がぎょっとした様な顔でこっちを見ていた。

「話、聞いてくれてありがと」
「ハ?おま、話聞いてたァ?」
「聞いてたよ。尽八、好きな子いるんでしょ」
「イヤ、ウン。まァ、そうなんだけどォ…」

珍しく歯切れの悪い靖友の言葉を、これ以上言うなと思いを込めて遮って無理やり笑顔を作る。何か言いたそうにしていた靖友に背を向けて屋上を出た私はその日以来、尽八と会話するのを止めた。

顔を見る度に、言葉を交わす度に、ズキズキと痛む胸に耐えられなかった。私に向けるその言葉より、もっと優しい言葉をかける相手がいるんでしょう。私に向けるその視線より、ずっと甘い視線を向ける相手がいるんでしょう。そう思うと、尽八の顔を見ただけで泣いてしまいそうだった。

だから、避けていたのに。

「待てと言っているだろう!?」
「っ、何で追いかけてくんのよ!」
「お前が逃げるからだ!」

パチリと視線が合った途端に私の方へと駆けてきた尽八に、私は見事なまでの回れ右を披露して走り出す。その後ろを追いかけてくる尽八に半分泣きそうになりながら走っていた私は、ずるりと階段を踏み外した。襲い来るであろう衝撃に備えてぎゅっと目を瞑ったのと同時に、叫ぶように呼ばれた名前と引き寄せられた体。

ゆっくりと目を開ければ、額に汗をかいた尽八に抱き締められるように支えられていた。驚いて距離を取ろうとするけれど、腰に回された腕がそれを許してくれない。離して、と声をあげようと顔を上げた私の目に映ったのは険しい顔をした尽八で、まずいと思った時には遅かった。

「こ…っの、馬鹿者!!落ちたら捻挫じゃ済まないんだぞ!?」
「ご、ごめ…」
「怪我はないな?」

怖い顔で怒られて、先程まで抱きしめられている事実にドキドキしていた気持ちは何処へやら。シュンとしながら小さな声で謝ることしか出来ない。下手をすれば尽八にも怪我をさせていたかもしれないのだ、と落ち込む私に尽八は小さく息を吐いて私の頭に手を置いた。

優しい声色にコクリと頷けば、それなら良いと頭を撫でられる。ああ、こうやって、優しく頭を撫でてあげる相手が私以外にもいるんだ。ぶわりと胸の奥で膨らんだ醜い思いはじわりじわりと心を蝕んでいく。

「やだ、なぁ…」

尽八に、そんな相手がいる事も。こんな事を考える自分も。全部、全部、嫌だった。ぽたりと零れた涙が、堰を切ったように溢れ出して、止まらない。突然泣き出した私に目を見開いた尽八が、慌てながら私の涙を必死に拭う。

ああ、もう。優しくしないで、触らないで。わたしが、じぶんが、どんどん醜くなるから。やめて。

「さわら、ないで…!」

パシリと冷えきった音がして、ハッと気付いた時には尽八の手を振り払っていた。突然の拒絶に尽八が眉を下げて、泣きそうに顔を歪める。予想に反したリアクションに、今度は私が狼狽えてしまう。どうして、なんで、そんな顔をするの。

「俺が、何かしてしまったんだろう?」

そう言って無理やり笑った尽八に、罪悪感で潰れてしまいそうになった。尽八は、何も悪くないのに。私が、私の心が醜いだけなのに。それなのに、こんな状況でも尽八に嫌われたくないと思う私の口からは嗚咽だけが零れ落ちる。

一度私が触れられるのを拒否したからなのか、決して私に触れない尽八にまた胸が痛む。

「何かしたのなら、謝るから。だから、頼むから避けるのは止めてくれないか。さすがに、葵に避けられるのは堪える」

苦しそうに言葉を紡ぐ尽八の表情に、もう我慢なんて出来なかった。ぎゅっとキツく握りしめられた尽八の手を握りしめて、全てを吐き出す。

「ちがうの、ちがうの…!尽八はっ、なにもわるくないの…!わたしが悪いの…っ、すきになっちゃったから、ごめんなさい…!好きになって、ごめんなさい…!」

息が苦しくて、ひゅうひゅうと喉が音を立てる。震える足から力が抜けて、廊下に膝を着いて泣きじゃくった。嫌われたくない、嫌わないで欲しい、ずっと、ずっと一緒にいたい。言いたい事だけを吐き出して、子供のように泣きじゃくる私と目線を合わせるように尽八がしゃがみ込む。

「本当にお前は…」
「やだ、やだ…!」
「まだ何も言ってないだろう」

呆れたように笑って私を抱き寄せた尽八に、ビクリと肩が跳ねた。頬を包み込むように両手が添えられて、親指が目尻の涙を拭う。コツンと重ねられた額と私を真っ直ぐ見据える綺麗な瞳に、まるで絡め取られたように動けなくなる。

「葵が俺を好きになるより、ずっと前から俺は葵が好きだよ」
「う、そ…」
「俺は、好きでもない女のワガママを聞いてやれるほど寛容な人間ではないのでな。これでも分かりやすく好意を示していたつもりだったんだが、伝わってなかったか?」

優しい目と、声。驚きで涙はピタリと止まり、見開いた目からぽろりと一粒だけ涙が零れた。私が食べたいと言ったコンビニスイーツを次の日買ってきてくれたり。私が好きだと言ったミルクティーを覚えていてくれたり。何かあると電話をくれて、寝ている時に電話をかけても文句一つ言わずに付き合ってくれて。

思い返せば、尽八が私の願いを叶えてくれなかった事なんてなかった。ふわりと笑って私を抱きしめた尽八が、私の肩に額を押し付ける。背中に回った手が、いつもより近い尽八の匂いが、私の思考を奪う。

「荒北に葵の事が好きだとバレた日を境にして避けられて、正直生きた心地がしなかった。あんな思いは、もう金輪際ごめんだ」

泣きそうな東堂の弱々しい声を、初めて聞いた。つらくて、くるしくて、なきたくて。そう思ってたのは私だけじゃなかったんだと、そう思ったら止まっていたはずの涙がまた零れ出す。

「もう一度、きちんと言わせてくれ」

体を離して、私真っ直ぐに見た尽八がスッと目を細める。

続けられた告白にぼろぼろと泣きながら頷いた私を、尽八は見たことが無いくらい嬉しそうな顔で抱きしめた。

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