ゆらり、揺れて、影落とす

※ホラー注意※

◇◇◇

ただ、いつものように廊下を歩いていた。それだけだったのに隣を歩いていた靖友がピタリと足を止めた。つられる様に足を止めて振り返れば、いつになく険しい顔をした彼が廊下の先をキッと睨みつけている。

「どうしたの?」
「チッ…メンドクセーけどこっちから行こうぜ」

首を傾げる私の手を引いて足早に元来た道を戻ろうとする靖友に違和感を覚えながらも着いていく。チリン、と鈴の音が聞こえた気がして振り返れば廊下の先で揺れる黒い影。視界の端に映ったソレに、ゾクリと鳥肌が立つ。逃げるように視線を逸らして靖友の後ろを着いていくけれど、

何かがおかしい。

「ねぇ、なんか変じゃない?」

廊下、こんなに長かった?そう呟いた私に靖友は足を止めてくるりと振り返る。あんなに歩いたのに、廊下の先で揺れる黒い影との距離は一ミリも変わらない。ざわざわと胸騒ぎがして、ぎゅっと手を握りしめれば彼も同じように繋いだ手に力を込める。

「ぜってーこの手離すなヨ」
「っ…、…ちょっと待って。何する気…?」

その言葉にちょっとだけキュンとしてしまったが、冷静になって考えてサァッと血の気が引いた。慌てて靖友の手を引いて顔を覗き込めば、彼はなんて事なさそうにケロリとした顔で言い放つ。

「走る」
「はぁ!?嘘でしょ!?」

靖友が指を差した先は、あの黒い影。明らかにダメだろ!?ダメだろ!?というかさっきアンタあの影見て引き返そうとしたんだよね!?なんで態々向かっていかなきゃ行けないのよ!こんな状況にも関わらずギャンギャンと文句を言う私に彼は鬱陶しげに眉間に皺を寄せる。

「じゃあどうすンのォ?」
「ど、どうって…」
「このまま無限ループ繰り返しててもしょーがねェだろ」

靖友の言う事も最もだ。その通りなのだが、あの黒い影に突っ込む勇気は無い。平気そうに見えるだろうが正直な話、半分パニック状態だし怖い。さっきから指先が微かに震えるくらいには怖いのだ。でも、だとかだって、だとか。そんな事を言いながら立ちすくむ私の頭を、彼は唐突にぐしゃりと撫でる。

「俺だってコエーっつーの。なんかあっても一緒なンだからいーだろ」
「…手、離さないでね」
「ハッ!しょーがねェから俺が引いてやんヨォ」

ぐっと握りしめた私の拳を解くように手を重ねた靖友が少しだけ屈んで私と視線を合わせる。ニヤリと笑って黒い影に向き直った彼の背中を見つめて一歩足を踏み出す。少しずつ近づいてくる圧迫感が気持ち悪くて目を閉じそうになるけれど、彼の背中を見ている方が安心できる気がして必死に前を見る。酷い耳鳴りと誰かに引っ張られるような違和感。

そして、次に視界が明るくなった時には、何事も無かったかのように廊下の真ん中に立っていた。 目をパチパチと瞬かせて、靖友と繋がれたままの手にホッと息を吐く。足から力が抜けてヘナヘナと座り込めば、驚いたような彼の声が聞こえる。大丈夫だよ、と返事をしようとした私の声を遮ったのは尽八の怒鳴り声。

「お、前達…どこに行ってたんだ!」

今までに見た事のないような怖い顔で近付いてくる尽八にキョトンと首を傾げれば、尽八は気付いてないのか?と信じられないような顔をするものだから益々意味が分からない。何の話だろうか、と私と手を繋いだままの靖友に視線を移した瞬間、私はヒュッと息を飲んだ。

「一体どこで何をしたらこんな事になるんだ」
「俺らが聞きてェよ」

怪訝な顔で話をする二人の声がするすると流れていく。靖友の首から腕にかけて纒わり付く黒く長い髪の毛。そして、私にも全く同じものが纒わり付いていた。誰かに引っ張られていたような違和感の正体がコレだったのかと思うだけで鳥肌が止まらない。

「とにかく、シャワーでも何でも浴びてこい。気持ち悪いだろう、そんな物を付けたままでは」

気を使ってか、自分の着ていたジャージをかけてくれた尽八に震える声でお礼を言って、靖友に手を引かれて歩き出した。

あの日から、夕方や夜に一人で廊下を歩くのが怖くなった。あの日と同じように、廊下の先にナニカがいるんじゃないか。また、あの気持ち悪さに襲われるんじゃないか。そう思っただけで足が竦んで、動かなくなる。けれど、あの出来事は後にも先にもあの一回だけだった。今じゃあの黒い影の正体も、現象そのものについても、何一つ分からない。

「置いてくよォ」
「今行く!」

少し先で私を待つ皆の元へ駆け出した私の後ろで、黒い影がゆらりと揺れた。

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