かすり傷一つだって、付いて欲しくない

(Side:雛)

何かが、いる。

今度はハッキリと分かった。さっきまでの嫌な感覚はこれだと、頭の中で警鐘が鳴り響く。音は一度鳴ったきり、ぴたりと止んでいて、代わりにハッキリとした人の気配が現れた。

「…なにか、いる」
「何か…って、この教室にか?」
「マジで何にも見えねえけど…」
「雛には見えてんのか?」
「私にも、まだ見えてないけど…絶対、いる」

ぎゅうっと縁下とノヤの手を握りしめて、睨みつけるように気配のある方向を見る。何が起きても、絶対に皆を守れるように。どれだけ怖くても、目だけは逸らさないと決めたから。

「このまま、ゆっくり下がって教室を出よう。雛、何か異変があったらすぐに教えて」
「わかった」
「田中、教室の扉開けるの頼んだぞ」
「おうよ!俺に任せとけ!」

隣にいた縁下が私の手を引いて、ゆっくりと後ずさる。先に扉に向かった田中が取っ手に手をかけて、全員で急いで教室を出ようと思ったけれど田中の焦ったような声が響く。

「ッなんで開かねえんだよ!」
「はぁ!?まさか1回閉めたからまた開けるには雛じゃなきゃダメってことか…?」

田中と木下の言葉に、焦った私は扉を開けようと気配のする方向に背中を向けた。取っ手に手をかけて、勢いよく扉を開けたのと同時に背後から聞こえた大きな音。ガシャン!と派手に何かが弾ける音がして、何かの呻き声のようなものが聞こえる。

「みんな、走って!!」

振り返る勇気は無くて、反射的にそう叫んで駆け出した。バタバタと廊下を走って渡り廊下を超えて、大地さん達と来た教室の近くまで来ると教室から、ゆらりと伸びる手が見えた。

その手が先頭を走っていたノヤに伸ばされたのが分かって、心臓がきゅうっと握られたような感覚に陥った。叫ぶようにノヤの名前を呼んで、手を伸ばす。振り返ったノヤの目が大きく見開かれて、掴んだ腕を思い切り引き寄せた代わりに、私の体がふらりと傾く。

転ぶように廊下に膝をつきながらノヤを見れば、目をぱちぱちと瞬かせながら私を見ていた。良かった、無事だった。そう思ったのも束の間、教室から伸びてきた手が私の手首を掴んでギリギリと力が込められる。

「ぅ、ぁ…っ、」
「雛!!」
「だめっ!きちゃだめ…!」
「でも…!」
「だめなものは、だめ…!」

必死に手を振りほどこうとするけれど、中々手は離れてくれない。ほんの少しだけ開かれた扉から伸びてきた手が、まるで私を教室に引きずり込もうとするかのように力を込める。痛みと恐怖で泣きそうになりながらも、皆を必死に止める。

「ダメって言われても、黙って見てられる訳ねえだろ…!」

それでも、ノヤが飛び出さないはずが無い。怒ったような顔で勢い良く飛び出したノヤが、ほんの少しだけ開いていた扉を、それはもう思い切り、勢いよく閉めた。伸びてきていた手は、その衝撃で弾け飛ぶように消えて掴まれていた私の腕が解放される。

「力!!」
「ッ、全員走れ!!」

突然の出来事にぽかん、としていれば、私の手を掴んだノヤが縁下に向かって声を上げる。その声に弾かれるようにして全員が駆け出して、体育館に転がり込んだ。はぁはぁ、と荒い呼吸を繰り返す私達を皆が驚いた顔で見つめる中、西谷だけは怖い顔で私を見た。

「〜〜ッ雛!!!お前、何考えてんだ!!!」
「だ、だって、」
「だってじゃねぇよ!!何かあったら言えって言ったじゃねーか!!なんで、何で庇ってんだよ!!そんな怪我までして、ふざけんじゃねぇよ!!」

今にも私に飛びかかってきそうな勢いで怒鳴るノヤを縁下と田中が必死に止める。私とノヤの間に割って入って、ノヤを宥める木下と成田の隙間から見えたノヤの目は怒りと、ほんの少し悲しみの色が混ざっていた。

体が勝手に動いていた。危ない、とか逃げて、とか。何か叫べば良かったのかもしれないし、縁下達に協力を求めて一緒に助ければよかったのかもしれない。でも、そんなことを考える余裕なんて無かった。

「ごめ、っだって、だって…」
「お前に何かあったらどうすんだ!!」
「それは!それは、ノヤだって、同じじゃん…!」
「じゃあ何でお前だけ怪我してんだよ!!何かあっても全部一緒って言っただろーが!!」

怒鳴るノヤを止めようとしている皆も、どこかノヤと同じ表情をしていて胸がぎゅっと苦しくなった。皆に心配をかけたことも、自分だけが犠牲になろうとしたことも、それらがどんなにみんなを傷つけることになるのかも、全部分かってる。

頭では分かっている。それでも、体は勝手に動いてしまった。ぽろ、と涙が零れて縋るようにノヤに手を伸ばす。ぎゅっと私を抱きすくめたノヤが肩口に額を押し当てて大きく息を吐く。

「無事で、よかった」

それから震えるような小さな小さな声が聞こえてきて、思わず喉が鳴った。ぽた、ぽた、と涙が溢れて、ノヤ越しに見えた皆の顔を見て、更に涙が溢れる。ぎゅうっとノヤを抱き締め返して、私も全く同じセリフを呟いた。

「よか、った…っ、無事でよかった、ノヤが、無事でよかったぁ…!」
「こっちのセリフだバカ…!」
「〜〜ッまじで、マジで心臓止まると思ったんだからなこのバカ!!」
「雛は急に危ないことすんのやめろ!!マジで心臓に悪いから!!」
「ご、ごめんなさぃぃい…!」

わんわん声を上げて泣く私を、ノヤごと抱き締めるようにして半分泣いている木下と田中が飛びかかってくる。ごめんなさい、危ないことはもうしないようにして、ちゃんと助けを求めるから。そう繰り返して、あの恐怖を皆で分け合った。
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