三思後行その先に
「あれ、遊鳥ひとりだけ?」
私に話しかけたのか独り言なのか不明瞭な台詞なのは当人の自覚しているところのようで、その男子生徒は咳払いをひとつして空気のリセットを試みる。
私以外の誰かを探しているらしいその男子。もしかして今教室を出て行ってしまった彼女に用事だったろうかと思うも、その男子は「まあいいや」と呟きながら教室へと足を踏み入れた。声をかけるにも何を話せば良いのか分からず、無言で男子の動向を見守る。
「遊鳥と話したかったんだよ」
私の隣の椅子を引き、少し距離を空けてその男子は腰掛けた。彼女のように酔狂な事を言う、少し変わった人だと思った。そういえば、この男子は前の席の彼女の、更にもう一つ前の席の男子ではないだろうか。直接会話をしたことはない筈だけど、彼女と話しているのを見た覚えがある。やっぱり彼女のことだろうかと、特段警戒もせず男子の言葉を待った。
「遊鳥ってさ……最近ちょっと明るくなったよな」
私から視線を外しながら、男子は言う。
「そうかな……」
自分ではまるで実感は無いけど、最近では教室で彼女と話すこともあるし……傍目から見ると、そうなのかな。もしそうなら、それは私の自力なのではなくて、前の席の彼女とか、男子バレー部の皆のお陰なんだろう。それなのに、さっきの女生徒と牛島先輩との会話が脳裏を掠めて、俄に胸が重くなる。
「そうだよ。…………だからってわけじゃないんだけどさ」
私の気持ちと比例するように、男子の声音が僅かに強ばった。可能性が浮かぶそれより早く、私を見つめ直した男子の視線が私の胸を鋭く射貫く。
「俺、遊鳥の事、もっと知りたいと思う……から、付き合ってくれ」
瞬間、全身が硬直する。これまでの人生で、人から告白をされたことはなかった。そもそものコミュニケーションがお粗末で、大多数の同級からは嫌われていて、それも当然の事だけど。そんな世界が何年と続いてきたものだから、嬉しさよりも戸惑いが先立ってしまう。――付き合ってくれ。その言葉に対する答えはひとつなのに、そのたったひとつが言葉にならずに喉の奥でいつまでもまごつく。
はたと、目の前に座る男子の視線が私からずれ、彼女が出て行き男子が入ってきた教室の入り口へと向けられた。私の返答に待ちくたびれたのかと思うけど、男子の表情が怪訝そうに歪められ、私もつられて同じ方向へと顔を向ける。
開いたままの扉の側に、一人の生徒が立っていた。今この教室に来たばかりらしいその生徒は目を大きく開いたかと思うと早々に
「すまない、邪魔をした」
とだけ残して、敷居を跨いでいた右足を廊下側へと引っ込める。そうして声の下に姿を消したその人は、さっきまでこの教室の反対側にいた人だ。もしかして、あの人も、今の告白を聞いていたのだろうか。まさか、そんなこと。一日の昼休みの内に、お互いの告白現場に遭遇するなんてこと、一体どんな確率ではじき出された偶然なんだ。
毅然とした動作、端的な言葉。踵を返したその生徒――牛島先輩は、表情以外は普段と同じ調子だった。もし、もしも、私がこの告白を受け入れると思われらどうしよう――。そんな不安に駆られながらも、けれど目の前の男子に何も応えないままこの場を離れる訳にも――
。なにをどうしていいのか分からないまま動けなくなってしまった私に、彼女の大音声が届いた。
「遊鳥さん! 追いかけるの!」
いつの間にか戻ってきていた彼女は教室の外から、牛島先輩が向かっていった方を大きく指さす。驚きのまま彼女の顔を見ると、
「早く!」
と、校舎に響き渡りそうな程の声を張り上げた。その勢いに背中を押されて、私ははじかれたように席を立つ。駆け足で教室の扉を潜る。
「若利くん、あっちにいったみたいだよ」
彼女の後ろにいた天童先輩が道を指し示す。お礼の言葉は後で良い。二人の助力に見返るためには、今は牛島先輩を追わなくちゃ。特別教科棟から本校舎へと向かう廊下を、私は大股で進み始めた。
特別教科棟から出て本校舎へと続く渡り廊下。そこで漸く牛島先輩の後ろ姿を捉えることが出来た。
「――牛島先輩!」
牛島先輩をこんなに大きな声で呼び止めたのは、初めてのことかも知れない。いつも通りに足を止めて振り返ってくれる牛島先輩に、そんなどうでもいい感想がふと浮かぶ。
牛島先輩の正面に立ち、いつものように牛島先輩を仰いだ。けれど、牛島先輩は言葉を発しない。勢いのまま、赴くままに追いかけてきたけど、私は牛島先輩に何を伝えるべきだろう。――何を、伝えたいんだろう。そう考えると真っ先に出てくるのは女生徒の告白のことで。一番肝心な、牛島先輩の答えを私は聞き逃しているということに今更ながら気がついた。――彼女の告白に、牛島先輩は何て返したんだろう。そんな踏み込んだことを訊ねたら、嫌われないだろうか。そもそも、先輩の告白現場に居合わせていましたなんて、とてもじゃないけど口に出来ない。
牛島先輩も私と同じく、私が告白をされる現場に居合わせたのに、そのことすらも忘れて思考を巡らせる。そもそも牛島先輩は何故あの教室に来たのか。普段の私ならそれも気にする筈なのに、この時ばかりは気が動転して、何もかもが心の中でしっちゃかめっちゃかになっていた。だから、
「あの男と付き合うのか」
眉間に見たことない程の皺を刻んだ牛島先輩の言葉を聞いた途端、昼から起こったすべての出来事が抱えきれなくなり、溢れ出した。