ひよこスピンオフ ver.及川
春高が終わった月から付き合い始めたヒヨコと及川さんのお別れのお話です。
→交際期間一年未満でアルゼンチンに旅立つ及川さん。
『海外行くって、…ほんと、ですか?』
「うん、ほんと」
これまで知らされていなかった事実に驚きを隠せない。これまでそんな素振り見せてこなかったのに。憧れの師を追いかけて、アルゼンチンでバレーを続けると先ほど聞かされたばかりだった。来月には日本を発つらしい。あと、少しだ。
『今まで、なんで、…言ってくれなかったんですか?』
「言わなかったことは謝る。でも、もう決めたことだから」
これまで大事なことを教えてくれなかったショックももちろんあったが、それよりも彼と離れ離れになってしまうという事実が重くのしかかった。そうか、離れ離れになってしまうのか。放心状態になり、何を話せばいいか分からなくなる。
『……もう、いいです』
「ねぇ、こっち見て」
『こっちの気も知らないで……、顔見たくないです』
やっとの思いで付き合えたというのに。これまでの数か月は本当に幸せだった。好きな人といるということがこんなにも楽しくて、愛しいものだと初めて知った。そんな日常が終わってしまう。いつもなら素直になれる自分が、彼を突き放すような言葉を言ってしまう。相当混乱しているのだろう。
『私、待ってるなんて言いませんから』
「…え」
『勝手にどこにでも行っちゃえば…いい、んです…』
そんなことを言いたいわけじゃない。本当は心から応援して、背中を押してあげたいのだ。本心じゃない言葉はあっけなく自分の口からこぼれた。今の自分は最低だ。彼が目標に向かって突き進む姿を心の底から応援できないなんて。彼の顔を見ることができなくて、少し視線をずらす。
『…なんて、嘘、です。ほんとは…、応援したいのに……、ごめんなさい…離れたくないから…、…素直になれなくて』
自分の中にあるありったけの勇気を絞り出して、ようやく声に出す。
『徹先輩……、行かないで……』
「ごめんね、でも、俺行かなくちゃ」
『…そうですよね』
どんなに引き留めようとも無駄なことは分かっていた。今の私には彼を止める術もなければ力もない。潤む視界を必死に合わせる。
『寂しい…です』
「名前」
ちゃんがついてない呼び方に変わったのは、少し前の話だ。呼び捨てで名前を呼ばれる度に心臓がギュッとなる。今でもそうだ。いつになったら慣れるんだろうね、って二人で笑いあったばかりだった。
「まだ若いんだからさ、俺にこだわる必要なんてないんだよ」
これから好きでいることさえも許してくれないのか。彼に暗に別れを告げられているようだった。私にそれを引き留める勇気はこれっぽっちも残されていなかった。優しく引き離される未来が目に見えている。どんなにすがっても、泣きわめいても彼の選択は揺るがない。
きっと徹先輩は私と言う存在なんてもう見ていない。日本を、世界を見ている。
誰よりも応援したい人をこれ以上困らせてどうする。背中を押してあげるのが私の役目だ。
『徹先輩、最後に、…お願いがあります』
「…なんでも聞くよ」
『キス、…してください』
「…うん」
優しく触れられたはずの唇が痛い。痛い……。どれくらいしていたか分からない。二人で息を合わせたように離れた唇は、今までで一番熱かった。そして、少しずつ距離を取り、また顔を見上げた。
『さようなら、お元気で!』
彼の門出を最高の笑顔で見送るのだ。
「ありがとう」
さようなら、大好きな人。
続く…、のか?