牛島若利の場合
『ごめんね…、もう遠距離に耐えられない。だから、…私たち別れよう』
全日本バレーのエースである若利は、知らない間に外国で合宿をしていたり、全国を飛び回っていたりと、一定の場所にいるということは少ない。彼とは長い付き合いだが、距離という点においては、出会ったころよりも今の方が断然遠くなっていた。
会えない日々が続いている。
もう半年は会っていないだろうか。
私は彼と付き合いだしたときに、この人と結婚するんだ、ってなんとなく思っていた時期もあった。年を取って、考え方も変わってきて、結婚適齢期である今は、そんなことさえも考えられなくなっていた。
今も彼のことが好きなことには変わりないが、会えないとどうしていいか分からない日々がずっと続いてしまうことになる。会いたいと願っても会えないこの距離感にもう耐えられなくなったのだ。
「…そうか、すまない。今までありがとう」
『ううん、わがまま言ってごめんね。こちらこそありがとう』
別れ話も電話だった。面と向かってはきっと言えなかっただろう。彼の傍にいるとどうしても安心してしまって、別れようなんて気にはならなかっただろう。
彼は世界を見据えている人間だ。例えば私が病気になったとしよう。彼は心配をして駆けつけてくれる可能性がとても高い。それでは私が足手まといになるだけだ。
大きな夢を持っている貴方には、ちっぽけな私の存在はいらない。
長かったようで短いような私の恋が終わった。もうあなたとはテレビの前でしか会えない。
幸せな恋だったな。
あっさりと終わりを告げた恋は、確かに素敵な思い出ばかりだった。
***
あれから一か月弱が経過した。若利と別れたこと以外に変わったことは何もない。もう彼と連絡を取ることはなくなった。だけど、しつこいかもしれないけど彼の活躍をなるべくニュースなどで見るようにはした。彼を見ている時間が未だに幸せだった。
もう手の届かない人になってしまったのに。
開いたパソコンの画面には昨日の試合で活躍した若利の迫力のあるスパイクの瞬間が取り上げられている。力強い瞬間に、何分も目が離せなかった。
なんでこんなに落ち着くんだ。別れた人なのに、もう欲しがってはいけないのに。
ピンポーン
感傷に浸っていると、チャイムが鳴った。誰だろうこんな時間に。今は、別れた傷も癒えていないし、誰にも会いたくないというのに。
私は重い腰をなんとか奮い立たせて、玄関に向かう。そして、外に居る人物を確認したとたんとても間抜けな声が出てしまった。私は急いでドアを開ける。
「久しぶりだな」
『…なんで、ここに』
「失礼する」
外では声が丸聞こえになってしまうと思ったのか、若利は家の中に入ってきた。私は声を出すことを忘れて、幻かもしれない人を見上げていた。
「もう一度俺の想いを伝えに来た。好きだ、付き合って欲しい」
これはなんていうドラマだろう。会いたいと思っていた人が目の前にいる。嘘だと心の中で思っていたけど、彼に腕を掴まれて、その体温を感じてこれは現実なんだということが分かった。
『私…、もう遠距離は無理だよ…』
本当は苦しいくらいに会いたいと思っていた人が目の前にいるのに、上手い言葉が浮かばない。私が彼の言葉にちゃんと返事をすることができない一番の原因は距離だ。心が近くても物理的な距離が遠いと何をすることもできない。
「俺のことが嫌いか?」
『好き、だよ』
「だとすればまた俺を受け入れてほしい。時間があったら会いに来るようにするし、なるべく悲しませないようにする。名前の幸せを考えたら、別れることが一番なのは理解しているつもりだ。でも、別れてみてお前の存在がどれほど大きいのか分かった。俺はどうしても名前じゃないとダメだ。一生傍にいて欲しい」
私は知らぬ間にこんなに愛されていた。ちゃんと私のことも考えてくれていたんだ。まるでプロポーズみたいな言葉に胸がとてもざわめく。
『…会いたかったぁ』
今まで言わないようにしていた言葉がポロリと口からこぼれた。
「俺もだ」
それを嫌な顔一つせず受け入れてくれる若利の存在は、自分でも想像ができないくらいに大きくなっていたことに気づいた。
もう、我慢しなくていいんだよね。